3点間の特異点 2010年09月11日 漫画 トラックバック:0コメント:2

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突然だけれど、僕は茶絵ちゃんと仲が良くなった。
茶絵ちゃんは、『今は』、僕たちと同室で生活している。

茶絵ちゃんはおしゃべりな”るきにゃん”と違って口数が少ない女の子だ。
彼女は内気で思慮深くて空気を読みすぎるあまりに多くの言葉を発することが出来ない。

”AはBだと思う。”

茶絵ちゃんはそう考えても、声に出さない。
”でも、AはCかもしれない。私が知らないだけで……”
そのように茶絵ちゃんはすぐに自分の心の中で反証する。

”でも、そもそも、本当にAなのだろうか?”
”そもそも、今、この場において、そういうことを考えるべきことなんだろうか?”
”そもそも、この議論自体が誰かに誘導されているのでは?”
”そもそも……”
”そもそも……”

もそもそ。
茶絵ちゃんはそもそもをもそもそしながら繰り返す。

だから、ただ単に”AはBだと思う”という回答のみを期待している人にとって、茶絵ちゃんはとことんとろい子に見える。
初めのうちは、『まあ、この子はこういう子なのかな?』と思う程度かもしれないが、
次第にそれがどのような問いにも行動にも当てはまることがわかると、残酷ながら、下記のようなラベル付けをすることになる。

『この子は、異常』

<例>

(1)「茶絵。皿を片付けなさい」
(2)(……皿を片付けよう)
(3)(でも、そもそも、なんで皿を片付けるんだろう?)
(4)(テーブルの上が一旦はきれいになるから?)
(5)(でも、すぐにまた皿を出さなきゃならない)
(6)(そういう動作のコストは考慮しなくてもいいのかな?)
(7)(きれいにすることで得られる何かは、片付けるという工数より上回るのかな?)
(8)(問題が3つに増えた……)
(9)(きれいにすることで得られる何かって、なんだろう?)
(10)(片付けるという動作の工数はどうやって定量化する?)
(11)(そして、それらはどうやって比較すればいいんだろう?)
(12)(単位が同じなら比較できる。お金とか重さとか長さとか)
(13)(片方は気持ちの問題。もう一方は気持ちの問題+時間の問題)
(14)(どうやって単位を換算すればいいんだろう?)

(15)「……茶絵! バカ! なんで言うこと聞けないの!? 言葉の意味がわからないの!?」

<例 終わり>

言葉の意味はわかっている。
けれど、声に出す前に、行動する前に、何かと考えるべきことが多くて動けない。
永遠に繰り返される自問自答が脳内で鳴り止まなくて動けない。

実際問題、そういう自問自答の9.9割は茶絵ちゃんを『異常な子』にする程度の効果しか持たないように見える。
確かに、”1+1=?”と計算機に入力し、何日も答えが出てこないような計算機は壊れていると思われても仕方がない。
でも茶絵ちゃんは計算機でも機械でもないから、別に壊れてるわけでも何でもない。

茶絵ちゃんに言わせれば、”1”の意味、”+”の意味、”=”の意味を全然考えないで”2”だなんて即答する僕たちの方がより複雑に壊れている。

……と、茶絵ちゃんに『言わせれば』と書いたが、実際の茶絵ちゃんはそんなことは言わない。
言う前に、壊れている、という意味や定義をしっかりと考えようと思うからだ。

●●

初め、僕は茶絵ちゃんと病院のロビーで出会った。

茶絵ちゃんはすごく体調が悪そうだった。
ソファーに浅く腰掛け、全身を脱力させ、がっくりと俯いていた。

僕は直感で、この子は喉が乾いているのでは、と思った。
そこで、ついさっきナースセンターからお裾分けしてもらった麦茶を飲ませることにした。

僕は茶絵ちゃんの隣に座った。
茶絵ちゃんはビクっと神経質な動きで顔を上げた。
そのとき、茶絵ちゃんの口が半開きだったのでペットボトルの口の先端を挿入した。
茶絵ちゃんはさらにビクビクっとし、瞳孔がキュっと開いた。

ゴクゴク。
ゴクゴク。

無理矢理、2口、3口くらい飲ませてみた。
茶絵ちゃんは驚いた顔を僕に向けたまま、口の周りを手でぬぐった。

「……あ、あの、ありがとうございます……」

消え入りそうな声で茶絵ちゃんは言った。
僕は、お礼とか言わなくていいから、という顔をしてペットボトルの蓋を閉めた。

「喉が乾いたときは、ちゃんとナースさんに言わないとだめだよ。言わなきゃもらえないから」
「……」

茶絵ちゃんから返事はなかった。
ただ、頬を赤くして僕を見つめているだけだった。

……。

「……」
「……」

僕は直感した。
僕はペットボトルを1本まるごと茶絵ちゃんに差し出した。
茶絵ちゃんはまたビクビクビクっとして、恐る恐る500mLの麦茶受け取ると、
突如として一気に勢いよく飲み始めた。

