オチもヤマもなく、好きなことだけを書いていく。 2018年07月18日 落書き トラックバック:0コメント:0

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夏休みの宿題の『万引き家族の感想』を書く練習をする。

<小学3年生の感想文>

お父さんに連れられて映画館で『万引き家族』を見ました。
よくわからなかったけど、家族の大切さというものを感じました。
でも不幸な『本当の家族』と幸福な『本当の家族じゃない家族』、
どちらが本当の家族なのだろうか、と思いました。


<高校3年生の感想文>

この映画はハリウッド映画ではないし、ハリウッド映画を真似した日本映画でもない。
映画とは本来、自由な表現媒体である。極論を言えば、映像と音があれば映画と言い張れる。
ところが、時折、『これが映画だ』と言いたくなる映画と出会うことがある。

私にとっては『万引き家族』がそういう映画の一つだった。

カメラは家族たちを丁寧に撮影している。
無駄に技法に凝ったりせず、じっくりとワンシーン、ワンシーンと風景を切り取っていく。
繊細で印象的なエピソードが淡々と積み重ねられていく。
多くの物で埋め尽くされた平屋暮らしが生々しく描写され、私たちはこれを体験していく。

エピソードはセリフではなく、演技、目先、口調で語られていく。
わかりやすく理解するのではなく、体験していく。
状況と情景と心情を体験していく。

時間が経つにつれ、少しずつ不協和音が鳴り始め、後半のストーリーで転調が訪れる。
そこで描写されるのは『私たち』の違和感である。

『私たち』というのは、今こうして高校生として、
普通に暮らし、普通に学校に行き、普通に悩み、普通にテレビを見て、普通にゲームをして、
普通に友達とLINEをし、普通に映画を見て、普通に『万引き家族』を消費しようとしている
『私たち』のことである。

『私たち』こそが、まさに欺瞞で嘘で塗り固められた世界に生きている。
そのことに気付いてはいるが、声を上げたり、嫌だと言ったり、変えようと言ったりはしない。
そういうことは『無駄なこと』で、『空気が読めない』ことだと知っているからである。
その『知っている』とは、大人たちから『教え込まされた』ことでもある。

それが明らかになる。
ゆえにそれは私に深く刺さった。
最後のワンシーンはすっきりしないかもしれない。
でも、あれはリアルなシーンであり、あの目線は私たちに向けられている。

『本当に汚いのは、あなたたちだ』、と。


<酩酊状態のおっさんが書く感想文>

あまりにも暑いので『万引き家族』を見に行ってきた。



短いエンドロールの最中、僕は声を押し殺しながら泣いていた。

『万引き家族』の感想を書こうと思う。
だけれど、どこからどう書いたらいいのかわからない、というのが正直なところである。

まず、僕は小津監督の『東京物語』で号泣したあの夏のことを思い出した。

あれは気怠い夏であった。
僕にはやるべきことはなく、やりたいこともなかった夏だった。
欲しいものは何もなく、眠ることすら面倒くさい夏だった。

生きてはいるが、死んでいるのと同じ意味で生きていて、僕にできることは酒を飲むことだけだった。
そのとき、僕は酩酊状態の中で芥川龍之介がtwitterをやっている妄想をしていた。
彼は狂人を上品に演じており、タイムラインはメンがヘラっていながらもどこか知的で、かつ圧倒的に倒錯していた。
”目の前の架空線が一本、紫いろの火花を発してゐた。”というtweetが大量にRTされ、その言葉の切れ味に恐ろしさすら感じたものだ。

ペットボトルのウーロン茶をウイスキーに入れ替えて、僕は芥川隆之介の描く紫いろの火花を見に外へ出た。
明度が高く、彩度が低い夏の街だった。
今日も夏目漱石は朝日新聞に連載小説を書き、太宰治はinstagramに避暑地のカフェで撮った餡蜜パフェの写真を載せている。
その写真の手前隅には女の指先が写っていた。太宰の顔は神経質そうにやつれているように見え、しかしどこか芝居じみた感じにも見える。
僕はTUTAYAに入った。冷房の風と店内放送が全身を包み込む。視界の隅にポプテピピックのガチャが写った。

