うんたんしてみた。 2011年02月27日 動画研究 トラックバック:0コメント:2

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平沢唯の魅惑のモーションを模写。



拍手ありがとうございます!

そふえ先生>おっぱいたゆんアニメは難し過ぎました。
次はなんとか頑張りたいと思います。
というか、これ以上コマ数が増えると死にます。

root 先生>次回はたゆん頑張ります。
でも、あれですよ?
法律はしっかり守りますよ?
CERO A基準内のたゆんですよ?
(いかがわしい画像検索をしながら、キリッ)
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塗ってみた。 2011年02月20日 動画研究 トラックバック:0コメント:2

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集中力の限界がこのへんだった。



拍手ありがとうございます!

あのツール>ぜひとも使いこなしてほしいですね。
個人的にはグリッドを荒くしたほうがたゆん感がでるように思います。
ユグへのセクハラ絵は細々と続けていく予定ですのでお待ち下さいw
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今さらながら、吹っ切れた。 2011年02月19日 動画研究 トラックバック:0コメント:0

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ニコニコ動画で昔流行ったループアニメを模写してみた。
誰をどう描いてもそれっぽくなるのがこの振り付けの凄い所。



ボツネタ回収(1)

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ネタのアレ加減を無音でごまかすことにした。



ボツネタ回収(2)

ばーるんさんに、
『あれは動画を撮影してたのです』
と言おうと思って用意した画像。
フレームレートが全然上がらず、お蔵入り。

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●●

拍手ありがとうございます!

ばーるんさん>背中を見せてるあずにゃんがわるいんです。
何されてもしょうがない(キリッ
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全てのヒントはフライパンの中に 2011年02月06日 文芸(長文) トラックバック:0コメント:0




唯のギターの音には質量がある。

音が肉厚で重くて、それなのにメビウスの輪みたいに華麗に裏返る。
唯のギターの表情は豊か過ぎる。
だから、というか、なんというか、
単調なコードがきれいに鳴らないことがよくある。
この問題には簡単な解決法がある。
唯はエフェクタを踏んで表情を殺す。
ギターの音色はモノクロになり、波形の上限と下限がカットされる。
そこにオーバードライブが加わって、複雑な模様の矩形波になる。

唯のギターの音は人を魅了する。

その荒々しい音は騒音とは一線を画す。
その音は唯が単純にフレットを2つ跳びに押さえているだけなのかもしれない。
その音程はひどく単純かもしれない。
ドレレレドドレレレド ドレレドドレレレレド
といった風に。
でも、その字面の単調さと音楽としての魅力は別だ。
音の複雑性と音の魅力は一致しない。

唯はギターを弾く。

それはメロディーになっていないかもしれない。
それは不協和音かもしれない。
チューニングが狂っているかもしれない。
それはただの循環するコードかもしれない。
でも、それは楽しそうな音だ。
そして楽しそうなリズム。
歌にはならないかもしれない。
売れないかもしれない。
でも、その音は楽しくて、なによりも唯が楽しそうだ。

音楽。

私、ギー太がいるから毎日が楽しいよ。

唯はいつだったか、私にそう言った。
そのころの唯はチューニングという言葉すら知らなかった。
相対的な音程で調和された唯のギターは澪のベースの上を滑り続けていた。
いやいや、唯、おかしいだろ。
澪はそう言い、唯のE弦を弾いた。
それは安いアンプの音で音楽室を間抜けに揺らした。

ムギ、『ミ』の音鳴らしてみて。

ムギの『ミ』と唯の『ミ』は微妙に違っていた。
それは定期的な共振音がなることですぐにわかる。
澪は唯の弦を緩める。二つの音の干渉縞が色合いを変える。
やがて調和する。唯は、おおー、と感心する。
唯は調律を開始する。E弦を元に、ひとつずつ、少しづつ。

今の唯はあのころと違う。
唯の調律は弦だけではなく、メロディー全体にまで及んでいる。
単純な四則演算から始まって、いつのまにか複雑なプリミティブな数論に辿り着いているみたいに。

全てはギー太を歌わせるため。
全ては私たちの音楽のため。
そして全ては楽しい瞬間のため。

1、2、3、4!