うーん。
不思議っ子だ。
きっと、他人とのコミュニケーションが下手な子なのだろう。
るきにゃんがしゃべりすぎの『下手』ならば、この子はしゃべらなすぎで『下手』なのだろう。
ということは、どっちかといえば僕と似ているタイプなので友達になれるかもしれない。

●●

茶絵ちゃんは個室で生活をしていた。
茶絵ちゃんはいつも忙しくて時間に追われているナースさんとは会話が全く成立しなかった。
だから、生命状況が逼迫していても病院側に知らせることができなかった。

僕は出会ってからすぐ、そのことに気づいた。

実際、茶絵ちゃんは色んなところが衰弱していた。
それでも茶絵ちゃんはナースさんにお願いすることができない子だった。
だから僕は先生にお願いして、僕とるきにゃんと同室にしてもらうことにした。

僕なら茶絵ちゃんの無言の要求を感じることができる。

そして、これは同室になってからしばらく経ってからのことになるけれど、僕と茶絵ちゃんはしっかりと会話が出来るようになった。

●●

こほん。

と、るきにゃんが小さく咳払いをして、
僕と茶絵ちゃんをちらちらと見る。

こういうときのるきにゃんは”おしゃべりしたいモード”である。
僕は、どうぞ、と右手をるきにゃんの方に向けて差し出す。

るきにゃんは、にへら~、と笑う。

「ふと思いついたんですけど、いえ、正確に言えば思い出したんですけど」

こういう前振りの話はかなり長くて複雑であることが経験上わかる。
僕は身構える。
茶絵ちゃんも真剣な眼差しでるきにゃんを見つめる。

「たぶん、社会学者の宮台さんだったと思うんですけど、
なんで日本人は『水戸黄門』が好きなのかということについて、書いていたんです。
お二人さんは聞いたことありますか?
その話の内容を簡単に言うと、こういうことです。
『水戸黄門』というテレビドラマが日本人に好まれるのは、物語の内容ではなく、物語の構造がマッチしているから、という考え方です。
『水戸黄門』は何十年も続いている1話完結の物語で、
物語の細部の違いはあるにしろ、基本的には毎回毎回全く同じ物語構造です。

(1)見た目はただの人のいいおじいちゃんだけど実はものすごい権力のある水戸黄門さまが、角さん助さんを連れて町に泊まる。
(2)その町で、悪代官が悪いことをしている。
(3)水戸黄門たちが追いつめる。
(4)悪代官は追いつめられる。しかし、「ただのじじいじゃねーか。始末しろ」と逆ギレする。
(5)水戸黄門が「助さん角さん。こらしめてやりなさい」と言う。こらしめる。
(6)決まり台詞。「こちらに居られる方をどなたと心得る。恐れ多くも先の副将軍、水戸光國公であらされるぞ」
(7)解決。完。

ここで、宮台先生が着目したのは、
(1)視聴者は『本当はすごい能力を持っている自分なんだけど、決して奢らず自慢もせず謙遜に生きている水戸黄門』に自分自身を無意識のうちに投影している。
(2)『権力を振りかざしたり自慢したり豪遊している悪代官』を謙虚さがない悪い奴と設定。
(3)悪い奴をやっつける。そのとき、悪代官を上回る権力を、自らではなく、周りの人の口から発表・誇示し屈服させる。
(4)日々の(自分の)謙虚さが報われる。みんなにありがとうありがとうと言われる。
   気持ちが解放される。カタルシスが得られる。
ということで、もっとまとめていえば、

『普段は謙虚に生きてるけど本当はすごい自分、という抑圧が最後には完璧な形で報われ、解放してくれる物語構造』

であるが故に、日本のお年寄りに大人気だという話です。

なるほどなーっと思ったわけです。
やっぱり、その物語が気に入るかどうか、というのは、見る人が欲しているものなのかどうか、という点にあるわけです。

普段、お年寄りは、若い人の考えの浅さ、浅はかさ、モラルの崩壊を見てストレスを溜めています。
町やお店では非購買層扱いされたり、過剰にお年寄り扱いされたり、物理的な抑圧すら感じています。
でも、普段は言葉を飲み込んで、ぐっと我慢しています。

そういう気持ちが、『水戸黄門』という物語として表現され、最後には毎回報われているんです。解放されるんです。
これが、ちょっとでも物語構造を変えてしまうと、上手く動作しないかもしれません。
水戸黄門を20歳のアイドルが演じては、全然だめなんだと思います。
全然、こう、感じが出ないんだと思います。
そして、そのアイドル目当てに見る層にとっては、こういう物語構造は欲していないのです。

さて、こういう視点で考えると、どうでしょう?

