『断片的過ぎるブログ』ランキング上位を目指す。 2010年11月28日 日記 トラックバック:0コメント:0

【今日の数学的ツンデレ】

∞÷0=∞だから、∞×0=∞なんでしょ!?
わかってるわよ そんなこと!!


【今日の漫画】

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【今日の小説】


「昨日の会話に出てきた『あれ』なんですけど、google画像検索してみたら最悪最低な行為だということがわかりましたので、
 もし、あれを本当にしようと思うのであれば、私はあなたたち二人を殺します」

殺します。

という言葉。
そういう言葉は確かに存在する。
実際、現実に目の前で発音されており、またそれ以前に彼女の脳内でイメージされている以上、存在を疑うことはできない。
けれど、少なくとも、僕たち3人の間の中では意味を持たない。

と、こう書くと、『存在』と『意味』の違いとは何かを明確にしなければならないが、
その答えは非常に単純であるため、下記に簡単な説明を記載する。

その言葉の違いとは『現実への影響度と質感の有無の評価比較で判別できる』として表現される。

赤い、という情報は存在しうる。
「殺します」と発言した少女のセーラー服のリボンは赤い。
赤い、ということの意味は、少女が中学1年生であること、である。
もちろん、少女の華奢で白い肌に赤が似合っている、という意味も付け足しうる。

これが、赤ではなく、青だったらどうだろうか。
例え、リボンが青でも少女が中学1年生であることには違いがなく、そのために世界の設定が書き変わって青色リボンが中学1年生を意味するようになる。
もしかしたら、少女は青色だって似合うかもしれない。
そうすると、結局は赤であろうが青であろうが関係がなく、しかしながら意味は同じ内容でそこに居座り続ける。

赤も青も存在しうる。
しかし、意味は赤や青に依存しない。
すなわち、現実には影響せず、質感も無い。

少女の言う「殺します」も、同じ構図で僕たちの前にある。
「殺します」という言葉はあるが、そこには意味はない。
別に「殺します」じゃなくても「転がします」でも「焦がします」でも「濾します」でもいいのである。

――話が冗長過ぎるだろうか?
もっと端的に言えば、こういうことになる。

『少女の言う「殺します」には意味がない』

「殺します。ほ、本気です」

少女――僕の後輩の円(まどか)は僕の冷め冷めとした心中を察したのか、念を押して再度発言する。
それを受け、僕の隣にいるもう一人の少女――僕の先輩の
式(しき)は任天堂DSから目を離さずに下記のように発言した。

「それはえろえろな意味で受け取っていいのかな?」
「ち、違います! 文字通りの意味でです!
 第一、変ですよ! 
 えろえろな意味で殺すだなんて、全然イメージができませんし!」
「そう?
 じゃあ、思考実験してみよう。
 ここに男性先生Aがいるとする。
 私がA先生を誘惑する。
 A先生は自分の先生としての立場と自分の中の欲望とで葛藤する。
 私はどんどんA先生を接近する。いろんなコトをする。
 A先生は色んなコトを知ってしまう。
 色んな触感や、匂いや、感情の高まりを知ってしまう。
 A先生は仕事に手が付かなくなる。
 業務崩壊。
 家庭崩壊。
 いつも脳裏に浮かぶのは私の身体のことだけ。
 はい。ここで、第一段階の『殺し』に到達しました」
「ひ、ひどい。悪女過ぎます」
「夜中の教室。
 私とA先生と二人きり。
 以下略。
 私は携帯で行為を撮影する。
 先生の犯罪的現場を動画で記録する。
 これをネタに私は先生を支配する。
 これが第二の『殺し』であります」
「な、なんですか? なにをしちゃったんですか!?」
「やがて私の要求するお金が払いきれなくなって、A先生は破滅する。
 その際に私を巻き込もうとする。
 私はそれを察して『証拠動画』を匿名でyoutubeとマスコミと警察と教育委員会に提出する。
 先生は社会的に殺され、二度と表の世界には出てこれない」
「そんな……。でも、いいんですか? そのときは式先輩だって希代の悪女として世間に晒されますよ?」
「私は被害者です。非力な弱々しい哀れな存在なのです」

式先輩はそう静かに言い、DSの下画面をスタイラスで撫でる。
脳内で一人の先生を破滅させた彼女であったが、実は今更ながら、世界樹の迷宮にはまっているのである。

「……これで、明らかになりましたよ、貴先輩。
 式先輩というのはとんでもない悪女であります。
 こんな女とは一刻も早く離れたほうがいいと思います」
「離れるも何も近づいてもないが」
「ねえ、まどにゃん。私、こういうの『悪女』じゃないと思うなあ」

