android 2.2にしたら凄く速くなった。 2011年04月16日 漫画 トラックバック:0コメント:3




拍手ありがとうございます!

茶先生>きゅっぷい、とか、思わず日常的に使いそうになってやばいです。
    いつか、まどかみたいな人が出てきてシステム自体を壊してくれることでしょう。
    でも、無理ですね。だって、もったいないじゃないか。(QB風に)

ばーるん先生>ついに最終回の日程も決まりましたしね。
       もう見ました? どうでしたか?
       京アニの『日常』もありますし、プレミアム会員は継続でお願いします。
       だって、もったいないじゃないか。(無理矢理QB風に)

まっち先生>コメント返事遅れまくってすいません。
      だいたい、1ページ描くのはまっちさんと同じくらいかもです。
      ただ、作画自体は30分くらいです。下書き無しで鉛筆一発勝負ですので。
      だって、時間がもったいないじゃないか。(無理矢理QB風に)


●●●●以下、時間が勿体無くてもいい人のための長文コーナー●●●●


初めて出来た彼女が変態だったということが僕の人生にどの程度の影響を与えるのか、
まだ中学2年生の僕には想像すら出来ない。
しかしながら、小学6年の時から書き続けていたブログの更新が最近ピタリと途絶えていたのは
彼女の変態性のためではない。

僕は色々、本当に複雑で取り留めのない問題に悩まされている。
彼女が変態かどうかそんなことは大したことではない。

そんなことは本当に小さいことだ。
まさしく『それどころじゃない』。

2011年4月16日。
土曜日。

早朝、僕は久しぶりにパソコンを立ち上げた。
僕は生まれたときからパソコンを使っていた。
でも、恥ずかしながら未だに、本当の意味での使い方を知らなかった。

これが包丁であったなら、『意味』は単純であって、わかりやすい。

包丁は食材を切る用途に用いる。
服なら着ること。
携帯電話なら電話することに用いる。

ではパソコンは? 

色々なことをすること。
例えば、インターネット。文章作成。お絵かき。
音楽創作。動画創作。ゲーム。オンラインショッピング。
そして、ブログを書くこと。

ブログを書くこと?

僕は違和感を覚える。自分で書いておいてだが。
何か、何かがおかしい気がする。
僕はブログを書くためにパソコンを使うのだろうか?
パソコンで色々なことをして、そして、ブログを書く?
日々、色々な生活をして、日記を書いて、それをブログとする?
僕の人生をブログにする。そのためのパソコン?

そして僕の思考は食傷的で新しさの全く無い、ベタベタなブログ論へと進んでいく。
パソコンは道具である論へと進んでいく。
ブログは道具である論へと進んでいく。

なんのための道具?

・人生を豊かにするための道具。

人生を豊かに、とはどのようなものか――的な内容は、小学校のときの道徳の教科書の
きれいごとをそのままコピペした感じでOKだと思う。
きれいごとはなんだかんだできれいであり、虫酸が走る、などというありきたりな反発心すら
飲み込んでしまう強度がある。

人生を豊かに。

そうだ。
人生が豊かになるようなブログとは何か。

(1)露悪でも露善でもないこと。
(2)他人の悪口を書かず、しかし誉めもしないこと。
(3)主義主張をせず、しかし、それなりに内容があること。
(4)進歩があること。
(5)継続していること。

瞬間的に思いついた上の5項目を、僕のブログは満たしていない。

僕の今のブログは人生を豊かにしない。

だけれど、それが一体全体、何の問題があるだろうか?

●●●●

{1-1 440000時間前の環境}

放置していたブログを50年ぶりに更新した。

勿論、更新したとは書いたが、正確には2010年レベルのワイヤードを仮想環境上で再現しただけである。
FC2ブログサーバーを仮想的に立ち上げて、仮想的にパケット通信をしてみて、
ついでに仮想的にレガシーなブラウザで閲覧してみたという程度の感傷的な暇つぶし。
あるいは紙+ボールペンという記述形式があるにも関わらず、わざわざ岩石に象形文字を彫ってみました的な懐古主義。

だけれど、年寄りには昔話が必要だ、絶対に。

時代は常に新しい方向へと流れていき、老兵は静かに去るべきだけれど、
しかしながら、老兵には老兵の人生があり、信じてきたことがあり、足跡がある。
時には昔話に耽りたい。
無論、若者たちは煙たがるだろうから、こうして仮想的なブログを立ち上げた次第である。