『人気のある物語は、その物語構造を欲している人が多いから』
という考えに基づいて、今、人気のある、あるいはあった物語の構造解析をしてみてはどうでしょうか?」

ここまで、一気にるきにゃんは独白する。
独白、という言葉は厳密には意味が違うが、雰囲気としてはもう、会話というか独白である。

「長い」

と僕は素直に言う。
るきにゃんははみかみながら、空中に人差し指で円を描く。

「大事な話は情報量が多くなります。
てことは、情報量が多いということは、大事な話である可能性が高いということかもしれません。

と、まあ、それはさておき。

とりあえず、トトロ、ガンダム、エヴァンゲリオン、化物語、けいおん! あたりの物語構造を考えてみませんか?」

「……僕たちはそれ、わかるかもしれないけど、茶絵ちゃんは話についてこれないかもしれないよ?」
「あ。そうですね……」

「わ、わたしのことは気にしないでください!」

僕とるきにゃんが茶絵ちゃんを見ると、茶絵ちゃんは両手をぎゅーっと握りしめながら、うなずく。

「……ガンダムはよくわからないですけど、それ以外のアニメのことはわかります」

茶絵ちゃん、意外だ。

「さすが、茶絵にゃんです」
「で、でも、わたし、その前に、こう、疑問点が多すぎて、ちょっと……」
「いいですよいいですよ。どんどん聞いてください。どこらへんが疑問ですか?」
「こ、こんなこと聞くと、怒られちゃうかもしれませんけど、あ、あの、社会学って、なんなのでしょうか?
 単純に社会のことを考える学問なのでしょうか?
 そもそも、社会のことを考えるということが可能なのでしょうか?」

茶絵ちゃん、超序盤のところで引っかかってた。

「……いいですよ。では、そこから一緒に考えましょうね、茶絵にゃん」
「はい!」

ここで、ひとつ、説明が必要になる。
僕達がどのようにして、茶絵ちゃんをしゃべらせることに成功したかについてである。
それは、種明かし、というほどのものでもない。

僕は茶絵ちゃんの『症状』がなんとなくわかっていた。
それは、僕が茶絵ちゃんと似ていたからだ。
僕も会話が苦手でコミュニケーションが苦手だ。
人間が嫌いなわけじゃなくて、言葉が嫌いなわけでもない。
けれど、自分から積極的に何かをしゃべろうという気持ちには全然なれない。
誰かとしゃべるより、ぼんやりと考え事をしたり、調べ物をしていたほうがいいと考える。
簡単に言えば、僕はいつも、自分の心の内面に意識を沈ませがちなのだ。
茶絵ちゃんもそうだった。
ただ、僕よりも何倍もその傾向が強かった。
茶絵ちゃんは自分の心の中から溢れ出てくる疑問や言葉に耳を離すことができなかった。
心の外側、現実からの信号が心に届かなくなるくらい、ものすごい集中力で自分の内面に沈み込んでいた。

僕は、なんとなく、そのことに気付いていた。
だから、僕は茶絵ちゃんに1つの提案をする事にした。

『僕達は茶絵ちゃんの疑問に全て答える。だから、心の中での問題を全て口に出してみて』

茶絵ちゃんはそれを聞いて、びっくりしていた。
そして、すぐに指を折って数え始めた。自分の中の問題が、何個あるのか、数え始めたみたいだった。

るきにゃんは茶絵ちゃんの問い掛けを待ち構えた。
るきにゃんは解説魔である。るきにゃんは茶絵ちゃんと逆に、全ての問題に答えを付けたがる。
全然知らない分野の問題も、強引に自分なりの解答を作り出したがる。
それはそれでひとつの病気ではある。
でも、茶絵ちゃんとるきにゃんを対話させれば、そこにはひとつの循環系が成立する。

●●

「まずは、社会についてです。茶絵にゃん。
 社会とは簡単に言えば、人と人との関係のことです。
 大事なのは、『人と人との』というところですね。
 人が一人いるだけでは、そこには関係というのは生まれないからです」
「……」