まどかは怪訝な表情で式先輩を見る。

「……じゃあ、なんだって言うんですか?」
「荒れ果てた世界を再構築するために強く賢くなりしもの、すなわち荒れし世の性的少女、でどう?」
「ですね」
「まどにゃんはえろえろなコトに抵抗感があるみたいだけど、私にとってはえろえろっていうのは低俗なことでも禁句的なことでもないんだよね」
「……はい? あ、あの、この流れ、どっかで見たことあるような……」
「私に言わせれば、『プロトコル』あるいは『インターフェイス』なんだよね」
「『荒世神性的少女の纏いしインターフェイス』ね」
「それとね、私の解釈では『破滅』じゃなくて『シフト』って呼びたいな。
 現実というレイヤーから一段階上層の、より本質的な世界へと先生の魂が移行したという、させたという私からの干渉であって、それで」
「もういいです。式先輩は変態です」
「ですね」

裏切るな、と式先輩は僕の頬を軽くつねる。

「とにかく、そういうことなんだよ。
 そういうことなの。いいかな、まどにゃん!」

そう言って、式先輩はニコっと笑う。
その笑顔には嘘や偽りは微塵も混じっていなかった。
僕もまどかも思わず見とれてしまうほどの笑顔。
式先輩の本当の恐ろしさはこういうところにあると僕は思う。

「……ええと」

まどかは額に指を当てて、悩ましげに目を瞑る。

「なんの話をしてたんでしたっけ……」

「まどにゃんが私をえろえろな意味でころころするっていう話だったはず」
「……そうでしたっけ?」
「そうするためにどうすればいいか、google画像検索で調べてたとか、なんとか」
「……あ、そうですそうです、ってそうじゃないです!」

まどか、ノリ突っ込み。
手の甲でベシっとなぜか僕を叩く。

「昨日、式先輩が、貴先輩に『着衣パイズリ』してあげるって言ってたじゃないですか?
 私、なんだろ、それ、って思って、調べたら、
 もう、なんていうか、とんでもない変態行為じゃないですか!
 あんなこと、許されるわけないじゃないですか!」
「まどにゃんが許すも許さないも、そういうコトは起こり得るよ」
「こ、ここではっきりさせようじゃないですか!
 貴先輩と式先輩は付き合ってるんですか!?
 恋人同士なんですか!?」
「違う」
「違うよ。ただの部活のメンバーだよ」
「ですよね!
 なのに、あんな汚らわしい男女の行為をしようとするのは異常です!」
「異常っていうか、まあ、私のおっぱいが大きいから、できるかも、というだけで」
「いやいや! 確かに私のじゃできませんよ!?
 確かに式先輩のおっぱいだったらできそうです!
 でも、そういうことじゃないでしょう!?」

僕は隣の式先輩の胸とまどかの胸を見比べる。
確かにそうだなと思う。だけど、それは口に出さない。

「やれる可能性があるから、やる、だなんて獣と同じです!」
「まどかは、したくないの?」
「ど、どういう意味で!?」
「憧れの貴先輩に好かれたくないの?」
「ちょ!?」

まどかは顔を真っ赤にして目を見開く。

「な、何を言って……」
「私は後輩に好かれたいな。
 貴は私のおっぱいが好きだろうし、パイズリしたくてしたくてしょうがないだろうし、
 私も私でそういうこと、してみたい。
 貴は私にパイズリされて、私のことが好きになる。
 私としても後輩に好かれていい気持ちになる。
 パイズリってのもしてみたい。
 ここで利害関係の一致があるわけです」
「……貴先輩、この人、すごいことをしれっと言ってるけど真面目に聞いちゃだめですよ?」
「じゃあ、ここで考えてみようよ、まどにゃん。
 まどにゃんが貴にパイズリさせろと迫られて、まどにゃんが私みたいに巨乳だったらどうするよ?」
「……まあ、拒む理由はありません」
「以上で論破終わり」
「ちょ!?」

僕は紅茶を飲む。
今日も紅茶が美味い。

「……貴先輩。聞きました?
 こんな、痴女、絶対だめですよ?
 こんなの彼女にしたら、絶対不幸になります。
 この女、ふしだらな欲望垂れ流しのだめ女です」
「まあ、脳内妄想だけだけどね」
「絶対嘘ですね。遊びまくってるに違いないです」
「まどにゃん。私、全然遊んでないよ。友達いないし」
「……いえ、性的に、ですよ?」
「中3だけど、私、彼氏いないし。いたことないし」
「……」
「男には触ったことがありません」
「……本当ですか?」
「……本当だよ。言わせないでよ。恥ずかしい」