●●

{2-1 S/Nについて}

それは『シグナル・ノイズ比』と読み、元々は音響機器業界で主に神経質的に用いられていた言葉である。
シグナルは必要な信号を意味し、ノイズは不必要な信号を意味する。

音楽データにおいて、シグナルとノイズの判断は難しい。
崩れた波形のゴミをノイズとして取り除いてみたところ、なんともつまらない音像になってしまったとか、
シグナル部を抽出して強調してみたところ、不快音そのものになってしまったとか、
S/N値を改善しようとして人類が遭遇した不具合は数限りない。
それでもなんとかしようと試みる姿勢は正しいが、結局のところは、『なぜかこの配線にしたら良くなった』、
『デジタルにしないほうが良い気がする』、『天気がいい日は良い気がする』、
『水曜日は良い』、『お祈りをすると良い』など、不可思議な方向へと進んで行っている筋もある。

●●

{2-2 S/N値の輸出}

ソーシャルメディアについて、明晰な記述は難しい。

ソーシャルメディアとマスコミュニケーションメディアは水と油のような組成の違いはあるものの、
根元的には同じであるとも言え、しっかりとした対立軸があるわけではない。
おそらくは、マスコミュニケーションメディアはソーシャルメディアに含まれている。
テレビや映画、ラジオがインターネットブラウザに含まれているのと同じく。

2010年近辺において、ソーシャルメディアとマスコミュニケーションメディアはオーバーラップしている。
新旧入れ替わりの時期はいつでもどこでも同じ風景が見られる。
4月の大学構内。経営陣の更新。アプリケーションの上書きアップデート。
ざわめき。無邪気で好戦的な新人の眼差し。更新を行う度に指数的に冗長化する互換ファイル。

旧体制に身を置く人間は、新体制の些細な不備とイノベーションの無さとくだらなさと実績の無さと不安定さを攻撃し、安心し、懐古に浸る。
もうこれ以上は進歩する必要はない、昔はよかった、無駄だ、こんなのは本質的な進化ではない、まやかし、詐欺。
金の亡者。
嘘ばかり。無意味。作られた流行。中身はない。

そして、言う、S/N値が低い、と。

その台詞は精巧なブーメランだが、勿論、ブーメラン自体には他意などなく、
ただ単純に流体力学通りに移動・旋回していることからブーメランは往復というよりは螺旋運動であり、
すなわち新旧両方へとぶつかり続ける。

良いメディアはS/N値が高い、という言葉は呪いに等しい。
これは一般化しても問題ないように思う。
良い物語、良い会話、良い○○、はS/N値が高い、という言葉は呪いに等しい。

1~50の数字をランダムに重複を考えないで抽出するプログラムを走らせて、その数字とあいうえおかきくけこ……を対応させて表示させる。

かじゅゆふじゅもぃえうゆ……

この文字列のS/N値はゼロに限りなく近い。

一方、S/N値が無限大の言葉は下記の通りである。

生きる。

(しかし、生きる、だけではあまり本質的な意味を持たないため、S/N値がゼロの可能性もある)

マスコミメディアとソーシャルメディア、その優劣をS/N値で判断することは難しい。
しかし、切り口としては存在し得る。

●●●●

と、こんな文章を書いてブログを更新しようと思うが、思うだけでやめる。
なんとなくずれている。意味がないと思う。

スナドラさんのLEDが点滅する。
メールが来ていて、差出人が『まな』となっている。
まなは僕の彼女だが、気が狂っている。
まなは宗教にはまっている。その宗教はまなを現実社会から切り落とそうとしている。

「電気がない世界がいいんだよ」

とまなは言う。僕はまなの携帯電話を見る。
まなはその視線に気づき、

「携帯は、まだ2年縛りが終わってないから処分できないんだよ!」

と自己フォローする。

まなは、まなの宗教は、電気の無い世界をユートピアとする。
その世界では僕たちは生活レベルを一気に落とさなくてはならない。
そのせいで、食べ物も、水も、流通も、経済も、なにもかも、想像を絶するほど、
生産も購買も破綻して全てがおかしくなってしまう。

「いいんだよ。おかしくなっていいんだよ。
 電気のある生活の方がおかしかったんだよ」

まなの父親は家電メーカーで働いていた。
毎日毎日、夜遅くに帰ってきた。
そして朝日が昇る前に出社した。
休日も出社した。まなは父親の顔を忘れた。
まなは会社を恨んだ。しかし、それ以上に父親を恨んだ。
父親はその想いに気づいていた。
ゆえになおさら家に帰れなくなった。

