年末けいおん4コマ 弐 2010年12月30日 落書き トラックバック:0コメント:0



定時後ティータイムがあり得るかどうかの議論は今後必要である。
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年末けいおん4コマ 壱 2010年12月30日 落書き トラックバック:0コメント:0



2010年はけいおん!だらけの一年でした。



拍手ありがとうございます!
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2010年12月29日 落書き トラックバック:0コメント:0





※決して変な行為ではありません。



拍手ありがとうございます!

rootさん>過労状態だと心拍数上がりますよね。
下げようと思っても下がりませんよね。

そふえさん>au は電波がいいので侮れませんよ。
そして、IS03はなかなかいい出来だと思います。
特にメモリー液晶と万歩計が!

ばーるんさん>そんなに痴女痴女スマートフォンにしたいなら、やっぱりandroid ですねw
そっち方面は、むしろ、ばーるんさんにリードされていきたいです……
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私のスナドラちゃんがこんなに可愛いはずない! 2010年12月26日 落書き トラックバック:0コメント:0



android携帯、弄りがいがあり過ぎて困る……



拍手ありがとうございます!

ばーるんさん>地味にいいんですよ万歩計機能は!
あと、そんな痴女痴女プレイは無理ですw
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24時間は誤差範囲 2010年12月23日 落書き トラックバック:0コメント:0

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ミムセントリック ストラテジー 2010年12月23日 落書き トラックバック:0コメント:0






拍手ありがとうございますー!

さあ、ばーるんさんもandroidを買っちゃいましょう!
iPhoneの方が操作性いいですけど、IS03なら万歩計も標準で付いちゃってますし、auなら是非とも!
(そこは別にどうでもいいと言われると非常に困ります)



【今日の長文(1)media論(案)(翻訳風文章の練習)】

初めにmediaについて。

media上で1番あなたを困惑させるのはコミュニケーションの難しさだろう。
あなたは指先で『@大統領』と入力すれば現在の大統領にtweetを送ることができる。
だけれど、ほとんどの場合、あなたは返信を得ることができないだろう。
大統領にとって、あなたの意見は決して無駄・無価値なものではないが、特別に返信をするほどのものでもないだろう。
経済について、国防について、治安について、極東について、
――そのような類の話題よりも、『昨日のバスケはどうでしたか?』みたいな軽い小話のほうが返信をもらえる可能性が高いかもしれない。

もちろん、あなたはそんなくだらないテレビジョンのワイドショーのような会話がしたいわけではない。
そんなことをするためにmediaにいるのではない。
八方美人、土下座外交、いじめられたくないからいじめる、そんなバカバカしい人間関係から卒業して、
純粋な情報発信体として存在したいがためにmediaにいるはずだ。

ところが、発信をしばらく繰り返した挙げ句に気付くはずだ。
結局のところは全ての人が『@大統領』であるということに。
(ここで『全ての』と記述したからには勿論あなた自身も部分として含まれる。)

mediaにおいては全ての人が平等であり、情報格差は存在しない。
現実世界において小学生であろうと、大統領であろうとmedia上では差別区別が無い。
当然、昔は存在した。
wwwを大通りとして、路地裏の見えない暗がりとして閉鎖的なネットワークとして存在した。
そこでは大統領は大統領のキーがあり、特別な情報が金庫の中に詰まっていたのである。

話は戻る。
コミュニケーションは難しいが、しかし、あなたは全ての人とつながることができる。

あなたは指先をカタカナの『レ』のように動かすだけでよい。
脳裏で人のイメージを思い浮かべるだけでよい。
あなたがコミュニケーションをとりたい人が無制限にピックアップされる。
真夏の入道雲のような巨大な綿飴。
それを構成する繊維一本一本がコミュニケーション可能性を意味し、同時にmedia上のnodeを意味している。
あなたは彼らに好きなだけ情報を送り込むことができる。
しかし、あなたが日頃フィルタリングしているスパムメールのようにあなたは黙殺される。

ここで、あなたは下記の事柄について考え始めるであろうが、それらは既に十分に検討され解決済みであるので目録のみ記述する。
(解決済みの内容についてはwikiで確認することができる)

(1)情報の価値とは何か?
(2)換金化できる情報とは?
(3)なぜ、私たちは情報を発信するのか?
(4)そもそも情報とは何か?
(5)mediaは私たちを本当に幸せにしたか?
(6)コミュニケーションとは何か?
(7)社会とは?
(8)私たちの欲望について
(9)mediaの秘密
(10)私たちの仮想化について