式先輩は任天堂DSを折り畳む。
そして、ぬるくなった紅茶を飲み、一息つく。
まどかは思い出したかのように、あわてて紅茶カップをつかみ、一口飲む。

ふと、式先輩が手を伸ばし、まどかの頬をさらりと撫でる。
その白い指先がまどかの卵のような顔の輪郭をなぞり、首筋を通って胸元へと降りていく。

「……まどかって、可愛いよね」
「……な、何を言って……」
「私、最近、まどにゃんのこともおかずにしてるんだよ?」
「……は、はい?」
「3P、したいな」
「……ゲームの話ですよね?」
「まどにゃんと貴と私で肌を重ねるという意味ではゲームではある」
「どんな意味ですか!?」
「……する?」
「しません!」

式先輩の指たちがくねくねとまどかの右胸で遊んでいる。
僕はそれを見ないようにする。

「起こりうることは起こりうる、というのは世界の実情だよ」
「……ま、またそういう詭弁を……」
「……まどにゃん、ここ、硬くなってきたね」
「ひぁっ……」
「私、思うんだよ。
 私たちは複雑な構造体にぶちまけられた『水』みたいなもので、
 私たちの人生はその構造体に浸透するという過程なんだよ。
 憲法、法律、ルール、そういう規範で遮られた、構造体の奥深くにも、いつのまにか足を踏み入れてしまう。
 浸透する可能性のある場所には浸透しうる」
「な、なんだかよくわからないことを言ってますけど……やってることはただのセクハラですよね……」
「もっと大きな視点から物事を見た方がいい」
「……どこから見ても、後輩をいじめる先輩という構図には変わりがありません」

じゃあ、やーめたっていう感じで式先輩の手が慰めをやめる。
かわりに僕の下腹部へとやってくる。

「ちょ!
 貴先輩に手を出すなら私をいじめてください!」
「ふうん。まどにゃんはルールを作る子だねえ。
 ひとつ覚えておいたほうがいいよ。
 ルールは自分のために作るのはいいけど、他人のために作ってはいけない。
 なぜなら、それは他人への命令と同じだからだよ。
 そして、なにより、自分で作ったルールで自分が破滅するからだよ」
「……式先輩は自由すぎます……」
「私は貴のあそこを触ろうとする。
 まどにゃんはそんなことをするなら私を触って、と言う。
 なら、ほら。
 触ってあげるから、ここにおいで?」

ぽんぽん、っと式先輩はスカートの上から太腿を叩く。

「……式先輩の太腿の上に座れ、ということですか?」
「そうだよ。そうして、私はまどにゃんを触りまくる」
「……そうしないと、貴先輩を触るということですか?」
「そう。だってそれがまどにゃんのルールなんでしょ?」
「……わ、わかりました」

まどかは小さくため息をついて、立ち上がる。


【日記】


私は漫画キャラみたいな性格だとよく言われちゃいますけど全く持ってそんなことはないのです。
そもそも漫画キャラみたいな性格とはどのようなものなのでしょうか?

『テンプレート的な思考・反応・行動』とか
『奥行きの感じられない薄っぺらい性格』とか
『オフラインRPGのNPCのようなロボット感』とかなのでしょうか。

あるいは、ペルソナ的、仮面的な性格とかでしょうか。
コンビニ店員はコンビニ店員らしく、魚市場業者は魚市場業者らしく、
作家は作家らしく、先生は先生らしく、メイドはメイドらしく、
内部処理の個々の差違をラッピングして画一的な外面を装っている、みたいな感じでしょうか。

もちろん、今この文脈においては『ヤンデレ』とか『ツンデレ』とかもまた『漫画キャラみたいな性格』に含まれるに違いありません。
内面と外面の違いの発露、あるいは発露の抑制もまた、今日においてはテンプレート的過ぎるからです。

一方、テンプレート化を避けるという意味合いから、常に変化し続けるという人も、
実際には『常に変化し続ける人』というテンプレートの中にいると言えちゃうわけです。

常にダンジョンの構造が変わるという、1000回遊べる不思議なダンジョンゲームがありますが、
結局はゲームを司るフレームの『ダンジョンゲーム』は変化しませんので、
その根本のシステム自体に飽きてしまったら、いくらダンジョンの形状が変わっても新鮮さを取り戻すことはできません。

ゲームの例えを延長すると、もっと大きなフレームのテンプレート化とその『飽き』を考えることができそうです。

(1)ダンジョンの形状がいくら変化しようとも、そのダンジョンゲームというフレームに飽きたら終了です。
(2)ゲームソフトを入れ替えればゲームそのものを変化させることができますが、テレビ+ゲーム機+コントローラーというフレームに飽きたら終了です。
(3)遊びの種類は多種多様ですが、遊ぶということ自体に飽きてしまったら終了です。
(4)人間の行動の選択肢は無限大ですが、そもそも『私が何かをする』ということ自体に飽きたら終了です。