父親は家に帰らなくなった。
会社にも行かなくなった。

捜索依頼が出た。
警察が近辺を探し、会社から20km離れたところにある山のふもとに車があるのを見つけた。
山の捜索をしばらくの間実施した。しかし、見つからず、捜索は打ち切られた。

まなは布団の中で、考えた。

父親は殺されたのだ。
会社に。
しかし、会社にしてみれば、一匹の働きアリの喪失に過ぎない。
父親は真面目に働き、しかし、報われず、仕事は増え続け、破綻し、殺された。
会社は父親を殺したが、別に死ねと言ったわけではない。
死ぬくらいなら、相談しなさい、それが自己管理だ。
しかし、与えられた仕事をこなす方法を考えることもまた自己管理だ。
そして自己責任。
仕事を抱えすぎて病むのは自己責任。
家庭を省みれずに破滅するのも自己責任。
なにも死ねとは言っていない。
仕事を、自己管理しながら、自己責任で行いなさい。
それができるのがプロだろうが。

父親の部屋には何もなかった。
本もなく、パソコンもなく、父親の物というものが何もなかった。
身辺整理は完璧に終わっていた。
覚悟が決まっていた。
父親は何も残さなかった。

父親の会社は忙しそうだった。
会社のホームページを見ると、様々な種類の家電製品が彩度高く写っていた。
生活を豊かにする夢のある製品たち。
しかし、その陰で、父親のように何人もの人が声も出さずに死んでいる。

それが経済活動というものだ。

人は苦しみ、価値を作りだし、それを売り出し、朝日が昇る前にまた出社し、苦しむ。
報われることなど無い。

ディスプレイが歪んだ。
色彩が3原色に分離して飛び散った。
まなは目を閉じた。
そして、まなは思った。

これらは生活を豊かにしない。
これらは呪われた製品たちだ。

どんなに高速なコンピューターも、精密な動きをするロボットも、
結局のところは私たちを救わなかった。
1しか出来ない仕事が100出来るようになったら、150の仕事を要求されてしまうから。
右肩上がりに成長する経済発展と、エネルギー消費量は一致していた。
その右肩上がりが私たちを不幸にする。

でも、もし、電気がなかったら?

「もし、電気がなかったら?」

まなは言う。

「朝は朝日と共に始まるし、夜は夕日と共に始まるんだよ。
冷蔵庫もないし、食べられる分だけ物を作って、のんびりと毎日を暮らせばいいんだよ」

贅沢なんてしなくていい。
旅行もテレビもインターネットも本も映画もゲームもいらない。
無くても死なないものは全部いらない。
音楽なんて歌えばいいし、字は炭で葉っぱに書けばいい。
お金もいらないね。携帯も勿論いらない。
学校だって先生が黒板に書いて教えればいい。
マンガも小説もいらない。マスコミもいらない。
毎日をただ楽しく生きられればそれでいいよね。

ひだまりでまどろむ野良猫のように、まなは机に伸びていく。

「君は何が欲しい?」

まなはいたずら好きの猫のような目で僕を見る。

「思考実験をしよう。私は全能の神である。
 さあ、欲しい物をなんでも言うがよい」

「一生働かなくてもいいくらいのお金が欲しいです」

「わかった。はい。今、振り込んどいた」

「ありがとうございました」

「次は?」

「全ての分野における才能と知恵が欲しいです」

「わかった。はい。今、脳味噌に差し込んでおいた」

「……茶番だよね」

「私は本気だよ。さあ、では続きは私が勝手に進めるよ。
 まずは世界平和だな。
 差別も格差も無い、みんなが幸せな世界。
 次は妻だな。これはまあ、私でいいよね。
 次は美しさだ。君の美しさと世界の美しさ。
 最後は永遠だね。こんな状態が永遠に続くこと。
 はい。私はそれを叶えた。叶えたとする」

「はい」

としか僕は言えない。

「でも、これは嘘なんだ。ある意味で。
 アンリアル。君は私に騙されている。
 実は君はずっと布団の中にいる。
 会社に行くのが死ぬほど嫌なサラリーマンなのだ、本当は。
 だから妄想する。中学生の自分を妄想する。
 私という存在を妄想する。
 それは薄っぺらいイメージでしかない。
 君自身も私も、外観すら伴っていないレベルの、文字通りテキストキャラクタなのだ。
 ブログに行き詰まり、仕事に行き詰まり、生活に行き詰まり、
 すなわち人生に行き詰まっている。
 昨日の会議議事録を書いていない。2週間前の議事録も。
 既に時遅し。何をどうしても、弁解も挽回も出来ない。
 会社には行きたくない。
 そんな状態で、何が出来る?
 あと5分で起きないと本当にまずい。
 目をつぶる。吐き気。眠気。妄想の続き」