上記の思考プロセスを経て、自閉モードに陥らずに自己の仮想化を達成したあなたは再び話し始めることができる。
話す、というよりも、振動する、の方が実感が湧くかもしれない。
あるいは、隆起する。剥離する。n群からm群へジャンプする。
選択はあなたの資質次第であって、所詮は指先の児戯だと言ってしまうこともできる。

mediaについて。
『コミュニケーションの難しさ』は『自己の仮想化』と同じことを意味している。
『コミュニケーションの難しさ』は『自己の仮想化』を意味し、
『自己の仮想化』は『コミュニケーションの難しさ』を意味している。
『夏』は『冬じゃないこと』を意味するのと同じく、『冬』は『夏じゃないこと』を意味するのと同じように。
mediaは昔はインターネットと呼ばれていた。
そのころ、インターネットはmediaを食った、と評されていた。
もちろん、当時のmediaはテレビや新聞や本やラジオ、映画を意味していた。
昔のreadが今のreadと違うように、mediaは限定的なラベルだった。
今は違う。
mediaはインターネットの腹を内側から食い破って外へ出た。
そしてインターネットを頭から丸飲みしてしまった。

●●

あなたはmediaの一部である。
あなたがそうありたいと願う限りは。

●●

【今日の長文(2)こういう文章を書きたいなという案】

僕は何度も夢に見ることがある。
それは田舎のデパートの奥の方にある小さなゲームコーナーだ。

僕はそこに置いてあるゲームのデモを見るのが好きだ。
実際にお金を入れて遊ぶよりも好きかもしれない。
製作会社のロゴ→デモ→タイトル→プレイデモ→ハイスコア表。
その一連の流れは催眠術のように脳内妄想を立ち上げさせる。

解像度が低く、世界がブラウン管の隙でにじんで見えていても、言葉足らずの英語で大事なメッセージが歪んで見えても、
キャラクタのモーションが3つくらいしかなく、例えfpsが10を切っていても、そんなものは全くもって僕には関係がなかった。

あるシューティングゲームでは、敵を味方にすることができた。
Gダライアスのようにキャプションするタイプではなく、敵に特殊な弾を当てることで、敵自身に乗り移ることができるシステムだ。
ゲームタイトルは思い出せないが、なんとなく、R-TYPEを真似た感じの横スクロール・自機死亡時は仕切直し系のデザインだった。
自機の普通の弾は弱々しい。
だが、敵に乗り移ると一気に火力が上がる。
と同時に自機サイズも大きくなるために死にやすくなる。
攻略としては火力とサイズの関係において一番妥当な敵に乗り移るのがよいだろう。
だけれど、それではあんまり面白くないというのが人間の性である。

僕はプレイデモを何度も見て研究をする。
派手なレーザー兵器を持つロボット型の敵は見た目に派手だがスピードも当たり判定も大きく、プレイヤーの寿命に関していえばよろしくない。
彼に乗り移った場合にも上手く操作すれば進んでいける、といった配慮・ゲームバランスの取り方はなされていないように見える。
それは敵の配置と敵の弾速からわかることである。
スクロール進行方向の右端から、敵が5体、画面上下のスペースをきれいに6等分して出てくる。
この配置の場合、まずは出現と同時に全滅させるということが不可能になる。
下から順、あるいは、上、中央から倒すにしろ、結局は敵の攻撃を許すことになる。
自機の速度、敵の弾速、発砲ピッチの関係から、敵弾の切り替えしは2周目で破綻する。

一見無理な攻略方法を許すのも、許さないのも、その善し悪しは別として、やはり『ゲームバランス』だと言ってしまうことができる。
このレーザー兵器はここで乗り捨ててもらう、というゲームバランス。
なぜなら、それを許すと全体が破綻することになるから。

(未完)

●●

【今日の長文(3)某規制を肯定する視点(案)】


アンゴラ刑事の目の前には一人の男の人生が映っていた。

具体的には下記のような項目が『人生』であった。

(1)amazonでの購入リスト。
(2)amazonでクリックした商品リスト。
(3)amazon以外のネット通販での購入・検討リスト。
(4)彼が初めてインターネットに触れた日~今日までに見たウェブ履歴。
(5)彼がインターネットに発信した情報の全てのログ。
(6)彼がgoogle、MSN、その他検索サイトに入力したキーワードの全てのログとその傾向。
(7)彼の所有する携帯電話のGPS発信地の全てのログ。
(8)彼が消費したと思われるテキストの全て。
(9)彼が消費したと思われる画像、動画、音楽の全て。
(10)以上を総括した、彼が人生で消費したと思われる情報の全て。