まるでダンジョンの形状が変わっても、全然新しい感じがしないみたいなニュアンスで、
私たちの毎日が流れてしまったら、それは私たちの毎日が飽きたということであり、終了ということなのです。

話がズレました。

話を元に戻しますと、要は『漫画的な性格』から逃げ出すことは非常に難しいのかもしれません、ということです。
これは、一行目の私の文章とは矛盾しているかもしれませんが、とりあえず、あまり問題視しないで進めます。

話をここでまたズラします。

飽きないものというものは世の中に無いのでしょうか。
今ここで、飽きるものをズラズラと列記することは簡単です。
小物・各論のようなものから始まって、どんどんと大きな分類にまで『飽きる』というラベルが貼られていくのではないでしょうか。
そのうち、最後の最後、『生きる』ということにすら、『飽きる』というラベルがぺたりとくっつく可能性があります。

まあ、どうでもいいですね。

飽きやすい私は飽きるということに飽きてしまいました。

話をがらっと変えます。

『幸せを追い求めてはいけない。
 日々の生活の中で世界について深く感じ入ることが大事である』

という文章をどこかで読んだことがあり、なるほどなあと思いました。
深く感じ入ること。想像すること。考えること。
それが何よりも大事であり、それを追い求めることが人生であるということです。

カロリー、情報、快楽、アルコール。
そういう、消費的な幸せは嘘なのです。
移ろいやすく、エスカレートしやすく、依存しやすく、破滅に結びつきやすいのです。

ちょっと宗教っぽいでしょうか?
でも、本当の意味での『宗教』であれば、本来はこういうことを真摯に問いかけるべきなのです。
私達は消費に堕するべきではないのです。世界に対して、考え、感じ、深く思いを巡らすべきなのです。

私達の想像力の射程距離は何mなのでしょうか。
私達の想像力の解像度はどのくらいなのでしょうか?
私達は想像力の触手をどこまで繊細にコントロールできるのでしょうか?

幸せを求めるのではなく、深く感じ入ることを求める。
想像力の触手を、大きく、繊細に、自在に世界に対して伸ばしていく。

これを追い求めるのが人生なのだと思います。


【断片】

弾幕STGが楽しめない体質になってしまった。
レイフォースや斑鳩のような演出系STGも合わなくなってしまった。

摂取し過ぎたのかもしれない。

初期の東亜プランSTGが妙にしっくりと来る。なぜか、初期に限るのである。
デジタル音が満載なミクスチャー音楽が聴けなくなって、無伴奏チェロを聴いているようなニュアンス。
良い悪い、進化退化ではなく、個人的な体質の変化に過ぎない。

東亜プラン初期STGの側から、CAVEを筆頭とする弾幕STGを見ると、
『なぜ、そんなに弾が多いのか』という素朴な疑問が立ち上がる。

これの答えはいくつも存在し、その答えのレベルも様々である。

『難易度を上げたいから』『いっぱいの弾を避けるのが楽しいから』
『ハードウェアの性能向上があったから』『演出として有効だから』

CAVEのSTG開発部長IKD氏は、後にCAVEで鋳薔薇を作ることになる
プログラマーの代表作品『バトルガレッガ』にインスピレーションを得て、弾幕STGの原型を作り出した。

私の個人的なバトルガレッガの印象は、
『非常にカッコいい。なぜなのか、よくわからないけれど、カッコいい』
だった。

ゲームとしては、とても難しく、4面でいつも全機を失ったのだが、それでも、ゲーム開始から終わりまでが非常に格好がよろしいと感じていた。
飛び散る破片、幾何学的な弾幕、抑制の効いたグラフィック、音楽、操作性。

しかし、中でも一番気持ちよかったのは、敵の弾速の遅さであったのかもしれない。

弾速を遅くし、その代わりに弾の密度を上げる。弾の軌跡を工夫する。
斑鳩の最後の戦いのような、奇妙なゲーム性。全ては、弾速の遅さから始まっている。
良い悪いではなく、そこが一つの重要な折れ曲がり地点である。