まなは僕の人差し指の腹を中指で撫でる。
それは猫のおしゃぶりみたいに見える。

「総資産、800億円保有。
 そりゃ素晴らしいかもしれない。
 何も考えずにさらさらさらと漫画が描ける。
 どう崩して描いても、それなりに漫画になっている。
 そんな才能は素晴らしいよね。
 鼻歌がメロディーになってる。
 ベースラインが様になってる。
 一人で3ピースバンドみたいな音楽が歌える。
 羨ましいくらいの能力。
 そして世界平和。みんなが幸せ。
 いつも余裕なさそうで忙しそうなあの人も、ゆったりと寝そべりながら空を見上げてる。
 カラスや野良猫に餌をあげても誰も怒らない。
 怒るっていう感情が沸き上がらないくらいの、幸福感。
 ……でも、それはアンリアルなんだよ。
 なぜか?
 電気があるから。
 電気があるせいで、私達は働かなくてはならない。
 電気のせいで、私達はいらないものを買う。
 電気のせいでやるべきことが増えている。
 幸せを失っている。
 電気のせい。
 電気のせいなんだよ。
 全部」

●●●●

S/N値。

それは人間にも適用される。
人間が作るもの全てに適用される。
それは打率に似ている。
打率はある程度の試合数をこなせば、ある程度のところへ収束していく。
S/N値もそうだ、大ヒットを飛ばすこともあれば大外しだってある。
安打を繰り返す人だっている。
全然打てない人もいる。僕みたいに。

話は突然変わる。

僕は琴吹紬が一番好きだ。

琴吹紬はポニーキャニオン・TBS・京都アニメーション・芳文社・かきふらいが製作・制作した『けいおん!』のキャラクタだ。
彼女はおっとりぽわぽわのお嬢様で、担当している楽器はキーボード。
放課後のティータイムは彼女が持ち込む紅茶とお菓子がなければ始まらない。
彼女は他のキャラクタからはムギちゃん・ムギ・ムギ先輩と呼ばれる。

僕は布団の中で目を瞑る。
僕は物語の中の音楽準備室を脳内で再現する。
それはペラペラのポリゴンに荒いテクスチャーを貼り付けただけような、
まるで初代プレイステーションのゲーム画面のような紛い物だ。
そのチープな世界の中で、僕は琴吹紬と同化する。
僕はムギになる。左隣には澪がいる。
目の前には唯がいるし、その隣には律がいる。
梓はまだいない。何か用事でもあるのだろうか?

ーー梓ちゃん、今日は遅れるのかしら?

僕は発音する、すぐに左から体温を感じる、澪が口を開く。

ーー聞いてなかったのか? ムギ。今日は梓、来ないぞ。

僕の脳内劇である以上、この澪のセリフも僕の言葉だが、事前に考えていたことではなく、僕は驚いてしまう。

ーーあずにゃんは図書委員会なんだよ。

唯はそう言い、ティーカップに口づけをする。
毎週木曜日は委員会の日なんだよ。
もちろん、そのような設定は原作にはなく、事前に考えていた内容でもない。
というより、事前に考えていることなど何一つない。
僕はただこの場に琴吹紬として存在することだけを求める。
それに勝る気持ちよさは今のところありそうにない。

ーーあずにゃんってさあ、どんな図書委員なんだろうねぇ。

と唯が言い、結構真面目にやってるんじゃないか? はい、こちらが2週間貸し出しになります、
一緒にこちらの三国志もいかがですか? みたいにさ、と律が言う。

いや。

と、律っちゃんが言う。
いや、と、律っちゃんが言いました。
言ったの。
言った。
言ったのです。

そうだ。忘れていた。
今日、決めなければいけないことがひとつあった。
それは琴吹紬の文体だ。
今は僕の文体になっていて、それが違和感になっている。

一人称を改める。僕→私。
語尾をぼかす。柔らかくする。言葉も一緒に。
文章の繋ぎ方はどうしようかな。
あまり論理的じゃないほうが私らしいのかも。

ーー律。ファミレスじゃあるまいし、そんな事言わないだろ、図書委員は。
ーーえー、じゃなんだよ、いったい何をするんだよ!
ーー本の整理とか?
ーーきっと可愛いポスター作りとかしてるんだよ、あずにゃんは。