プラスチックの昆虫飼育セットが山積みになって売られていた。
カブトムシが笑顔になっているイラストが貼ってあった。
人間に捕まっていてなんで笑顔でいるのかわからず不気味であった。

その奥ではベストセラーの本が平積みになって売られていた。
本の横に液晶ディスプレイがあり、その本が映画化されて今夏公開されるという予告動画が流れている。
登場人物が感情的に叫んだり泣いたりし、叙情的な劇伴曲が流れ、暗いシーンが続き、いいタイミングで画面転換すると主題歌が流れて登場人物たちが走り出したり抱き合ったりするのが細かいカット割りで映し出される。そして最後に登場人物たちが自然な感じで歩いているのをスローモーションで映している画を背景にタイトルが出て、細かい字でスタッフの名前が出て、今夏公開、と出る。
あるあるネタみたいな予告動画だと思いながらも感動している自分がいる。

そのままレンタルDVDの棚に向かった。

見たことのない映画やアニメを見ようと思った。
とは言え、あまり普段映画やアニメを見ないので、ほとんどが見たことがないものばかりである。

エヴァンゲリオン:Q
gdgd妖精s the movie
東京物語
魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語
シンドラーのリスト
けいおん! rhe movie
シドニアの騎士 劇場版

などというよくわからない組み合わせで借りることにした。
酩酊状態なのでもう何も怖くなかった。
レジには家族連れが多く並んでいた。映画が好きそうなおじさんも混ざっていた。
目の前の女性は韓流のドラマを大量に連番でカゴの中に入れていた。

ウイスキーを飲んだ。血中のアルコール濃度が上がった。
何気ない日常のきらめき。強引に脳内に広がる多幸感。
「ハリウッド映画を見たやつは映画館を出るときには主人公みたいに胸を張って出てくる。
 日本映画を見たやつは沈痛な面持ちで言葉少なく出てくる」
という誰かのセリフを思い出す。

では日本のアニメ映画を見たとき、どんな感じで出てくるのか?

僕は財布の中からTポイントカードを取り出しながら考えた。

イノセンスを見たとき、僕は記憶をハッキングされた人間のように虚ろな目で出てきた。
過度に情報量が多い画面は”現実”と”作られた現実”の境目が曖昧になるように演出されている。
あの有名なコンビニ襲撃シーンは過剰なほどに細かく描写された店内映像の情報量が、そこに潜り込んだ『作られた現実』に気づかせない。
視界はハッキングされ、記憶もハッキングされ、いつのまにか考え方もハッキングされている。
それは僕達も同じである。現実世界の僕達の考え方は本当に僕達が考えた考え方だろうか?
誰かの考え方で考えてはいないだろうか?
ハッキングされたアンドロイドは人形である。ハッキングされた人間だって人形なのだ。
イノセンスを見終わったとき、僕は人形のような気持ちで映画館を出た。
僕は僕が人形ではない理由を一つも思いつかなかったのだった。

blame! の劇場版を見たときはどうだっただろうか?
blame!の世界観はとにかく息苦しい。
ずっと閉塞された空間にいて、常に命の危険が迫り、食の飢えも深刻だ。
人間はおそらく絶滅するようになっている。それを止めるものは何もない。
その世界の中を霧亥は表情無く進んでいく。
希望というほど明るくもなく、1ドットのような小さな存在ではあるが、何百年も掛けてメガストラクチャーを進んでいく。

(以下、横道にそれてそのまま農道を滑り落ちて田んぼにダイブするだけの文章なので割愛します)



拍手ありがとうございます!