私はスティックを叩き、シーケンスを起動させる。
ピッキングノイズと共に唯のイントロが始まる。
梓は低音に偏ったコードで地面を作る。
澪は絶妙なステップでベース音の周りを踏み固める。
ムギは唯の少し斜め上の和音を奏でる。

音楽の楽しさは何ですか?

音楽は上手くならないと楽しくないですよね?

音楽って難しいですよね?

私はその3つの問いに対して、非常に明朗かつ快活な答えを持っている。
その問いを発した人にギターを持たせてあげる、というのがその答えである。
そのギターが大音量のアンプスピーカーに繋がっていればなお話が早い。

まず人はピッキングノイズの大きさにびっくりし、そして、いとも簡単に姿を現す音像に衝撃を覚えるはずである。
その音の造型の、鮮やかな輪郭線、グラデーションは筆舌し難い。

こういうことだったのか。
と、あなたは思うはずだ。

音楽とは、こういうことだったのか、と。

そして私は、いつだって、どこにだって、あなたは音楽を始めることができる、と伝えたい。
その気になれば、今から、次の瞬間から、あなたは音楽をすることができる。
テーブルを指でタップしてもいい、口笛を吹いたっていい、もしもであれば、脳内でオーケストラを奏でたっていい。
逆に言えば、あなたがそうしない理由はどこにもない。


あなたが音楽を開始しない理由はどこにもない。


●●●●


1A すべての歴史
1B ただ一つの歴史
2A 映画だけが
2B 命がけの美
3A 絶対の貨幣
3B 新たな波
4A 宇宙のコントロール
4B 微は至る所に


新浜メディカル病院にはテレビがない。
液晶パネルは存在する。
しかし、それは地デジを映さない。

何か、映像が見たいとき、映像閲覧申請書を提出する必要がある。
それが病院のライブラリーにあれば、すぐに見せてくれるし、無ければ取り寄せてくれる。
もちろん、厳しい審査基準をクリアしなければダメである。

僕は『けいおん!』と『けいおん!!』を申請してみた。
どういう基準なのか、『けいおん!』はNGだった。
『けいおん!!』は一ヶ月に1本ずつ、購入してくれることになった。
今はまだ『修学旅行!』あたりしか見ることが出来ない。

僕は『けいおん!!』を待っている間、なにか別のものを見ていようと思いたった。
病院のライブラリー一覧を見せてもらいたいと茅さんにお願いした。
茅さんの回答は意外なものだった。

ライブラリーリストは見せられないな。
それは余計な情報だから。

余計な情報って、どうしてですか?
僕は聞く。

たとえば、ドラえもんがあるとするじゃない?
そしたら、まあ、ドラえもんでも見るか、と思う人が出てくるでしょ?
特に見たいと思わないけど、とりあえず、っていう感じで見る人が。
そういうことをさせないための処置なんだよ。
新浜メディカル病院が『情報病』を扱う以上、情報はすべて管理されてなきゃいけないってこと。

ふーん。

と、納得して僕は病室に帰る。
ルキにゃんに相談する。
この病院のライブラリーリストはどうすれば手に入るだろうか?

みんなに聞いて回るか、それとも当てずっぽうで申請し続けるかくらいしかないのではないでしょうか?

ルキにゃんは茶絵にゃんをこねこねしながら、言う。

けいおん!! が通るくらいなら、結構色々とあるのかもしれませんし。

みんなに聞いて回る、というのは無理である。
僕にそんなコミュニケーション能力がないからだ。

僕は映像閲覧申請用紙の一枚もらってくる。
そして、その裏に、映画やテレビで、映像パッケージになっていそうなもののタイトルを列挙する。

ここで話を端折る。

多くのリクエストは拒否された。
そして、現存のライブラリーにあるものとして、たったひとつだけ、閲覧可能なものが見つかった。

ジャン=リュック・ゴダール
『映画史』

これは僕が書いたものではなかった。
ルキにゃんが書いたものであり、ルキにゃん自身も別に意味があって書いたわけではなかったと言う。

これは映画なの?

と聞くと、ええと、わかりません、とルキにゃんは言った。

そもそも、私は3次元の映画には興味がないのです。

……3次元の映画?