やや。
ここで私はひらめいた。
梓ちゃんの姿を見に、みんなで行ってみたらどうかな。
このままここに居ても、しょうがないし。

私は発言のタイミングを図る。

ーー今週のおすすめは三国志です、みたいな?
ーー律っちゃん、また三国志?
ーーいいだろ別に。三国志面白いじゃん。
ーー律、三国志なんて読んだことないくせに。
ーーな、あ、あるよ!? さすがの私でも、それは!
ーーでは問題です。三国志とはどこの国の物語なのでしょうか?
ーーえ?
ーー律っちゃん……?
ーー国、だと?
ーーまさか、律っちゃん?
ーーな、なんだよ。唯は言えるのかよ?
ーー勿論だよ……。これくらい小学生でもわかるよ……。
ーー律……。
ーー孔明。ソウソウ、リュウビ、関羽、シバイチュウタツ、サンコの礼。セキヘキの戦い。
  まあ、これが言えるからOKということにしといてくれ。
ーー律っちゃん……、私、情けないよ。不憫だよ。
ーーなんでだよ! なんで唯が不憫なんだよ!
ーー軽音部部長が、こんな程度でいいのかという、そういう不憫さだよ!
ーー関係ねえ! っていうか、唯は言えるのかよ!
ーー言えるよ。中国だよ。
ーー……いや、それはわかってたけど。
ーー中国の戦国時代だよ。
ーーいや、そういう問題じゃないと思うけど。
ーー律っちゃん、中国は中国だよ。

ーーはい! いい考えがあります!

と、ここでやっと私は発言できた。

ーーその答えと、梓ちゃんの様子を見に、図書室へ行きましょう!

え、あ、その手があったか、と律っちゃんと唯ちゃんは立ち上がる。
あずにゃん、今、先輩が行くからね! と唯ちゃんが興奮して言う。

ーーいや、迷惑だろ。
と澪ちゃん。

しかし、この構図になれば、あとは定石通り。

私は澪ちゃんの肩をぽんっと触り、大丈夫、ちょっとだけだから、と言って笑う。
澪ちゃんは心配そうに、ムギー、と言って、しかし、ゆっくりと腰を上げる。

行くぞ唯、と律っちゃんは腕を回しながらドアを開ける。
あずにゃん、あずにゃん、と唯ちゃんは嬉しそうにもうダッシュする。

アニメであれば、漫画であれば、小説であれば、ここで空間と時間の省略が行われ、目の前が図書室になる。
だけれど、あくまでも僕の脳内世界である以上、そのような巻きを行う必要がない。

私は澪ちゃんの後ろに付いて歩く。
音楽準備室の電気を消し、後ろ手でドアを閉める。
右手には階段があり、そこの手すりには亀さんがいる。
しかしながら、ここから先、図書室までの地理は全くわからない。
わからないからイメージが不鮮明になるが、正解も不正解もないので、適当にそれらしい建物構造を脳内で描くことになる。

●●●●●●


まなは僕のエロを禁止する。

男はエロいことばかり考えているのだ、とまなは思いこんでいた。
なぜそう思ったかと言えば、インターネットにそう書いてあったからである。
そのインターネットは汚らしかった。言葉が汚かった。
そして語れる内容も汚かった。
そこでは世の中に実在しないキャラクタへの偏愛が語られていた。
いや、偏愛、という言葉はおかしいかもしれない。
そこでは変態的な性が語られていた。
そこでは変態的であればあるほど、発言として優位に立てるようだった。
変態的な発想が競われていた。その意味の分からない闘争の中、
無垢なキャラクタは無惨に汚されていた。
まなはブラウザを閉じた。
そのまま電源を落とし、パソコンを2階から落とした。
派手な音は鳴らなかった、落下面が土だったから。
でも雨が降っていた。静かに静かに降り続いていた。
まながうたた寝から醒めてもまだ降り続いていた。