だからこそ、再び、東亜プラン初期から線を引き直すのも面白いのではないか。
すなわち、少ない弾で、どうすればプレイヤーを撃ち落とせるか。弾速と撃ち方。

弾幕STGだけがSTGではない。
その失われた血筋を復活させる時が、今、来たのではないか。


【脳内断片】

結局、そうせざるを得なかったのだ。それが私達の限界であった。おそらくは。

――私達を包み込んでいたシェリムの大結界は解除されつつある。当の本人は
「別にいいんじゃね? 窓は開けるためにあるわけだし」と再構築するつもりも無い。
とはいえ、ぬるま湯生活を長く続けてきた私達に、いきなり弱肉強食の渦中で生き残れ
る気は全くしない。今更、攻性線形魔法を磨くという気にもなれない。
外の世界は混乱と破壊と暴力で沸騰しきっている。少しは落ち着いたらどうだろう、
と私は思うが、どつかれたらどつきかえすというのが、実際的な私達の性質である。
ドストエフスキーを読んでも窃盗をしてしまうのが人間であり、シェークスピアを
読んでも嘘をつきまくるのが人間であり、闇金ウシジマくんを読んでも借金して
しまうのが人間である。私だって、口だけは平和主義だけれど、何かスイッチが
入れば、むしろ喜んで暴力的に振舞うこともあるだろうと、想像できる。
そもそも、小心者ほど非人道的なことを真面目に行う傾向があることは、歴史を
紐解かずとも広く知られていることである。現実的な暴力を前に、高尚な思想は
役に立たない。役に立つと信じるというのは物語になる。その物語を信じたいという
気持ちもよくわかる。それを信じることが、本当の平和に繋がるということも。
だけれど、それが出来ず、とにかく、今の苦しみを排除するために、思考を停止
させてしまうのが、また、人間ではあるまいか。少なくとも、歴史はその可能性を
提示する。そのために発生する不幸を、新しい苦しみを、その連鎖を、私達は
忘れない。忘れないのに、繰り返す。

デジタルが物凄く好きだった時代。全てをデジタルに置き換えて暮らしていた時代。
その反動で、デジタルが凄く嫌いになった時代。デジタル音が頭痛の元だった時代。
そして、今度はアナログとデジタルを上手く組み合わせていく時代。
私は自分の魔法コードを一から作り直そうと思う。
その程度の時間は、まだ私達にはあるだろうと思っている。


【MMO断片】

金が貯まれば貯まるほど、金への欲望は強まるばかりであった。
いまや、はした金すら惜しい。100ギル単位で惜しい。ドケチを通り越して、金の亡者に近い。
1000万ギルの貯蓄など、実際問題、全くもって貯蓄の内に入らない。
そして、そのはした金を巡り、私の心は疑心暗儀と不安に襲われて続けているのである。

まず、常に、窃盗を考える。通帳も印鑑も臭い場所にあるのは否定しない。
盗ろうと思えば盗れるに違いない。だからといって、すぱっと全額引き落とされることがあるだろうかと考えるが、
引き落とせる自信が無いならそもそも盗るはずが無い。
ゆえに、盗られれば、全て持っていかれるであろうと考える。
この悲観的な考えがもはや焦燥感の元である。
その焦燥感は、やはり、金への執着心に他ならない。
そんな中、下流食いという新書を読み、なおさら心がちくちくと痛んだ次第である。
やはりというか当然というか、あの無料エロサイトはサキュバスであったのだ。
あの、無料でAVのサンプルを放出し、SDカードにも保存して良いよと謳い、親切にもほどがあるような、
腰の低さで、毎日毎日、不思議なくらいに熱心に更新しているあのサイト群である。
非常に単純な罠が存在し、あそこで何かを購入し、住所と名前を晒したら、人生が終わるのである。そんなサキュバスの膣があのサイト群なのであった。
それに薄々は気付いていたものの、しっかりと可視化されてしまうと、後に残るのは形容しがたい恐怖心である。
怖い怖いと逃げ帰る、その逃げ帰った場所もまたトラップだらけだというオチも存在する。

ワイヤード自体がサキュバスなのであった。
もっといえば、堅実質素に生きること以外、欲望を満たそうとすることが、既に、狙われているし、フィッシングされているということなのだ。

ここで、私はひとつ、考える。1000万ギルは確かに貯まった。
でも、そんなのは、役に立たないから、捨てる。捨てたつもりで生きるんだ。
おそらく。何か過剰に1000万ギルを守ろうとすれば、逆に金の匂いをぷんぷん撒き散らすことになる。
例えば通帳を車の中に置いたり、印鑑を常に持ち歩いたり。
普通に考えれば、より一層のリスクを負うことに他ならないのに、視野狭窄になっているから、やってしまう。
毎日毎日残高照会したり。

話は変わるが、もうワイヤードはだめだ。全て監視されている。
まだ監視して無いよ。まだ始めてないよ。というのは嘘だ。
だから、もう完全にやめてしまう。それが一番のセキュリティーになる。
ワイヤードから完全に撤退する。
本は図書館。仕事に精を上げ、他の人に金を使ってもらって、貯蓄する。
子供を作るのは、まだ私の考えが固まってからになる。
少なくとも、人生の借金がある今の状態では、無理だ。