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お父さんはバ美肉VTuber 2018年07月10日 落書き トラックバック:0コメント:0

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肩越しから見る同期ちゃんのたわわ

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ユリイカ2018年7月号を読んで 2018年07月01日 にじさんじ トラックバック:0コメント:0

ユリイカ2018年7月号がバーチャルyoutuber特集であった。
ふらりと寄った本屋に平積みされていたので買い、一気に全部読んだ。



まず度肝を抜かれたのはキズナアイのインタビュー対談であった。
キズナアイはスーパーAIであり中の人など存在しない、という世界観なのだが、この設定はともすると余談になりかねない。
深掘りすればするほどボロが出そうだし、そもそもキズナアイにとっての本質ではない。
しかしながらキズナアイ自らその地雷原に足を踏み込み、丸見えの地雷を次々と踏んでいく。
だけれど、私の想像以上にキズナアイの意思は強固であり、地雷をしっかりと正面から踏み抜いていき、起爆する前に機能停止させていく。
その様子は一種のSF小説のようだった。
インタビュー対談という形式をとったSF小説。
一体何を読まされているんだろう、と思い、同時に、これから後ろのページがどうなっているのか恐ろしくなった。
そしてその予感は的中し、そこから僕は4時間ずっと読み続けていた。

昔、ゲームやアニメや漫画に文化的批評の文脈を持ち込んで語る芸が流行った。
哲学や心理学や物理学や文学の言葉を持ち込んで、いわゆるオタクネタを語る。
それは真面目風な、真摯な分析を行いつつ、どこかパロディー的な空気を感じさせる。
そこには照れがあり、中二病もあり、自虐もある。単純に、アカデミックな文章への憧れもある。

キズナアイについて知りたいことは多々ある。
だけれど今回のインタビュー対談で、キズナアイには強固なファイアウォールが存在していることが確定した。
それは悪いことではない。操り人形の糸を手繰り寄せるのは野暮な行為である。

私が知りたいのは実は下記のようなことだった。
・キズナアイがどのような機材とソフト環境によってトラッキングされて実現されているのか?
・キズナアイプロジェクトはどの程度の規模の組織で運営されているのか?
・ニコ生超会議のライブはどのように実現したのか?

だけれどそのようなことは文化という側面からすれば些事である。野暮である。
だからスパッと切り捨てられる。そういうことはCG WORLDにやらせておけばいい。

キズナアイはバーチャルな存在であり、そこでしか出来ないことを追求していく。
実在していないからこそ可能な”理想”を追い求める。みんなが幸せになることを願い、活動する。
そのためのプラットフォームになる。

キズナアイは王道を行く。
それが可能な技術力がありバックにいるスタッフたちの力がある。
テレビの真似でもなく、リアルyoutuberの後追いでもない、新しい表現を切り開く。

では、他のVtuberはどうなのか?

ということで、次は輝夜月スタッフのAO氏の談話につながっていく。



輝夜月のバランス感覚は人並み外れている。
デビュー直後に爆発的な人気が出たあとも、ペースを崩すことなく歩き続けている。
文字通りの爆風に背中を押されたり進路が見えなくなったりしたはずだが、「やかましいわ!」とすたすたと歩いている。
この脚力の強さ、基礎体力の高さ、バランス感覚の凄さの一端はこのAO氏によるものである。

AO氏のビジョンはレーザー光線のようにまっすぐ遥か未来方向へと照射されている。
ブレがない。だから輝夜月は間違えない。安売りもしない。自分の価値を確保したまま歩き続けている。



と、この特集は、次から一気に内容がカオスになっていく。
テクノロジーの観点から語ったり、アバターと中の人という観点を整理したり、Vtuberはここが新しいと書いたり、いやそれは新しくないと書いたり、
Vtuberは好きじゃないと書いたり、今のところのVtuberは一発屋的であり本質的には古臭い構造と書いたり、面白ければなんでもいいと言ったり、
クリエイターとして立脚したいのでアイドルではないと言ってみたり、にじさんじは凄いと書いてみたりする。

このゴッチャゴチャ感が実に面白い。
答えも正解もないので好き勝手に書いてあり、それを全てそのまま載せるユリイカという雑誌の強度を感じる。これは大事なことである。

あとは読んだ人が考えれば良い。畑というのはまずはボコボコに耕すことから始めるものである。



この特集において、月ノ美兎は異彩を放っている。

というか、月ノ美兎がいなければ成立しなかったと感じる。

キズナアイを初めとしたいわゆる四天王や、富士葵、ときのそら、のらきゃっとなどは正統派としての厚みや歴史はあるにしても、
真面目過ぎる。ウカ様も真面目である。真面目が悪いわけではないが、真面目なだけだとバランスが悪いのである。