こういうことは常にありうる。

まなは思う。こういう構造、構図は常にありうる。

話は変わる。

evernoteの使い道について。

evernoteは紙の手帳とは全く違う使い方をしたときに真価を発揮する。
S/N値を全く無視して全ての情報をevernoteに流し込むことで初めて動き始める。
ぱっと浮かんだ思考をそのままアップロードする。
風景を写しアップロードする。
それらは日付で管理され、自動的に内容に応じて分類される。
それは硬貨を自動的に仕分けて整理する機構に似ている。
がらくたを投入口に放り込み、後で『いいもの』が入っているフォルダを開けばよい。

evernoteの整理は人間の仕事ではない。
中身を見返してtag付けを行うのは時間の無駄であり、ストレスになるため推奨されない。

人間の記憶は断片的で曖昧で磁力に歪められやすい。
人間の脳は神経細胞で構成されており、微細的に見れば電圧差で動いている。
なんらかの事象により情報が欠落することは常にありうる。
3日前に食べた夕御飯を覚えていない。
おつかいに頼まれたものが醤油か酢か覚えていない。
一夜漬けで覚えたsin(α+β)の展開をど忘れする。

evernoteはそういう場面を想定して、常時、過剰過ぎるほど、ライフログを取るという用途に用いる。
ベクレルとシーベルトの違いを調べたら、そのままhtmlを放り込む。
勿論、知りたいときにその都度検索してもいいがevernoteに入れておけば検索した日時が紐付けられることになり、
それは非常に重要な情報になる。

evernoteは使用者にとって、世界の再構築と等しい。
目に付いたもの、思いついたもの、気になること、そういうことが全て日付が紐付いて保存される。
ある意味、それは物語と等しい。
毎日のある瞬間の情景が保存される。言葉が蓄積される。
それらは多層的であることに意味がある。
単純な切り絵も重ねれば複雑な模様になる。

ーーそんなことに、なんの意味があるのかね。

彼はそう言い、口の端を歪めて笑った。
空は灰色だった。
赤と青と緑と黄色と白を全部混ぜて不安な気持ちを抱えたまま30分かき混ぜたような色合いだった。
彼はサラリーマンを6年間勤めて、辞めた。
辞めたのか、辞めさせられたのか、その境界が微妙な感じのまま、彼は会社に行くのを辞めた。
辞めた瞬間の高揚感は30分で消えた。
彼は会社にいるとき、いつも眠りたいと思っていた。
その願いは切実だった。いつも軽い頭痛と目眩に襲われていた。
ところが、辞めてみると、眠りたいとは思えなかった。
何時間でも、何日間でも眠っていていいはずだった。
しかし、布団に入ろうという気がしなかった。
入っても気持ちが悪かった。
不気味な無音が彼を悩ませた。
テレビもアニメも漫画もゲームも全て空虚な感じがした。
いや、何もかもが空虚な感じがした。
パチンコもギャンブルも酒も空虚な感じがした。

空は灰色だった。
呼吸も空虚であった。
何をしてもいいはずだった。
時間は山ほどあるはずだった。
好きなことを好きなだけしていいはずだった。
それほどお金があるわけではないが、少しは贅沢をしてもいいはずだった。
しかしながら、実際には何もすることができなかった。

ネットカフェ。

カルピスソーダ。狭い個室。古いパソコン。
適当に選んだ漫画を斜め読みする。
不思議な感じがした。読み方がわからない気がした。
上下を逆さまにしているのか、と思うくらいだった。
性的な描写のところだけ、心が少し動いた気がした。
それ以外は空虚だった。
空虚な言葉が空虚な世界で記載されているだけのような気がした。
漫画だけではなかった。
インターネットもまた、彼の認識とかみ合わなかった。
彼と世界の間には、なにか、薄くて透明な、しかし、強固なフィルムが挟まっていた。
そのフィルムは光を歪め、音を歪めているようだった。

何かを見ること、聞くこと、触ること。
それは実感できるが、しかし、どこか他人事のような気がした。
時折、自分の手が自分の手とは思えないときがあった。
何か気持ちの悪いものが視界に映っていると思うときがあった。

そんな彼が出会った少女の名前は『まな』と言った。

まなは漫画が描きたいと彼に言った。
描きたい、というか、描いている、と言った。
ちょっと読んでみてください、感想とかご意見をどうぞ。

彼はぼんやりしていた。
よくわからないまま、A4の茶色の封筒を渡され、中から原稿を取り出した。

●●

世界は本当は反対なのです。

(1コマ目、黒い背景に白い字でデカデカと描いてある)