【ゼルダ断片】


ファミコンミニの『ゼルダの伝説』を借りる。
貸してくれた元ゲーム作家の友達は、「これを超えるゲームには未だ出会ってない」と言うのだが、
あまり鵜呑みにはしていない。こいつは「ゼルダの伝説、ゼビウス、怒首領蜂」の3本があれば、
もう他のゲームは必要ないと公言して煙たがられている人間であり、とにかく偏りのある性格をしている。
こいつにとって、特に『ゼルダの伝説』は神のようなものであり、語りだすと永遠と止まらない。

私は『ゼルダの伝説』は未体験である。SFCのゼルダ、64のゼルダ、GCのゼルダ、NDSのゼルダ、
GBのゼルダ(夢見る島)は遊んだ。その中では64のゼルダが一番好きだ。あの朝焼け、夕焼けが好きだ。

――そんなあんたには、ぜひとも遊んでもらいたい。多分、あんたの『一番』が塗り替えられるはずだから。
私はあんたの感性を信じる。ああ、私はあんたが羨ましいよ。あの衝撃的な体験がこれから味わえるんだから。

勝手に感性を信じられても困る。
でも、そこまで言われるとちょっと楽しみになる。NDSのSLOT-2にゼルダをセットする。
そして、コーヒーを入れてから、電源を入れる。



全く予備知識の無い私はリンクとなって砂浜にいる。事実、放り投げられた形でそこにいる。
チュートリアルも何もない。ストーリーすら存在しない。不安。そうだ、ファミコンのゲームはこうだった。
この段階で、私は正直、ネガティブな感想を持ってしまう。
『今の時代に遊ぶにはチープ過ぎる。なんかお腹いっぱい』。しかし、すぐにこうも思う。
『なぜ、私は昔のような新鮮な気持ちでファミコンが出来ないのか。なんか腹立たしい』。
――時代は変わってしまった。今日的なハリウッド映画を見た後では、昔の無声映画がひどく退屈に見える。
自動車も、昔よりも今の車のほうが快適で優れているに違いない。今を知ってしまった以上、過去はやはり過去だ。

であれば。
私は考える。その事実から目を逸らさず、自分を偽らずに遊ぶには、どうすればよいのか。
答えは簡単だ。このゲーム世界に、全力で感情移入すればいい。

■■

私は再び砂浜に立つ。なにやら私にはゼルダ姫を助けるとか、トライフォースを集めるとか、目的があるらしい。
しかし、そんなものはとりあえず無視する。ゲーム進行のフローチャートに沿うつもりは全く無い。
ここに世界があり、その世界が完全な箱庭であるならば、まず私は私であり続けることを最優先とするべきだ。
そのために、私は私に条件を課す。まず、絶対に死なないこと。死んだらもうゲームを返す。返せば、私は
今後永久にゼルダをしないだろう。だから、全力で生きよう。たぶん、無理をしなければいい。何事も無理はいけない。
ストーリーを追うつもりは無い。私の足跡そのものがストーリーになる。必死に生きようとすれば、いつの間にか、
世界を知ることになるだろう。世界を救うことにもなるかもしれない。

私はとりあえず、世界を端から端まで見てみたい。世界地図から見ると、ちょうど真ん中らへんにいるので、西へ
向かおうと考える。私はてくてくと歩き始める。

――あ。剣忘れてますよ。

メイドさんが言う。何?剣だと?

――上の洞窟に入ると剣がもらえるんですよ。タダで。

私は頭を抱える。とりあえず、ここでセーブして、NDSを閉じる。
なんだか、前途多難な気がしてしょうがない……


【テシネの断片】

漫画を描きたいのはやまやまだけど、その前に考えるべきことは山ほどある。

2ちゃんねる。絵描き・創作板。そこに存在する400を超えるスレッド群。
そのスレッドの一つ一つはレスという名のレンガを積み重ねることで標高を上げ、
1000を超えたところで天井にぶち当たり、24時間後には消えていく。
1000を迎える前に新しいスレッドが建設されるものもあれば、そのまま
データどころか記憶の欠片ですらも完全に消失してしまうものもある。
後者の場合、そのようなスレッドにはもともと何の価値もなく、あってもなくても
よいもの、毒にも薬にもならず、1000達成おめでとう、ではさようなら、と
思うまでもなくこっそりと消えていく、まさにこのスレのような形相を表す。