茶絵ちゃんが黙ってしまった。
黙ってしまったということは、何か今の場所に引っ掛かりがあるということだ。

「茶絵ちゃん。全部言っていいんだよ。遠慮しないで」
「……はい」

茶絵ちゃんは僕とるきにゃんをちらちらと見て、恥ずかしそうに話し始める。

「あの、さっき、人と人との関係が社会である、と言いましたよね?
 で、人は一人じゃ関係が生まれないから社会にならないと、続けて言いました。
 ということは、人が複数いる場合は、関係が発生するわけです。
 そうすると、ここで、『関係が発生する』という動作的なことと、
 『関係』という名詞というか状況的というか、とにかくスタティックなものの二つが
 生まれますよね? そのどちらが社会なんでしょうか?」

「後者でしょうね。なぜなら、社会は確かに動的なものですけど、扱いとしては静的なもの
 だからです。社会を構成する要素、人間や組織は動的なものですが、それらの蠢きを称して
 『社会する』とは言いません。その蠢きの大枠化、あるいはパッケージ化したものを『社会』と
 呼んでいます」
「とすると、私はそこに引っかかります。そのように、ある意味、『凍結』された動的な存在を
 扱うことに、はたしてどの程度の精度があるのでしょうか?
 沸騰している水の水面を写真に収めて、その写真を解析しているような感じですよね?」
「うーん。そう考えますか。茶絵にゃん。では、逆に私が質問していいですか?」
「え?」
「茶絵にゃんはこういうグラフを見たことがありますか?」

るきにゃんはメモ用紙に大きく『山』の絵を描く。上に凸の形状。

「……正規分布ですか?」
「そう。統計、とりわけ自然現象を扱うときに出てくる物事の分布を描いたものです。
 この山の頂点がセンター値、いわゆる、平均値ですね。
 そしてその平均値から左右へとなだらかに曲線を描いてゼロに近付いていきます。
 世の中の全ての出来事は、――ある程度の母数が存在するという条件がありますが、
 この分布の相似形になるのです。このことに疑問はありますか?」
「……まあ、無いです。なんとなく、直感的にそうなる気がします」
「では、動的な社会を静的に扱うことで、この正規分布のどの範囲を捉えることが出来、
 また、どの範囲を捉えそこなると思いますか?」
「……わからないです」
「答えは、ここです」

るきにゃんは線を2本描いて、山をだいたい三等分する。
そして、線に挟まれた箇所を斜め線でハッチングする。

「この範囲を捉えることができます。そして、この範囲は全体の80%以上の面積になります」
「……」
「あ。茶絵にゃん。この絵だとそうは見えないかもしれないけれど、それは私の絵が下手なだけ
 だからです。本当の正規分布を描けば、ちゃんとそう見えるのです」
「……はい。まあ、るきあさんが言うならそういうことでいいです」
「え? だ、だめっ」
「え?」
「るきあさんとか言っちゃだめッ! るきにゃんって言って!」
「え? で、でも」
「るきにゃんって言って! あずにゃんって言うみたいに!」
「え、あ、あの、る、るきにゃんさん……」
「るきにゃん!」

「る、るきにゃん」

「……ということで、茶絵にゃんの言うとおり、
 このような『社会』の定義では、全体を捉えることができません。
 でも、全体の80%は捉えることができるわけです。ここをどう考えるかですよね?
 それでいいの? って考えるか、まあ、そこから始めるか、というスタンスの問題です」
「……はぁ」
「茶絵にゃんはどういうスタンスですか?
 完璧じゃないとダメですか? それとも、80%でもいいか、という感じですか?」
「完璧じゃないとだめです」
「完璧じゃない人間は認めませんか?」
「……いえ、そういうわけではないです。だって、私自身、全然完璧じゃないですし……」
「ある意味、茶絵にゃんは0点か100点かというデジタルな価値観ですよね?
 でも、80点、いや、60点でもいいか、というスタンスというのもあるわけです。
 5教科中、2教科が100点で後は0点だと、合計は200点。
 でも、5教科とも60点なら、300点ですよ? 世の中はそういう風に出来てるのです」
「……それは、認めます」
「ですから、80%というのはばかに出来ません。5教科80点なら400点なのですから」
「……そうですね」
「ということで、社会学というのは存在しうるのです」
「……はい」

るきにゃんのこの強引な論理展開を『知的』とみるか『詐欺的』とみるか、
僕には判断ができない。でも、なんとなく、るきにゃんを病院に入れた人の気持ちはわかる。

●●

「では、茶絵にゃん、次の質問をどうぞ!」

るきにゃんはベッドのシーツをぱんっと叩いて威勢良く言う。
茶絵にゃんも勢いに押されてぱかっと口を開けてみるも、特に質問はないらしく、ぱくっと閉める。
でも、なんか落ち着かない様子でもそもそしながら、はっと何か思いついたように顔を上げる。
(僕も茶絵ちゃんのことを茶絵にゃんと呼ぶ事にした。とても発音しやすいからだ)