地球は丸いのですから、上も下もありません。
地球の中心へと向かう集中線の中では上とか下とかあるかもしれませんが(要は重力線のことです)、
それは地球をベースに考えるからそうなのであって、
宇宙は広いのですから、わざわざこんな小さな天体の一つである地球をベースにする必要なんてないのです。

●●

上を見ればそこもまた街だった。
球状の宇宙コロニー内部。
私は街の地面に立っているが、私を中心に街は空へ向かってせり上がり、
空気遠近法で白くぼやけたその果てもまた街なのだった。
コロニーはものすごいスピードで自転していた。
それは重力を作るためだけではなく、エネルギーを作るために必要な運動だった。

隕石がぶつかって、街に穴が開くと、私たちは宇宙の塵になります。

それを防ぐために、人類の最高峰のテクノロジーが使われているのです。

●●

しかし、コロニーに穴が開いてしまう。
それは小さな穴だった。
政府はこれはクライシスではないと説明した。
すぐに修繕を行った。上手くいくはずだった。いかなかった。
コロニーは構造的に問題を抱えていた。
それは球状を採用した時点で逃れられない、根本的な、弱点だった。

●●

漏斗状。
漏斗部分でのスピードは光速を超える。
光速を超える、というのはあり得ないとされている。
もしあり得るならば、その漏斗部分からは光が逃れられないので、真っ黒になる。
だから、というわけではないが、その漏斗部分は黒かった。
それはブラックホールと呼ばれる。

光が捉えられてしまうその境目で、世界は分割される。

こなた、と、かなた。

光速に近いスピードのロケットに乗って地球を離れ、また地球に戻ってくると、
地球の時計とロケットの時間はズレてしまう。
光速に近づくと、時間の流れが遅くなるからだ。
なぜ遅くなるのか。
それは光の速度が一定であるという仮説から帰結的に導かれる事象である。
光のような速さであなたが動けば、あなたの時計はある箇所からあなたを観測する人にとっては遅延する。
なぜ時計が遅延するのか。
その前に、時間とはなんなのか。
時間と時計はイコールではない。
あなたの時計の電池が弱ってしまい、2時間の遅れを表示したとしても、それが世界の時間を意味しているわけではない。
もちろん、太陽を基準としたものでもない。
もちろん、地球のどこかに世界基準時計はあるわけだが、その時計が遅れたとしても、世界の時間が遅れるわけではない。
絶対的な時間。
そういうものがあると、考えてはいる。
それをどう定量化するか、というところで、まあ、朝昼夜の一日を基準にしましょう、ということになった。
なんでもいいけど、どうも太陽が365回出てきて沈むと
ちょうどしっくりとした周期になりそうだ、ということに気付いた。
そして、うるう年というものを考慮すると、なおさら完璧ということに気付いた。
じゃあ、365日+αを1年としましょう、とした。
一日を24分割したものを時間とした。
それは円形の日時計を12分割したものから発想が繋がっている。
円形は12分割しやすいというところもポイントである。
円形を分割するのに一番やりやすいのは2等分であり、次はそれを半分にする4等分であろう。
それをまた半分にすると8等分になるが、半日を8等分すると、疲れるのではないか。
疲れるので、まあ、最後は3等分するか、ということになったのではないか。
4×3で12分割。

何を言ってるのか訳がわからないよ、というのは書いている自分も思っており、
インターネットで調べたら、古代メソポタミア文明の名残であると書いてあった。

想像と全然違ったので今日はもう寝る。

話は突然終わり、そして始まる。

『あなたのコアコンピタンスはなんですか?』

コアコンピタンスとは企業の中核的な力のことである。
例えば、
「我が社は液晶パネル製造技術が優れているので、これがコアコンピタンスです」
とか。
でも、実際のお客さん視点でそれが本当に正しいかどうかが問題である。
あの会社の液晶パネルはきれい、と思ってくれていればいいが、実際は各社頑張っているのでさほど差がなかったりする。
そこそこの品質のものを安く作ってくれる、というあたりがその会社の魅力だったりするかもしれない。

「私は漫画が描けます」

と言っても、本人が思っているほどには描けてなく、
漫画のあとがきのちょろっとした自虐ネタのほうが最高に面白いということもあるかもしれない。

また、液晶パネルを作るのが得意、というのは本質的ではないかもしれない。
その会社は液晶パネルが得意になる素地があり、歴史があったと見るべきであろう。
昔から、ずっと作り続けていたとか。
転用できる技術があったとか。
きれいな絵を出力する回路、ソフトに関しての能力に長けていたとか。
液晶パネルはそのような素材の上に咲いた一輪の華であり、本当の意味でのコアコンピタンスとはその素材にこそある。