そんなスレを俺は何千も、いや何万と見てきた――と、目の前の男は私に言う。
毎秒何本というレベルでデビューするスレッドたち、そして、多くは伸び悩み、
消えていく。勿論、単純にレス数が伸びればいいというものでも当然ない。
漫画だって絵だってそうだ、と男は小さく咳をしながら言う。
そして、俺達は静かに消えていく側の人間だ。漫画も絵も、スレッドも、人生も。

――目の前の男、副部長の気持ちはよくわかるが、だからどうしたと私は思う。
窓外に林立する超高層ビル群。あれらが前者のスレッドであるならば、私達の
スレッドは昔ながらの古びた本屋に等しい。その本屋の中では時代が止まっていて、
のだめカンタービレやよつばと、少女マテリアルなどは置いていない。
しかし、と私は言う。鋭く、副部長を睨み付けながら言う。

いかなる条件下においても創作は可能である。




絵描き創作板の某偉大なるコテハンは、急速にカオス挙動実験場と化していく
スレッド上において、実に示唆深く、深遠なるレスを残している。

――お前たちは無力だ。

そのレスと共に貼られた絵は最早、絵ではなかった。その画像データのピクセル幅は
1800×1200であったが、容量としては20キロバイトに留まった。つまり、
白紙であった。画像形式がJPGであることから、5分後に絵が出てくるという
仕組みでもなさそうだった。そのレスについて、アンカーが付くこともなく、
毎秒50レスという猛スピードでスレッドが埋め立てられてしまった。
その埋め立ては該スレに留まらず、板全体において行われていた。現存するスレは
埋められ、顔文字だけの新スレが倍倍ゲームで増えていった。
かくして絵描き創作板は未曾有の終末を迎えたが、嵐が去って20分後には、
『ちょっと一枚描いてみるか50.5』スレが立つあたり、私達は雑草の如くしぶとい。
実際にはそのスレもまた10分後には埋め立てられてしまうのだが、それと同時に
管理側の嵐犯人特定が終了しており、それが彼の最後の呻き声であったことを後に知る。

――スコールの後に蟻達が巣の蓋を開けて再び歩き始めるように、私達は真っ平らに
変わり果てた世界に立ち、感慨深く見眺める。私達はいったい何をしていたんだろうか。
そう思う人は少なくない。過去は洗い流され、これからもまた同じことが起きるだろう
という予感から、キャンバスに伸びる手も鈍くなる。
ねえ、これから、どうする? また、同じことをするの?

答えは無い。
某偉大なるコテハンが提示した白紙のデータが、私達のディスプレイに儚く写る。



麻菜の身体は壊れそうなくらいに華奢で軽い。一番小さいサイズの制服であっても
少なくない余剰感が垣間見える。口数は少ないが頭は冴える。教育というシステムを
上位構造から俯瞰しているから、先生に反抗することもシステムに反抗することもなく、
無難な優等生としてこっそりとした暮らしに生きている。裏でこそこそ悪い事を
しているわけでもなく、趣味の絵画に全身入魂して、自己成長に邁進している。

麻菜は文化系な生徒として非常に出来がよろしい。文句のつけようがない。
ただ一点、イラスト部の部長――私と仲が悪い、もしくは仲が良すぎることを除いて、
麻菜という人間は記号的過ぎる。記号的過ぎるというのは無個性ということでも
あるのだが、個性的というものが素晴らしいという価値基準は今や危ない。

――麻菜が割ったガラスはそのままで、麻菜の発した異常なセリフもそのままで、
何事もなかったように、実際には私達の心理的なパラメータに大きな改変があった
わけだが、ともかく、私、麻菜、副部長はコタツに入り、与太話を続けている。

私達3人は今、ひとつの同人誌を前に思い悩んでいる。
その同人誌は某有名同人作家の描いたエロ二次創作漫画であり、表紙からして
エロエロなエロ同人である。この同人作家は非常に絵が上手く、塗りが上手く、
とにかくエロエロなのだが、悪い癖が一つあり、それは『無駄な物語性』と評される。
その要素が原因で、この作家に対する好き嫌いは綺麗に真っ二つに分かれている。
真っ二つに別れつつも、次の意見については完璧な同意が得られているのが面白い。

――この人は一般漫画に行ってもダメになる。エロに特化してもダメになる。
この人はこの状況で、今のような中途半端漫画を描き続けているのが一番良い。

私達の思い悩みのテーマは、それってどうなのよ、という余計なお節介である。




無垢のフィールド。
それは真っ暗闇に浮かぶ白い1m角平面の『発光体』と可視化される。
そこへ、どこから来たのか、小さな虫たちが表面に住み着き、思い思いに石を重ねていく。
正確に言えばそれは石ではなく、無形のデータである。データは青い石の姿に
可視化され、フィールドに表示される。虫たちの居場所には偏差が見られる。
その偏差は石の積み重ね量の数量にも反映される。面白いのは、ある程度加速が
つくと、その偏りもまた加速することである。かくして、石の高さにはある程度の
乱数性と奇妙な規則性の二つが両立し、その姿はまるで鍾乳洞の天井のようでもある。