「……るきにゃんさんは、なぜ、アニメや漫画ネタばかりを扱うのでしょうか?」
「そうですね。一番身近な物語だからでしょうね」
「テレビドラマや小説や歌の物語は身近ではないのですか?」
「身近じゃないですね。私、テレビは見ないですし、小説も読みません。歌も知りませんし」
「……物語、というのは、私達のこういう日常は除外されているのですか?」
「いえ、私達の毎日も物語の1つです。でも、それは私の中の物語なんです。
 私自身を含んでいる、私の物語なんです。それは勿論大事だけれど、私が考えたいのは
 私の外側にある物語なんです。なぜならば、それは『私の知らない物語』だからです」
「そういうことであれば、小沢一郎、菅直人、鳩山由紀夫という人たちの物語も
 それに当てはまりませんか?」
「当てはまります。でも、それらの『現在進行形の人物』を語るのは私の趣味じゃありません。
 それに、そういうのは危険ですし、色んな意味で巻き込まれる可能性があるのです。
 そうなれば、それは私を含む物語になってしまいます。それは避けたいのです」
「……質問を変えます。
 るきにゃんさんは作り物の物語だけを扱うというスタンスなのですよね?
 なんとなく、それは『粉末加工された金魚のえさ』のような感じがします。
 色々な情報がカットされた後の、滅菌消毒されて味付けされた後の、そんなエサを食べて、
 でもリアルな『食べ物』を語ろうとしているのです。
 そういう態度は本当にいいのですか?」
「ある視点から見れば、そのような様相に見えるでしょうね。
 でも、私達のこの現実という物語は本当に『金魚のえさ』に勝るのでしょうか?
 私達は現実を居て、本当に、ありのままの現実・世界を見ることができているのでしょうか?
 世界を目で見て、その光の情報を色彩として捉えて、静止画をフローにして物語を脳内で
 作り上げているのが私達です。
 石が転がっている。目を瞑っても、石が転がる様子が目に浮かぶ。
 そういう物語を私達は無意識に作り上げています。
 だからこそ、それは自分勝手なものになるし、間違いも含んでいます。
 色々な情報をカットして、滅菌処理して、自分の脳内で物語にしています。
 リアルな現実を、自分で解釈するために、自分の脳内で加工して劣化させています。
 考えようによっては現実だって私達は『金魚のえさ』にしているのです」
「……それは、情報を受け取った後の話ですよね?
 情報としては、下流側、二次側の話です。
 問われるべきは、情報の一次側なのではないのでしょうか?
 ゲームの中の人は、決められた内容のことしか言いません。
 でも、リアルの人はそんなことはありません。
 そういう一次側情報のリアルさが、作られた物語には欠けているのではないのでしょうか?」
「茶絵にゃんの『物語』は、限りなく、今に近いものが想定されていますよね?
 でも、私の思う『物語』は、『記憶』と同じく、過去のものを意味しています。
 だから、私自身が介入したときのリアクションのリアルさは問われないのです」

……だんだん、禅問答みたいになってきた。

「……るきにゃんさんの言う『物語』は『記憶』と同じなのですか?」
「時間感覚としては同じです」
「ということは、『物語』とは『過去』のことなのですか?」
「そうです」
「『物語』を考えるということは、『過去』のことを考えるということなのですか?」
「時間感覚としてはそうです」
「私達は『今』に生きているのに、『過去』のことを考えるということには意味はあるのですか?」
「意味はあると私は思ってます。『今』というものは単独的に、非連続的にここにあるというわけでは
 ないからです。『過去』というものとの連続としてあるのです。よりよい『今』を生きようとするなら、
 『過去』への洞察があってしかるべきだと考えます」
「でも、その『過去』はるきにゃんさんのものではないのですよね?
 それは化物語だったり、けいおん! だったりするわけですよね?」
「私以外の『過去』を参照してはいけない理由なんてありませんよ?
 例えば、現代に生きる私達が織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の時代という『過去』を参照して、
 そこから得た教訓を『今』に生かしていけない理由はありません。
 そのような文脈で、私は私以外の『物語』を参照したいと思うのです」
「……では、最後の質問です」
「どうぞ」
「なぜ、そのような重装備な理論武装をしてまで参照しようと思う物語が、
 化物語やけいおん! なのですか?」
「理由は二つあります。一つは、現代的な物語だからです」

るきにゃんは、こほん、と小さく咳をする。
そして、厳かに言葉を繋げる。

「もう一つは、私が好きな物語だからです」


●●


二人の話を聞きながら、僕は僕なりに考える。

有限な人生の中で、考えるべき『物語』とはどんなものだろうか?