僕はルキにゃんの釣り針をスルーする。
僕は茶絵にゃんを誘ってロビーへと行く。
液晶パネルはロビーにある。
ロビーには他の患者さんや、休憩中のお医者さん、看護士さんがいる。
そのみんなの前で、映像は見なければならない。

すなわち、僕はロビーでけいおん!!を見てきた。
それを恥ずかしいとは思わない。

僕は『映画史』を再生する。

ソフトはDVDだったが、画質が悪く、オリジナルはフィルムなのかもしれなかった。
いや、違う、オリジナルはビデオなのかもしれなかった。
また、画質が悪く、と書いたが、これも訂正しなければならないかもしれない。
大昔に録音された音楽を聴いて、音質が悪い、と言うのと同じく。

端的に言えば、『映画史』という名前の通り、映画史であった。
色々な映画が繋ぎ合わされ、テロップが挿入され、合成され、説明なのか、詩なのか、ナレーションが重ねられていた。
僕は映画を知らない。
特に古い映画は何も知らない。
そして、フランス語を知らない。(字幕もない)
だから、僕は何一つ、意味としてはわからなかった。

だけど、僕は圧倒された。

それは不思議な感覚だった。
ゴダールという名前はどこかで聞いたことがあるような気がした、
社会の教科書とかで。(でも、その記憶はたぶん間違えている)

ピカソの名前は知っている。
ピカソの絵を見ても、よくわからないと思った経験があり、
よくわからないけど、みんなが凄いというのだから凄いのだろう、と
そう思った経験もある。
ここでは『ピカソが凄い理由がよくわからない』と思ってしまう自分を恥じるという、
世論に迎合する自分の姿がある。
でも、『ピカソは凄いんだよ』と言う理由もない、と思っている。
凄いとも凄くないとも発言するべきではない、と思っている。
そこは白黒つけるべきではないと思っている。

私は、しかしながら、『映画史』は凄いと思った。
もちろん、凄い、という言葉を選択したのは僕の語彙の貧弱さのせいだ。
本当は『凄い』という言葉は使いたくなかった。意味が薄いから。

生まれて初めて、こんな美味しい豆腐を食べました。

という言葉の意味の薄さ、表現のつまらなさは知っている。
かといって、何がどうしてそう思ったか、それを評論家のように書けるわけでもない。
知識も能力もなく、そんなことをする性格でもなかった。

僕は見入った。

どういうことだろう?
僕は古い映画の断片と時折ガダガダと震えるアナログ的なテロップに見入る。
色は無く、あっても浅く、ハリウッドのような派手さもなく、
音楽も抽象的で、何が言いたいのかわからず、しかし、全編が緊張し、意味が詰まっている。

意味が詰まっている。
情報が詰まっている。

つかの間の暗転。
低い声。荒々しく線上に走るノイズ。


1A すべての歴史
1B ただ一つの歴史
2A 映画だけが
2B 命がけの美
3A 絶対の貨幣
3B 新たな波
4A 宇宙のコントロール
4B 微は至る所に


フェータルな。
命がけの。

命がけの美?

画面に映るのはタイプライターを叩く、妙に眼光の鋭い男。
もしかしたら、彼がゴダールなのかもしれなかった。
画面は暗く、色がなかった。

あまりも巨大なテロップが画面に重ねられる。
それは英語ではないが、しかし、フェータル、だとわかる。
何度も、思い出したかのように、フェータル、美(beaute)のテロップが登場する。

意味はテロップにはない。(と、思う)
しかし、その登場に意味があり、重なり方に意味がある。

レイアウトに意味がある。

映画とは何か?

もちろん、僕にはわからない。
僕が生まれた頃にはスピルバーグがデジタルハンディカムで巨大な恐竜を撮影していた。
ハンディカムのブレを測定するシステムが、CGの恐竜を適切にブレさせていた。
CGは現実のブレをエミュレートした。
もちろん、これも映画だ。

僕の目の前のこれは?