彼の人生のインプット、アウトプット。
その全てが抽出され、まな板の上に横たわる。

今日、警察は犯罪捜査手法のひとつとして、これらの個人情報の無制限な収集・閲覧が行われている。
2010年の年末に施行された『国民情報統一法』により、国民の戸籍番号とインターネット上の『足跡』が一元化されたことで、
リアル世界・ウェブ世界問わず、全ての行動に対して紐付き履歴を簡単に見ることが出来るようになった。

もちろん、2010年以前から、それらの紐付き履歴は存在していた。
ずっと昔から、リアルにもウェブにも本当の意味での『匿名』などというものはなかったのである。
ただ、2010年以前はそれらの情報は一個人・一企業のサーバーの中の履歴に過ぎなかった。
それでは有事の際に抽出しにくいということで、また、顧客情報を求める広告企業の業務利便性を高めるために全てを簡単に検索できるように
法的ガイドラインの下にまとめあげたのである。



ここで注釈を挿入する。

検索キーワード:『セキュリティー 破る ツール』

このようなキーワードを検知して、すぐさま危険人物と見なしてしまう過剰な管理社会、
などという古くも懐かしい物語はここには存在しない。

また、『そうやって収集した情報を悪用するテロリスト』
というステレオタイプな人物もここには存在しない。

自由を失ったことへの怒り、
人間を人間が管理することの危険さ、
モラル、権力、正義の腐敗、歪み、
それらはもはや語り尽くされており、
それら全てはwikiに記載されていることを、くどいようだがここでアナウンスする。



アンゴラ刑事は男のウェブ履歴にさらさらっと目を通す。

エロ情報が8割。2次元と3次元の割合は1:1。
時事ネタが2割。パソコン関係が多い。
mixi、twitterはちょっとやってすぐに飽きて放置。
ブログもちょっとやってすぐに放置。
amazonでは漫画とゲームを主に購入。
携帯は2年に1回変えており、今はスマートフォン。
GPSから割り出される行動範囲はかなり狭い。
新浜市内からほとんど出ない。
会社と家を同じルートで行き来し、たまにコンビニに寄る程度。
エロ情報は本屋やコンビニでは購入しない。
風俗にも行かない。恋人はいない。
ゲームが好きだがゲームショップやゲーセンには行かない。
いわゆるオタクなのに、オタク的な店には行かない。
世間体を気にするタイプ。
だから、エロ情報はウェブで全てまかなう。

彼はウェブ的に古い人間だった。
まだ古き良きウェブの匿名性を信じていた。
彼は昔のウェブの感覚で著作権を侵害している画像を気軽にDLし続けた。
生のIPを晒さずにproxyを経由していたが、そういう悪知恵が彼の古さを象徴していた。
そのうち、彼は著作権的に違法な画像をアップロードし、
逮捕されることとなる。

会社員 ○○○○(31)
男は誰でも閲覧可能な掲示板において、著作権を侵害した画像を2枚アップロードしたため、新浜県警は28日の明朝に現行犯で逮捕した。

なぜ俺だけ。
と、彼は呻いた。
こいつも、こいつも、そいつも逮捕しろよ、と泣き顔で呻いた。



1990年から2010年まで、ウェブ上での著作権侵害といったらひどいものだった。
それはモラルの問題であり、同時に著作権の曖昧さの問題でもあった。
デジタルデータが簡単にコピーできてしまうことにも問題がある、というベクトルの論説も存在した。

漫画は発売初日にスキャンされ、データとしてばらまかれた。
そのデータを拾うために多くの人がブログに訪れ、そのクリック数によってバナー広告費が『著作権侵害者』に落ちた。
小説も、映画も、画像も、その見返りが1次生産者よりも『無料配布する著作権侵害者』の方に多く支払われた。

1次生産者側が紐付きデータにして囲い込んでも無駄だった。
紐は外され、あるいは、ダミーのパケットを付けて返却された。
画像はどんなプロテクトを施しても簡単にコピーされた。
誰でも可能なコピー手段としてはデジカメでディスプレイを撮影するというものがあり、それを回避する方法はなかなか見つけられそうにない。
テキストもまた同じだった。
デジカメでディスプレイを撮影され、その後に識字変換されれば簡単にコピーが可能になってしまう。