大切な物語。
大事な物語。
かけがえのない物語。

言葉にすれば、そのように書けるけれど、実際にはそれらはどういう物語なんだろう?
また、反対に、大切じゃない物語、大事じゃない物語、代替可能な物語とはどういうものなんだろう?

僕の生きている時間は短い。
本当の意味での『やらなくていいこと』を悠長にやっていられるほどの潤沢な『残り時間』はなさそうだ。

もしも、『Aについて考えること』が有意義であり、『Bについて考えること』が無意味であるならば、
僕がこれから考えるべきことは当然、前者の方だ。
いくらAについて考えても誉められなくて売れなくてお金にならなくても、自分にとって有意義であると判断したAについて、
とことん考えなければならない。
それに、自分の中でBについて考えても無駄だと思ってしまった以上、無理矢理、だましだましBについて考えたところでモチベーションが上がらない。
モチベーションが上がらなければ、精度も品質も熱意も下がる一方だ。
たとえ、世の中の風潮がBを主流として動いていても、自分にとってBが嘘であるならば、僕はそれを選択しない。

では、自分にとって、Aとは何で、Bとは何であろうか?

A、あるいは、Bは、固有名詞じゃない可能性が高い。
何かと何かと何かを含む、という言い方の、『集合』、あるいは『状況』である可能性が高い。
もしかしたら、『傾向』であるかもしれない。
いずれにしろ、曖昧ながらも確からしいこととしては、それは『前向き』な何かであろうということだろう。

閉めるというよりは、開ける。
終わるというよりは、始める。
やらないというよりは、やる。

ここで僕は、Aに『良い人生』という漠然とした大きな言葉を入れてみる。
『良い人生』について、考える。
それは確かに前向きであり、有意義だろうことは間違いがない。
しかしながら、そこまで大きな括りにすると話題がちっとも収束しないのではないか、とも思う。

『良い人生』という言葉の範囲を少し狭めて、
『良い成長』としてみたらどうだろうか。

『成長』という言葉からは一つの流れが生まれる。

確かに、自分自身の成長のためについて考えることは、それなりに意味がありそうではある。
ということで、早速僕は自分自身の『良い成長』について考えようとし始める。
それに、成長というのは、物語と深く関係している。
例え、サザエさん的時空であっても、常になんらかの形で成長はありうる。
失敗をすれば学習する。
すぐには反映できなくても経験する。
結果をもって学習し、それが成長になって、人生になる。

それはそのまま物語と同じ構造なのではあるまいか。

●●

「と、いうことで、どう思いますか?」

上記は、るきにゃんの台詞である。
僕は、突然のことなので全然わからず、目をぱちぱちさせる。

「……聞いてなかったんですね?
 いいでしょう。もう一度、掻い摘んで説明しましょう」

るきにゃんはキューティクルな黒髪に手串を入れて、さらっと流して言う。

「私と茶絵にゃんは物語について、議論をしていました。
 色々な脱線はありましたが、結局、結論はこういうことです。
 『物語について考えることは私たちの人生に有意義である』
 その前提を足場に、特に物語の種類を選別せずに、その物語構造を手探りでみていきました。
 その結果、物語において、様々な細部の違いはあれど、軸になる部分は概ね下記の3種類であろうということに気づきました。
 (1)成長する物語。(あるいは獲得する物語)
 (2)旅に出て、帰ってくる物語
 (3)不安定が安定になる物語。
 もしかしたら、これらは3つとも、実際には同じ『何か』についての物語なのかもしれません」

るきにゃんの説明を聞きながら、茶絵にゃんは頷きながらも難しい顔をする。
こういう漠然とした話題をざっくりとまとめると、どうしても細かいニュアンスが死んでしまうのはしょうがない。
しかし、茶絵にゃんはまだそのしょうがなさに慣れていない。

「ところで、ここで茶絵にゃんが異議を唱えました。
 分類についての異議ではありません。
 (1)の『成長』についての異議です。
 茶絵ちゃんは「『成長』は限度があるのでそれを軸にした物語にも限度があるに違いない」と言いました。
 その一例として、経済成長には限度がある、ということを挙げました。
 物語と経済では、全く話が違うと思われるかもしれません。
 しかし、もしも全く違うのであれば、経済を物語として語ることができないということになるのです。
 それは私の感覚とは異なります。
 私の感覚としては、世界のすべて、人生のすべてが物語として語られないはずがないのです」