あまり明示されていないことだが、月ノ美兎はVtuberの裏拍を打つ、カウンター的な存在であるが故に際立っている。

月ノ美兎は基本的に「面白けりゃいい」というスタンスを保持する。
ともすれば高尚な思想や主語の大きな文化的なわたくしたちの意味などを求められそうな場において、あくまでも「面白ければいい」と言う。

月ノ美兎にとってはツールや表現媒体の話は些事である。過去の文化的な文脈に自分がどう成立しているかなども些事である。
一人の芸人として目の前のオーディエンスたちが楽しんでもらうことのみに集中する。
そのための枠の中で、利用できるものは利用する。立派な言説という名の言葉遊びに意味があるとは思えません、という風な。

それは正しいのである。それも正しい。

そんな月ノ美兎と三島由紀夫や安部公房を持ち出してVtuberを語る文章が同じ紙上に載っていることが実に面白く、価値がある。



アイドル、という概念を真面目に深掘りすると凄く深い森に入っていくことになる。

一方で、「細けえことはいいんだよ! アイドルはてぇてぇし、すこ。それでいいんだ」というのも正しい。

どちらがアイドルの本質を捉えているかといえば、これも優劣などない。
ただ人間の味覚というのは複雑なので、どちらか一方では飽きてしまうので、どっちも必要なのだ。

アキくん、すこだよ。

これ以上の言葉はいらないし無用だという瞬間はある。
一方でアキくんについてもっと深く考えるべき瞬間もある。

月ノ美兎はそれがわかっているので、ユリイカという場がもっている重力に逆らい、ギターの音を歪ませる。

絶対律やら音色のハーモニーやらプリミティブな音感などと言っている横で、「うるせえな」と言いながら
地獄のように歪んで輪郭が尖ったディストーションギターを鳴らす。「これがロックなんだよ」

これができるのが月ノ美兎なんだよなあ、という感じである。



Vtuberの可愛いとこをひたすら推し続ける雑誌も出て来るはずである。
甘いシロップが塗り込まれ、チョコレートで構成された雑誌で、可愛い絵が乱舞する。
そういう消費は既視感があり、食傷気味であるが、商売にはなる。

そこでもまた月ノ美兎は異彩を放つだろうと思われる。

単純なアイドル路線にもカウンターの位置にいる。



ユリイカを読み、明らかになったのは月ノ美兎の異質性である。

何かの物語のキャラではない。
運営の作った設定でもない。
クリエイターでもない。
アイドルでもない。
どちらといえば、芸人である。
それも、お笑い芸人というよりも、深い芸を持つ系の芸人。

立川談志。



私は立川談志が好きで、何度録音を聞いても飽きない。
聞けば聞くほど味が出てくる。独り言のように真似をすることもある。

立川談志の特異性はもはや下記のように書くしかないという点である。

”立川談志は立川談志”

立川談志は論理的だが感覚的でもある。
面白ければいいと言いつつ、その背景は深い。

単純と複雑を合わせもつ。
つまらないことはしない。
自分を安売りしない。
芸を磨き、時には捨てる。
こだわりがあり、こだわりがない。
”何か”にカテゴライズされない。

そしてそれらを元に、面白さに徹する。



私は月ノ美兎に立川談志を見る。

ユリイカという場にはたくさんの多様性のある文章が集まった。
それらに一本の硬く鋭い地獄針が貫通している。
その痛感、違和感こそが月ノ美兎であり、それが結果として表現されている。

私にとってはそこに思考の愉悦があり、Eurekaであった。

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拍手ありがとうございます〜!

てとらさん>これからもおっぱ…イラストは描いていきますのでどうぞ!
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落書き 2018年06月30日 落書き トラックバック:0コメント:0

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<日常日記>
・イカDLC難しくてなかなかよい。
・斑鳩switch版を細々と続けている。
・誰でも気軽にバーチャルyoutuberになれる時代が来てるかもしれない。
・unityでシューティングゲームを作ってみよう作戦を開始する。

拍手ありがとうございます!
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フリクリ 2018年06月24日 落書き トラックバック:0コメント:0

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エモい
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