これは映画史だ。

でも、本当は違う。


これも映画だ。


●●●●●●


だから、というか、なんというか、澪が持ってきた紙袋の中身がお菓子と歌詞だったのは、一日の始まりとしては最高だと思った。
唯の家で、みんなが集まって、特に心配事も問題事もないなら、やるべきことはお茶と音楽に決まっている。

テーブルの真ん中に置かれたお菓子と歌詞。
私は身を乗り出す。澪の字は丸い。
いや、綺麗で教科書的なのだが、要は照れているのだろう、余計な力が入っている。

澪ちゃん、読んで読んで!

と唯は言う。みんなの視線が澪に集まる。
澪は、憂ちゃんもいるしちょっと恥ずかしいな、と言い、
しかし、紙を手に取る。小さく咳きをして、読み始める。


大きな声を出さなくたって 全部聞こえてるから
何もしゃべらなくたって 全部わかってるから
大丈夫だよ
不安なんてないよ
だって私の心は 全部 あなたの側(そば)にあるから


そんなフレーズから始まって、
澪は両想いのカップルの心情を書き連ねる。
あなたがいるから強くなれた、とか、やさしくなれる、とか、
まあ、直接そんなことは書かないにしても、割とベタなラブソングではある。

……澪ちゃん。

とムギは言い、まゆげが持ち上がる。
ムギの興味・好奇心がグワっと立ち上がるのと同期して。

恋人が出来たのね?

ち、ちがっ!

澪、即否定。
なんとなく、私の脳内では『血がっ!』と変換される。

私もそうなのかと思ってました、とは梓のセリフ。
あまりにも直接的な歌詞だったから。

澪先輩の片思いが成就したのかと。

だ、誰もそんなこと言ってないだろ!
別にそんなんじゃないんだよ!
た、たとえば、みんなといると楽しかったり、
上手くベースが弾けると楽しかったり、とか!

まあまあ、澪、私たちはいつでも応援してるから。
と、私は言い、

な、何をだ!?

と、澪に睨まれる。

澪、涙目。

もうちょっといじりたい衝動に駆られたが、
叩かれるというより怒って帰りそうな気がしたのでやめる。


●●●●●●


ヒントはフライパンの中にさえ あるの。


平沢憂はそう歌った。
俺は録画していた『フラクタル』を見ていた。
俺は『フラクタル』を自分勝手に解釈する。

マンデルブロ集合。

俺はこれを見るとグレッグ・イーガンの小説の冒頭を思い出す。
微少な初期条件の差異と『経験』の積層によって、『まるで本当の生命のような』多様性の芳醇さが生まれるシーン。

もちろん、『フラクタル』はそこを参照先の一つにしているに違いない。
世界が電子化され、適切に確保されたメモリ上に仮想的に独立したオブジェクトであるキャラクタたちの物語であるならば。
これは古くさいSFのようにも見えるが、実際の俺たちの世界も実はそのようなものであるのだから、
ある意味、ひどく真っ当な世界設定でもあるのだ。

あなたはプログラムコードで出来ている。
あなたと俺のプログラムコードは酷く似ている。
あなたと俺の差異は主に生まれた後の『経験』の積層による。
あなたと俺の行動は電圧差で起動する。

『全ての勝敗は電圧差で決定される』
とは士郎正宗のセリフ。

あなたの会社の『製造部』、『技術部』、『営業部』の力関係は何で決定される?
様々な要因があるだろうが、そのひとつひとつはデジタルな数値の差で決まる。
それは12と8かもしれない。
その数値はエネルギー差と等しい。
すなわち、電圧差だ。

人情横町すらデジタル化される。
そこに生命がいるならば。
もちろん、

攻撃力
防御力
素早さ
賢さ

みたいなゲーム風のデジタル化も含むし、
集団全体の動的な配置、干渉のデジタル化も含む。

そして、それはスケールフリーの相似系となる。

だから、平沢憂は歌った。


ヒントはフライパンの中にさえ あるの。


フライパンの中では卵が熱によって白色固形化していた。
『フラクタル』はこの様子を物語にするだろう。
不安定な構造が相転移して新しい『暫定的に安定な』構造へと変わるだろう。

だが、その構造が進化なのか退化なのかは当人にはわからないだろう。
一時期は進化のように見えて、後には決定的に退化であったことがわかったり、
退化であることが至極明確であるように見えて、実はこれ以上ないほどの進化であることがこっそりとわかったり。