それは、るきにゃんの文体によるものなのではないか、と僕はちょっと思う。
るきにゃんの文体は何かを語ろうとする志向が強い文体だ。
おそらくは、語ることができない何かですら、文体の形式によって語ってしまう、あるいは、エラーを飲み込んですら、語ったようにみえてしまう。
詐欺師のような文体。
良くも悪くも、るきにゃんはそういう文体の持ち主だ。

「そこで、こういう問い掛けが始まりました。
 『経済は、あくなき成長が可能なのでしょうか?』」

るきにゃんは、人差し指と中指を揃えて、唇に当てる。
僕はなんの気なしに、その仕草に見とれる。

あくなき、経済成長。
それはありうるか。

おそらく、経済学者や政治家、金融会社、そういう人たちの公的発言としては、
『ありうる』
と言うだろう。
そう言い張る理由はともかく、そう言わない理由がない。
グラフの線は、右肩上がりでなければならない。
そうしないと、経済のすべてが成り立たないからだ。

僕は、経済の仕組みなんてよくわからない。
知っているのは、お金のやりとりと、新聞に書いてある、経済成長率くらいなものだ。

経済成長率。
たとえば、これが+4%だった場合、その国は昨年に比べて、4%多く、価値を多く生み出したことになる。
価値を生み出した、ということはお金に換算されて評価される。

昨年は、100本のにんじんを作りました。
今年は色々と工夫をしたので、104本のにんじんが出来ました。
経済成長率、4%達成。

ところが、昨年は100本のにんじんでも世界は回っていたはずである。
今年は4本余計にできたけれど、その4本を買ってくれる人はどこにいるのだろうか?

もしも、市場規模からして100本で飽和していたら、4本が余ってしまう。
その4本を買ってくれる人を捜さなければならない。

(1)新しい市場を開拓する。(輸出する。さらなる需要を喚起する方法を考える)
(2)既存の市場の母数を大きくする。(人口を増やす)

輸出して、その輸送コストを加味してまで儲けが出るほど、自分のにんじんには価値があるだろうか?
あるいは、他の人のにんじんに比べて、安いだろうか?
需要量に対する供給量が適切か?

「……にんじんだけ作っていては、頭打ちになりそうですね」

茶絵にゃんは言う。

「でも、すべての商品についても、同じことが言えるのでしょうね」

刻々と、にんじん市場の競争が激しくなる。
そして、市場には下記の2種類のカテゴリでにんじんが争い始める。

(1)高付加価値にんじん
(2)低価格にんじん

(1)のにんじんは、高級レストランなどで扱われる。高価格だが、売れる数は少ない。
(2)のにんじんは、不思議なくらいの低価格で売られる。市場シェアの9割を占める。

(1)も(2)も、製造者はほとんど儲からない。
苦しい戦い。
働いても働いても楽にならず。じっと手を見る。

高付加価値にんじんは、ある意味、職人芸の域に達している。
ひとつひとつ、丹精込めて育てられる。
誇り高きにんじん農家。
しかし、儲けはあまりなく、後継者もやってこない。

低価格にんじんは、効率性を重視した、にんじん栽培工場で作られる。
ぎりぎりまでコストダウンを図られたその工場では、少ない人数の作業者が、ロボットのように働き、薄利多売で儲けを出す。
1分の無駄が損失になる。
厳しい戦い。見返りもあまりない。

低価格にんじん工場は、やがて、より利潤が得られる、法人税の安い、人件費の安い、海外へと移設していく。
そこでさらに安く作られたにんじんが市場シェアを奪っていく。

「消費者としては、同じにんじんなら、安いほうを買いますよね。
 それがデフレを生むと言われても、困るわけです」

でも、にんじんをさらに、さらに多く売らなければならない。
そのために、にんじんをもっと安く作り、利益を得た中で、価格を落とす。
4円コストダウンして、市場価格を2円下げる。
1万本売れれば、2万円の利益アップになる。

「そういう方向からの視点と、『新しい物作り』という視点があります。
 前者の利益の取り方、いわゆる、コストダウン競争のやりかたは、限界があるのです。
 コストダウン理想値に肉薄していくためのコストダウンコストが、そこで得られる利益と逆転したところで、にんじん競争はおしまいになり、市場は固定化します。
 そうしたら、成長はなくなります。
 だから、成長を目指すのであれば、後者に軸足を移さねばなりません」

すなわち、それは、
事業変革。
イノベーション。

「にんじん事業がコストダウン競争に陥っていったら、新しい事業を立ち上げなければなりません。
 そのためのコストを惜しんではいけないのです。
 と、この前、ドラッカーの本に書いてありました」