これらにどう対処するか。
最終的な答えが、これもまた『国民情報統一法』であった。

インターネット上には著作権的に違法なデータが蔓延している。
それを取り締まるにはインプットとアウトプットを完璧に監視するしかない。
この考えはもちろん、物議を醸した。
『文民統制』『言論の自由を踏みにじる』『表現の自由を踏みにじる』
『文化の衰退に繋がる』『自由が失われる』『思想の強制につながる』『軍靴の音が聞こえる』

いつだって人間のやることは変わらない。
なる可能性のあることはなりうる。

出来レース的な議論のあと、著作権保護法は改正され、
1年の移行期間を設け、インターネットの著作物管理は徹底されることとなった。
この際に、性的情報の取り扱いも同様に徹底された。
2010年に制定された東京都青少年健全育成条例をベースとして、さらなるゾーニングの徹底、表現規制の強化が行われた。

インターネットが針の穴ほどの隙間も無い管理統制下に置かれたことで、そこに居られなくなった人間が別個の『閉じたローカルネット』を作り上げることを見越して、
有線・無線機器認証の規制を強化して対応した。
すなわち、公的に認められた使用以外の用途においてネットワーク構築を行った場合、それがいかなる理由であっても犯罪であるということにした。
自動車がいかなる理由であってもスピード違反をしてはならないというのと同様である、という説明がgo.jp上でなされている。

(未完)

●●

【今日の長文(4)ミムセントリック ストラテジー】

るきにゃんは生まれたときからずっと『面倒な子』だった。



新浜幼稚園。もも組。午前10時25分。
ナオ先生は真っ赤に熟れたリンゴを手に持った。
「りんご」とナオ先生は言う。
「りんご」とみんなは言う。
続いて、「アップル」とナオ先生は言う。
「あっぷる」とみんなは言う。
「日本語だと、りんご。英語だとアップル。オーケー?」

この時、るきにゃんの脳みそに電撃が走った。

るきにゃん、生まれて4年目の冬だった。
4年も生きていれば、世界のことはだいたいわかっている。
ここは日本。日本は日本語。アメリカやイギリスは英語。
りんごはアップル。わかっている。もちろん。
しかし、わかっていることと、実感したことは違う。
知識と経験は違う。

るきにゃんは目の前のりんごを凝視した。
それはりんごであった。
りんごはりんごのように見えた。
りんご、という言葉が脳裏に浮かんだ。
でも、これをアップルだと思う人も多くいる。
むしろ、りんご、だなんて思わない人の方が多いだろう。
日本は極東のちっぽけな島国に過ぎないのだから。
そして、りんごともアップルとも思わない、その国の言語特有の名前もまた存在する。
世界には言語はいくつあるんだろう?
100だからどう、1000だからどう、と考えた後に、いや、これは数の問題ではないのだ、と思い直した。
100も1000も10000も関係がない。
それはただのスケールの問題でしかない。
問題は、これは本当は『りんご』ではない、ということだ。

りんごは『りんご』ではない。
私たち日本人が勝手に『りんご』と呼んでいるだけでしかない。

この『果実』は、αなのだ。
本当の名前、α。
そのαを見て、各国の人間がそれぞれの名前を勝手につけたのだ。
そのαがなんなのか、それは誰も知らないし、存在もしない。
αを勝手に付けてしまえば、それはまたひとつ、偽の呼び名が増えたということにしかならない。

るきにゃんは『りんご』を見る。
そして、その『りんご』に無数の『ラベル』が貼り付けられていることを幻視する。
本当の名前、αに近くも遠くもない、仮の名前たちがるきにゃんの少ない脳内メモリーを占拠する。
頭が割れそうになる。息苦しくなって胸を押さえる。
ねえ、私。じゃあ、みかんは?
バナナは? すいかは? 太陽は?
先生は? お母さんは? 犬は? 車は?
世界は? 私は? 地球は? 宇宙は?
全部、全部、それは偽のラベルなのだ。
七夕のお願い事の短冊みたいに、偽のラベルが、気持ち悪いくらいにぶら下がってる。
私の世界には本当は名前なんかなくて、私たちが勝手にラベルをくっつけて、こういうことにしようって決めて安心している。
私はこれをりんごって呼ぶよ。
私の国じゃこれはアップルだな。
……本当の名前って、何なんだろうね。

本当は、これ、何なんだろうね?