このフィールドには一つのルールがあり、ある高さ水準に達した石塔は撤去される。
このことについて虫たちがどう感じているのか、私には興味深い。
虫たちが石を重ねるという行為に興じるからには、そこには快がある。
高くなった石塔、すなわち人気のある石塔に石を重ねることにも快があるらしい。
しかし、それが過ぎると無に帰す。石塔の撤去は突如にして徹底的であり、なんの
痕跡も残らない。だけれど、虫たちは再び石を重ね始める。懲りずに。飽きもせず。
このことについて、新浜大学の生物学者は次のような見解を述べている。

「ひとつは、虫たちにとって、石を載せるという快は副次的なものに過ぎないと言う
仮説です。石を載せることよりも、石を作り出すことに快があるのでないでしょうか。
それでは、そもそも石とはなんなのか。それに対する答えは単純で、石というのは、
例えば細菌が何かを発酵させたあとのその発酵物と同じものだと我々は考えています」




せっかくの有給休暇なのに全然休まらない。身体も心も休まらない。
友達は「茶絵はもっと休まなきゃだめだよー。彼氏とか作って遊びなー」とか
言うけれど、私は全然そんな気分じゃない。一秒たりとも余裕がない。
とかいって今現在何をしているかと言えば、新幹線で新浜に向かっている最中で、
ウェルカムテゥートウホクシンカンセンとか言う英語を聞きながらEeePCで
この文章を打っているわけで、めちゃくちゃ余裕があるじゃんと言われれば、
確かにある。あるけど無いんだよ。いや、あるのかも。でも、あるけど無いんだ。

なんでこんな新米の刑事にこんなにいっぱい仕事与えちゃうんだよと泣き言を
私は叫びたい。おかげで仕事の精度はガタ落ち、納期も守れず、プライベートは崩壊、
精神的にもやられ、私の評価はマイナスに転落、もう心身ともにボロボロで、おかげで
有給休暇を取っても捜査を続ける羽目になる。無給で。胃が痛い。いや、胃じゃなくて、
十二指腸あたりな気もする。

新浜は本来は横浜の近くの地名だった。
けれど、日本の地形が変わって、新潟の潟が浜になってしまい、その新しくできた浜、
大きさにして九州の半分のその浜を新浜と名づけたらしい。
だから新浜は2つダブっている。
でも、それ以前にダブっている地名なんて日本中に山ほどある。

事件は新浜県新浜市で発生した。事件の内容は複雑怪奇に入り組んでいて、
なかなか説明しにくい。私もまた全容を把握しているとは言いがたい。
まずは簡単な一つの側面から描写したい。
こうやって書き記すことで私の頭の中を整理したいという目論見もある。



新浜県はその名の通り、新しく出来た砂浜で構成されている。しかし、プレートの
隆起によって姿を現したその砂浜は、文字通りの砂浜ではなく、どちらかと
言えばしっかりとした裸の岩盤を主としている。その膨大な敷地を何に使うとかと
いう論議が十分にされたかどうか私の記憶にはない。ただ、いつのまにか決定され、
予算が通過して建設が始まったのは原子力発電所とロケット打ち上げ施設だった。

原発は周辺原発の改築移転として電力会社と日本政府が粛々と行った。
一方、ロケット打ち上げ施設、俗に言う新浜宇宙開発基地はNASAと日本政府が
共同で行っている。なぜNASAが絡むのかという疑問について、納得のいく回答は
なされていないようである。しかし、なぜNASAが絡んじゃだめなのか、という
逆ギレに対しての回答もない以上、私達は己の中の過剰な陰謀論を恥じて口を閉ざす
より他ない。なんとなく、中国に近いからという理由があったという記憶がある。
細かいところはよくわからなく、追求したところで目をつけられ、生け捕りにされて
しまうだけの予感がかなり強い。

さて、何はともあれ、ロケット打ち上げは一つのイベントに違いない。ゆえに、
打ち上げの際には多くの観光客が新浜にやってくる。新浜もそれを観光ポイントと
して捉えている感があり、すなわち商売っ気が発生する。

そして、事件はそのイベントの喧騒の中、やや芝居じみた形で起こった。

私達はその事件をその内容から、多少不謹慎ながら、また、富野監督へのオマージュとして
『コロニー落とし事件』
と名づけた。



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