と、さらっとるきにゃんは言ったが、ちょっと大雑把すぎる気がしなくもない。

それに、だいぶ話がずれてきている。

「いえいえ、私の言っているのは全て比喩なのです。
 ずれているのは、細部の話ですが、スケールではありません。
 にんじん市場が飽和したころ、たまねぎという新しい種を見いだし、これがまた一つの一大市場を形成します。
 そして、かぼちゃ、きゅうり、きゃべつ、と
 新しい商品が発見され、開発され、その度に市場全体が拡大します」

「……商品点数はそうかもしれないですけど、買う人はどうなのでしょうか?
 買う人のお金は無限ではないはずです」

「そうですね。では、次は貨幣という側面から考えてみましょう」
「……るきにゃん、手短にお願いします」
「わかりました。3行で終わらせます。
 買う人のお金は有限です。
 ですが、好い意味のインフレと、価値のコントラストのため、
 見かけ上、消費活動の右肩上がりの成長はあり得ます」
「るきにゃんさん、全然意味がわかりません……」
「るきにゃん、ありがとうございました。お時間が来たようです」
「ご静聴ありがとうございました」

ぺこり、と頭を下げるるきにゃん。
院内放送にてチャイムが流れ、お昼御飯の時間となる。



お昼御飯の描写が必要だろうか。
まあ、迷うくらいならさっさと書いてしまったほうが精神衛生上好ましい。

白米ごはん。
ほうれん草の卵とじ。
ひじきと大豆の煮物。
ポテトサラダ。
大根の漬物。
ネギの味噌汁。
お茶。

僕は、いわゆる『病院食』が嫌いではない。
きっちりと栄養設計され、カロリー管理された無味乾燥な献立は、
なんだか非日常的なわくわく感に満ちているふうに、僕には感じられる。

768kCal。
塩分 2.6g。

茶絵にゃんがその表記を見ながら、もぐもぐと咀嚼する。
そして、「……」と考え始める。

「茶絵にゃん。いいところに目をつけましたね」

るきにゃんが猫のような目をしながら言う。

「カロリーと経済を結びつけるという着眼点は結構本質を突いています」
「……読心術?」
「……あ、あの、私、それは考えてませんでした。ただ単純に、結構カロリー多いなって」
「育ち盛りですからね」
「そこで『ばっさりだ』って言わないとけいおん! 好きとは言えないのでは」
「あんまり『ばっさり』感がなかったので、その発想は浮かびませんでした」
「るきにゃんさんって、あんまり他人の心、読めないんですね」
「茶絵にゃんって、朝霧の巫女、まだ読んでないんですね」
「なんだ急に。そんな会話の繋ぎ方はありえないだろ」
「韻が踏めてれば、だいたいの会話は繋がります」
「そんなことは無いと思うけど」
「曽我部先輩は来ないと思うけど」
「ソナタ形式のソリチュード」
「こなた、定例のアップデート」
「MMOにはまってるキャラクタが出てくる4コマ漫画っていいですよね」
「『らきすた』と『まーぶるインスパイア』くらいしか知らないなあ」
「無いなら作ればいいんです……って、あ」

そう言って、るきにゃんは、ハッと何かに気付く。
そして、妙にそわそわし始める。顔が赤い。

「……どうかした?」
「あ、いえ、その、恥ずかしながら、私、今更、気付いたことがありまして……」
「何を?」

「私が入院している理由は、私の情報中毒、情報依存を治すためでした。
 だからこうして、テレビも本もインターネットも携帯もない病院の中で生活をしているのです。
 で、実際、情報を絶ってみて、どうだったかといえば、別になんともないのです。
 なぜなら、自分自身で情報を作り出しているからです。
 外部の情報が無いから、自分で作っているというわけです」
「……で?」
「つまり、情報の自己参照です」
「自己参照?」
「自律と言ってもいいです」
「はい?」
「例えで言えば、今まで、ずっと私は『巫女フェチ』だったのですよ。
 『巫女中毒』あるいは『巫女依存』と言ったほうが関連付けしやすいでしょうか。
 で、今気付いたら、いつの間にか、私が『巫女』になっていたのです」
「……はい? 何が? それ、今までの話とどう繋がるの……?」

「私、なんとなく、わかりました」

茶絵にゃんが言う。

「だって、巫女は物語を伝達するパケットですから」
「そうそう! そうなんですよ、茶絵にゃん!!」

……。

……何が?

何が、だって、なのか全然わからない。
そして、そのあと、るきにゃんは夜中まで永遠と『そのこと』について語り続けることになるが、
その内容は後日に書くとして、僕としてはとりあえず30kbyteのここらへんでテキストを切って一区切りにしたい。



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