問題はもうひとつ。
私はなんでこれをリンゴだと思った?
私はりんごを見て、頭の中のりんごのイメージと照らしあわせた。
そして、イメージと一致していたので、これはりんごだと思った。
もちろん、ちょっと虫が食っていたって、青かったって、小さくたって、りんごはりんごと判断がつく。
だから、本当は『一致』してはいないよね。
頭の中のイメージといくらかはズレていても、私はこれをりんごだと思っているわけだ。
鏡の中のりんごも、絵のりんごも、文章の中のりんごも、私はりんごだと思ってイメージする。
判断する。
それはすごく曖昧だ。私の認識はすごく曖昧。
そして、その曖昧な認識に、さっき思った、『嘘のラベリング』が覆い被さる。

曖昧な認識+その場しのぎのラベリング。
これは大変な事態だ……。

るきにゃんは不安に襲われ、怯えた。
コンクリートだと思っていた床が実はチョコレートで出来ていました、みたいな頼りなさ。
るきにゃんはとっさに周りを見回した。
同じ不安を感じている子がいるのではないかと思った。
窓際できょとんとしている唯ちゃんと目があった。
るきにゃんは先生にばれないようにこそこそと唯ちゃんの側に移動した。
(もちろんばれていた)

「唯ちゃん、唯ちゃん。あのね。私、ふたつ、わからないんだ」
「ふにゃ?」
「まず、私たちはなんでりんごをりんごだって判断できるのかな?
 実物のりんごも色々あるのに、それどころか絵も、文章のりんごもりんごに思えてしまうのはなんでだろう?」
「簡単だよ。りんごはりんごだからだよ」

唯ちゃん、即答。

「……で、でも、りんごって色々あるよね?
 私たちの頭の中のイメージとしてのりんごと違うりんごもあるはずなんだよ?
 鉛筆で描いたみたいなりんごもりんごって思えるのはなんでだろう?」
「簡単だよ。りんごだって思えればりんごなんだよ」
「思えれば、っていうのは、どういうことなのかな?
 思える、というのと、思えない、というのはどこで区切れるんだろう?」
「……るきちゃん。もっと自分を信じて。るきちゃんが思えれば、それは思えるってこと」

唯ちゃんは主観的宇宙観。
るきにゃんはそう思った。
もちろん、それでもいいだろう、とるきにゃんは続いて思った。
黒く見えれば黒。
本当は白でも、黒く見えると思えば黒。
ことさらにその姿勢を批判するわけではない。
王様は裸、とリークした少年は命を落とした。
王様の耳はロバの耳、とリークした男は命を落とした。
知らなければ幸せということも世の中には多々ある。
(私だって、自分の剥離した皮膚を電子顕微鏡で見たとき、そのグロテスクさに寝込んだ)
この『英語のお時間』だってそうだろう。
適当に、幼児にアップル、オレンジ、ハウス、ドッグ、キャットと教えればそれでいい、というスタンス。
なぜなら、それで十分だからだ。
言語とはなんだ、認識とはなんだ、そもそも、世界とはなんだ、そんな内容はどうでもいい。
もしかしたら、そんなことは一生考えなくてもいいのかもしれない。
王様の耳はロバの耳で十分。
いいじゃん、ロバの耳で。
なにが悪い?

居心地が悪い。

るきにゃんはそう思い、昼休みにナオ先生に相談しに行った。
ナオ先生はるきにゃんを笑顔で迎え、しかし、妙に緊張していた。
るきにゃんは大人を無駄に緊張させるという属性を持っている。

「ナオ先生、ひとつ、教えてほしいことがあります」
「な、何かな? ルキアちゃん」
「ナオ先生は、日本語が不安じゃないですか?」
「え?」
「あ、いえ、難しいことじゃないんです。
 例えば、そう、先生はC++って知ってますか?
 あの、パソコンのソフトを作るときに用いる、プログラム言語のひとつです。
 もちろんC++に特有な話じゃないんですけど、関数型のプログラム言語ならなんでもいいんですけど、
 例えば、tasu(int x,int y)という関数を最初に定義します。
 そのtasu(int x,int y)の中では単純に引数のx,yを足して戻すというプログラムが書いてあげます。
 そうすると、あとでtasu(8,9)とか入れますと、17という戻り値が得られるわけです。
 そういうのを関数型の言語っていうわけですけれど、そうすると日本語というのも、いえ、あらゆる会話言語もまた関数型ですよね。
 言葉の意味というのは、この場合、tasu(int x,int y)のコードなわけです。
 問題は、tasu(int x,int y)の中身もまた関数で出来ているということです。
 関数同士が相互に絡み合っていて、その緒源が見つからないということです。
 今日のナオ先生の授業の中で、私が思った不安の行き着いたところがここなのですが……」
「……」