けれど、いずれにせよ、相転移しなければならない。
適切な時期に適切な形で。

それを拒むものは例外無く腐敗する。


●●●●●●

『映画を語る映像』が、これ以上ないほど、『映画』そのものになってしまうということは、あり得る。

●●●●●●

世界は情報で出来ている。
新浜メディカル病院は情報病を扱う。
僕は2DADDという名の病気に掛かっている。

僕が生まれたとき、windows98が発売された。
それはもう大昔のことのように思える。

windows98の前には95というものがあり、
これがパソコンブームの火付け役だった、とwikiには書いてある。
パソコンブームはインターネットブームと連動している。

僕が生まれたときには既に世界は情報過剰状態だった。

悪銭は良銭を駆逐する。
言い方は悪いかもしれないが、大量の泥水が清水の小川を飲み込んでいるイメージ。
情報のダムは既に決壊している。
昔ながらの、大気循環的な、穏やかな清潔な湧き水は一瞬で希釈され、汚染される。

僕はそれを悪いとは思わない。
それは必然だったから。
情報の相転移は不可避だったから。

現実と仮想現実の混合。
例えば、犬と書かれた段ボールを犬そのものだと思って可愛がること。
任天堂DSの中の電子データを犬だと思って可愛がること。
僕はそれを異常だとは思わない。
『愛』があればそれでいいと僕は思う。

現実と仮想現実は同じ重み付けのチャンネルだ。
現実の犬を可愛がるのと同じく、ゲームの中の犬も可愛がる。
それは素晴らしいことだと僕は思う。
現実の犬は可愛がるけど、ゲームの中の犬はデータだから消去してもいい、という考えよりずっといい。

●●●●●●

『フラクタル』における重要な事柄。

ドッペルはデータ・コピー人格に過ぎないかもしれない。
だけれど、現実と仮想現実は本質的には等価なのだから、
簡単に消去・改変するのは許される行為ではない。

ルールというより、愛情の問題。

●●●●●●

澪の愛情。

相手は誰なんだよ!?

と私は澪の脇腹をつつくが、その十倍の力でビンタされる。
弾ける痛さ。
あんまりにも漫画的な光景に梓は顔を横に向けて笑いを隠す。

バカ律!
人の気も知らないで!

えー?

●●●●●●

私の思考は断片的だ。
私は雪道を歩く、靴底に堅い凹凸を感じる、まだ歩道のアスファルトは姿を見せない。
人間の思考はマルチタスクでもシングルタスクでもない。
それは音楽と同じ、ハーモニーだ。
いろいろな音色が鳴り、その共振点が時折発火する。
その煌めきがアイデアだったり文章だったりする。
もちろん、ミジンコにも植物にもインスピレーションはあるだろうし、私もその相に準拠している。

新浜県立図書館。

ここは本の分類・配置のユニークさで知られている。
簡単に言えば、知の進化の順番に本が並んでいる。
それは生命の樹と同じ形をしている。
そして、生命の樹は普通の一般の木と同じ形をしている。

『ユグドラシル』

新浜県立図書館はこの分類・配置をそう名付けている。
そして、生命の樹(ユグドラシル)が一般の木(ツリー)と相似系であるのと同じく、
私はユグドラシルに『ユグドラシル』を見い出す。

全体は細部に宿る。
ならば、すなわち、細部は全体そのものだ。
私は○○○○○について、その事件について知りたいならば、彼の思考パターンだけをシミュレートすればいい。


ヒントはフライパンの中にさえ あるの。


律は唯を唯のギターの音色から見い出す。
澪の全体を澪の歌詞から見い出す。
映画を映画史から見い出す。


――もしかしたら、全体を考える(見い出す)というのは、こういうことなのでは?
であれば、私たちは気負わず、今すぐにでも始めることが出来るのでは?

ならば、私たちがそうしない理由はどこにもない。

私たちが思考を開始しない理由はどこにもない。


●●●●●


拍手ありがとうございますー!

そふえさん>むしろ携帯が主役です(キリッ

ばーるんさん>描いてない部分は撮影できません(キリッ
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