ナオ先生は目を瞑って考えている。
るきにゃんは説明不足だったかなと思い、あわてて補足する。

「あ、あの、最初はりんごについている、各言語固有のラベリングについて悩んだのです。
 りんご、アップル、なんとか、言語の種類の分だけ呼び名があって、じゃあ、本当はこれは何なんだろうって不安になりました。
 次に、なんでこれをりんごって思えるんだろう、判断出来るんだろうって悩みました。
 実物ならまだしも、絵や文章でも私たちはりんごをりんごと認識できます。
 そうです、認識というところが不安でもありました。
 なぜ、私たちはこれをりんごと認識できるんだろうって。
 脳みそがそう判断しているから。
 そういう答えもあるだろうと思います。
 目で見る。におい。触感。味。
 そういう感覚が脳に伝わって、記憶と照合する、とか。
 でも、照合ってなんなのでしょう?
 そして、照合の後、言語として思考されるわけですけれど、そういう一連のいわゆる『関数』がわからなくて、不安になったのです。
 そして、自分なりに『関数』を想像してみると、その『関数』が『関数』で定義されているような気がしたのです」
「……はぁ」 

ナオ先生はため息をついた。
るきにゃんは冷や汗をかいた。
全然伝わらない。

「……あ、あの、説明が下手ですいません……」
「……ねえ、ルキアちゃん。そこまで考えなくてもいいんじゃない?
 私たちはこれをりんごって呼ぶ。英語だとアップル。
 それでいいんじゃない?」

まあ。
それでもいいんだけど……。
でも……。

●●

「で、今のるきにゃんの見解は?」

新浜メディカル病院。ロビー。午前11時。
るきにゃんは茶絵にゃんの髪の毛をくりくりといじりながら僕をちらりと見る。

「そうですね。
 今は、言語とは相互参照関数型の生物だと思ってます」

さすが4歳からわけがわからないことを言っていたるきにゃん。
15歳になっても相変わらず、わけがわからない。

「相互参照関数型っていうのは、なんとなくわかる。
 例えば、『長い』は”短くないこと”の意味で、
 『短い』は”長くないこと”の意味、みたいな感じ?
 行き着くところの説明文が循環してしまってる、みたいな」
「というよりは、要は、言葉の説明が言葉によって成されているということですね」

じゃあ、言葉以外で言葉を説明するって、何?
と僕は言いそうになるが、こらえる。

「じゃあ、言葉が生物である、というのは?」
「状況に応じて変化して、時には戦い、破滅するということで、マクロ的にはストラテジーがあるということです」
「……言葉が変化するっていうのはどういうこと?
 方言とか、使い回しとか?」
「それを含めて、意味が変わる、響きが変わるということですね。
 『良い』という言葉も様々な響きがありますよね?」
「響き?」
「絶対的な意味や響きはないですよね。『良い』っていう言葉ですら状況によっては意味が逆になります」
「誉め殺し的な使い方をしたときとか?
 でも、それがなんで生物なの?」
「あ、すいません。私の中の生物の定義が、
(1)変化するもの
(2)増えようとするもの
(3)ストラテジーがあるもの
だからです。それに当てはまっているということです」

うーん。
るきにゃんと話していると、脳内メモリーがすぐに足りなくなる。
たぶん、話の筋が所々で複数に分岐するからだ。

僕はちょっと深呼吸して、頭の中を整理する。
言葉は関数型の生物である。
引っかかるのは『生物』という言葉だ。
なんとなく、毛虫やアメーバを連想してしまう。
生物は生き延びようとし、増えようとする。
そのためにストラテジーを持つ。

言葉は生き延びようとする。
死語などと呼ばれて殺されないようにする。
戦略的に増えようとする。

流行のフレーズは伝染する。増える。
karaoke、mottainaiみたいに輸出される。
人気のない政治家が言った『言い訳』的なフレーズは汚れがつき、価値が下がる。
言い古されたフレーズも価値が下がる。

そういう言葉としての蠢きを巨視的に見れば、生物みたいに見える?
まるでライフゲームのセル達の点滅みたいに、栄えて消えてうねうねと踊って見える?

見えるかも。

と、僕は考え、一人うなずく。
で、と、いうことは、つまり?

「言葉は僕たちに寄生している?」
「正しくは共生でしょうね。ミトコンドリアみたいに」

ミトコンドリア。
僕たちの細胞の中に住む、僕たちじゃない生き物。
ミトコンドリアは彼ら固有のDNAを持ち、そのコードは明らかに僕たちのコードと異なる。

ミトコンドリアは僕たちの細胞に住み、エネルギーを養分から生み出す。
そのエネルギーで僕たちは活動する。恩恵を受けている。
ミトコンドリアも僕たちから養分をもらうことで生きながらえている。
お互いをお互いが必要としている。
持ちず持たれずで生きている。そういうのを共生と呼ぶ。

もしもミトコンドリアが僕たちを裏切ったら?
支配しようとしたらどうなる?
……と、いう内容の小説は既に存在する。
(パラサイトイヴ:瀬名秀明)
(ゲーム化もされているが、不思議なことにただのスクエニ製バイオハザードになっている)

言葉、言語もまたミトコンドリア的な振る舞いを見せている、とるきにゃんは言う。
でも、それはちょっと気取った言い方であって、実際のところ、ミトコンドリア的振る舞いを見せるものは数多く存在する。
言葉や言語が特別なわけじゃない。

例えば、企業。企業団体。市場。経済。
ルール。しきたり。物語。音楽。芸術。
ブログ。記憶。ファッション。議論。

これらに共通することとは何か?

「(1)変化するもの
 (2)増えようとするもの
 (3)ストラテジーがあるもの」

と、るきにゃんは断言するが、別にどや顔というわけでもない。
『空に雲が無いから今日は天気がいいのである』と宣言した程度の無意味さに似ている。
そんなことは空を見さえすれば誰でもわかる。

茶絵にゃんの髪の毛いじりに満足したるきにゃんは猫のような目をして胸元や下腹部に手を伸ばし始める。
びくっとする茶絵にゃん。こういうの、何?
セクハラ?

●●

【今日の長文(5)android】

何をすれば斬新だろうか?
何をすることが正しいだろうか?
何をすればあなたの心が踊り出すだろうか?

androidはいつもそんなことを考えている。

無論、余計なことはしてくれるな、やるべきことのみをやるべき時間の中でやってくれればいい、
という要求はごもっともである。
確かに、アイドリング時に勝手にニュースサイトをクロールし、ゴミ情報を貴重な電力とパケットを消費して引っ張ってくるような、
2G~3G時代の『提案型常駐ソフト』など害悪以外の何者でもなかった。
ユーザーの検索キーワード、行動パターンを学習して嗜好傾向を分析してうんぬん、などというストーカー型アプリもまた即killものである。
いずれも営業や技術開発の人間が思いつきでペンを滑らせただけの悪筆に過ぎず、そんなものに開発承認を出す上の連中のセンスの無さが日本の衰退を促進させている。

時代は変わっていく。
正確に言えば、人間が変わっていく。
人間はとにかく飽きやすい。
どんなに良質な刺激でも、2回3回連続して変化がなければすぐに飽きてしまう。

A先生の描いたBという漫画に惚れ込んだとする。
寝ても覚めてもBのことばかり考えて、続いてA先生のことばかり考えるようになる。
きっと自分は一生飽きないだろう、と思い、確信する。
こんなに素晴らしい作品なのだから。深い作品なのだから。
しかし、時間が過ぎ、Bに飽きてしまう。
おや? と思う。
自分の中の何かが変わってしまったのかな?
A先生の新作のCを読む。
BとCは似ている。なぜなら、A先生の作品だから。
あっさりと飽きてしまう。
それはきっとA先生自体に飽きてしまったからである。

これは下記のようなわかりやすい類似を原因としない。

Bの要約:『舞台は高校。主人公は困難を乗り越えて成長する』
Cの要約:『舞台は火星の基地。主人公は困難を乗り越えて成長する』

もちろん、
Bの要約:『舞台は高校。主人公の何気ない日常。』
Cの要約:『舞台は火星の基地。主人公の何気ない日常。』
でもよいが、こういうレベルで似ているから、という問題でもない。

A先生の創作という行為とその結果が、如何に斬新で変化に富んでいても、それでも飽きるということが実際にあり得る。
それはなぜか?

話は変わるが、創作は尊いと言われる。
消費ではなく創作をしなさい、と白髪の作家が語っていた。
あなたがそのiPadだか何かを触っている姿はまるでじい行為のようである、とか。
飛行機の絵を提示しなさい、という課題に対して、
google画像検索から飛行機を持ってくる人と、自分で絵を描いてくる人の2種類が存在する。
どちらが正しく、どちらが良いかはその課題の背景による。
しかしながら、著作権の抵触は別として、google画像検索の結果として出てきた飛行機はやはり結果として優れている。
情報として優れている。
効率が優れている。
もちろん、情報や効率だけが人生ではない、という意見は当然拝聴に値する。
オリジナリティー。
手作りの重み。
人間としての成長。
だけれど、それが求められる類の仕事は世の中にはほとんどない。

話は戻る。

人間は飽きる。
同じ刺激はもはや刺激に思えない。
いつしか苦痛になっていく。
なぜ飽きるのか。それは人間は変わるからである。
何が変わるのか。刺激を感じるポイントが変わる。
刺激はコントラスト、落差、傾きの変化によって生じる。
9がずっと並ぶ数列は退屈である。
9が突然0になったり432789になったりすれば面白い。
しかし、9→0→432789→9→0→432789→9→0→432789→9→0→432789→……
はつまらない。
数字は変化しているが、全体としてはパターンだからである。
ゲームに徒労感、作業感を覚えるのは、こういうパターンが読めてしまったときだ。
新しい世界→新しい事件→解決。
いくら面白い物語でも、そんな繰り返しが続いたら飽きてしまう。

あなたは白紙のA4を前に鉛筆を持つ。
この白紙には何を描いても良い。
あなたは今日まで、既に色々と描いてきた。
模写をした。トレースをした。オリジナルな絵を描いた。
漫画を描いた。アニメっぽい絵を描いた。写実的な絵を描いた。
とにかく、色々と描いてきた。
だから、なんとなく、自分がどんな絵を描くのか想像がつく。
いつものあの感じで。破綻しないように、ごまかしごまかし線を引いて。
スキャンして、ゴミを消して。
繰り返し。あの感じ。あんな感じ。
突然、徒労感に襲われる。
2時間後の絵の出来が脳裏に浮かぶ。
また、これを描くのか?

なんのために?

あなたは自分の中のイメージから逸脱しようとする。
かわいいキャラクタばかり描いてきた人は、かわいくないキャラ、中年男なんかを描こうとする。
中年男ばかり描いてきた人は、かわいい少女を描こうとする。
古びたコンクリートプラントを写生する。
うさぎを写生する。
他人の絵を模写する。

しかし、再び声が聞こえてくる。
『なんのために、そこまでして描こうとするのかね?』

絵を描くより、もっと優先的にするべきことがあるのではないのかね?
絵を描くことで、何が得られると思っているのかね?
時間の無駄だとは思わないのかね?

『止めなさい。無駄なことは』

あなたは内なる声にそんなことを言われ、弱気になる。
中には反発する人もいるかもしれない。
俺の絵には価値があるんだ、とか、
無駄なことが大事なんだ、とか、反論する人もいるかもしれない。
ところが、それに対しても内なる声は容赦しない。
『価値があるというのはたちの悪い思いこみだと思わないのかね?
 例えば、ただの強がりだと考えたことは?
 あるいは、あなたを利用したいと思う人間のある種の嘘だと考えたことは?
 コンコルド錯誤だと考えたことは?
 自分自身が自殺へと邁進するレミングのようだと考えたことは?』
『無駄なことが大事、というのは君以外の誰かのセリフでは?
 それは嘘なのでは?
 工学的な『情報の冗長性』を勝手に都合のよいように解釈しているだけでは?』
と容赦ない。

と、そんなやりとりが脳内で0.5秒ほどで行われ、結論として、
『飽きた』
ということになる。

かくして、あなたはA4に明日の仕事のtodoを書き始める

それはひどく憂鬱な作業である。
だけれど、優先順位からすれば、絵を描くよりも大事なことのように思えた。

会社に着く。
メールチェック。金型屋さんからの回答の確認。
図面チェック。懸案事項の抽出。
製造部に連絡。試作数は80で適切か?
設計側としては、セカンド工場でのトライを考えて、160は欲しいところだ。
しかし、納期とコストの兼ね合いもあるだろう。
80+80あれば、信頼性検証には十分だ。
だが、上司はそれを由としないだろう。
なぜ、そんなに必要なのかを説明しなければならない。
第一に、問題はどこにあるのか。
大きく分けて、3つある。
ひとつは部品の成形精度が悪いことだ。
これは解決しにくい問題だ。なぜなら、形状が複雑だから。
ふたつ目は組立作業のばらつき。
作業はすべて人間が行うのである意味しょうがない。
部品精度が出ないせいもあり、ここでは

(未完)
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