『あなたのコアコンピタンスはなんですか?』

他社、あるいは他者が持っていない強み。
独自性。才能。能力。

無い無い。そんなの私には無いよ。
と、言うのは簡単だけれど、考えてみる価値はある。

「私は、あれかな。元気があること、かな」

と、茅は独り言のように言う。
茅は看護婦をしている。とある病院で。
看護婦の仕事はものすごいハードである。
ハードでマニアックでかつルナティックである。
茅は一時期、仕事に負けそうになった。
押し寄せる大量の業務。
自分の能力・経験不足。
すさんでいく生活。精神。
仕事の苦しみにおいて、他人がしてあげられることは多くない。
個人の苦しみは個人のものだ。
痛みは共感できても実感はできない。

ある日、茅の心は折れた。
高熱が出たので休みます、と職場へ電話し、そのまま携帯電話をへし折った。
上下をジャージに着替えた。
トレーニングシューズを手に持った。
隣町の市営体育館へと車を走らせた。

茅は走った。
退職することを考えながら、地面を蹴って加速した。
昼間の体育館は人が誰もいなかった。
事務所で物憂げに書類仕事をする女性が見えた。
日差しが体育館に60°の角度で入り込んでいた。
微細な埃が可視化され、立体的に煌めいていた。
それはまるで濁ったクリスタルの柱のようでもあった。
走りながら、窓外を見る。
田園風景。犬の散歩をする主婦。農薬散布する老人。
それらは窓枠によって定期的に暗転した。
それは映画のフリッカーを茅に連想させた。
そして、そのようなイメージはどこかの本で読んだ、と思った。
呼吸が上がり、心臓が音を立てて膨縮する。
ふと、中学時代、という言葉を想起する。
中学時代のことを、いつかは懐かしさと共に思い出すのだから、
そのころの心の流れを日記として残しておくのはきっと意味がある。
もしも、目の前に中学生の子がいたら、そう教えてあげたい。
と同時にこうも思う。
今の私はなぜ中学生じゃないのか。
中学生の気分にならないのか。

中学生の気分で走ることは不可能か?

もう若くない? まあ、そうかも。心も体も。
体力もない? それはどうかな。
色んなことを知ってしまった? 私よりも物知りな中学生は山ほどいる。

気持ちの問題?

いくら、自分は中学生だと思いこんでも、どうしてもなりきれないのは心の問題?
心の方向性か、エネルギーか。

エネルギーだな。
私が中学生になれないのはエネルギーの問題だ。

風を切る。
誰もいない体育館で加速する。

心のエネルギーが不足している。
中学生時代が100だとしたら、今は10だ。
それは携帯電話のバッテリーの劣化に似ている。

中学生の時は、一日寝れば、0が100になった。
うきうきするような物語、言葉に触れれば100が200になった。
今は、寝ても0が10になるだけ。
感動しても笑っても10が20になるだけ。

バッテリーの劣化。
それは結局は肉体性の劣化と相関しているのだろう。

しかし、そんな結論で終わらせていいのであろうか。

年齢に負けた。
もちろん、物理現象としても、それは当然なのだが、しかし。

しかし、せめて心は100に、中学生レベルになれないのか?

それは心の姿勢の問題なんだろう。
おそらくはその姿勢を忘れてしまったのだろう。

その姿勢はどこにある?

体育館の外の駐車場を、どこかの家族3人が歩いていた。
髪を慌ただしげに後ろで一本にまとめた母親と、少年2人。
少年2人は歩きながら、NDSを遊んでいた。
その様子は楽しげではなかった。
無表情であった。
色々な感情が想像できた。
2人の少年は向かう先が嫌であること。
ゲームは楽しいが、笑顔になるわけではないこと。
ゲームをしながら無表情で母親の後ろを歩くということが、少なからず、なんらかのメッセージであること。

ゲームは彼らを幸せにするだろうか?

嫌みおばさんPTA的な発想で私はそう思い、すぐにその陳腐さに気づいてちょっと笑う。
でも、正論の一つとしては存在しうる。
彼らはそれを一笑するなら、それなりの根拠を示さなければならない。

ゲームが心のエネルギーを奪っていくことはあり得るか?
--結果としてはそうかもしれないが、無視できないプロセスがいくつか介在する。

ゲームをして育つと、ゲームを作ろうと思うようになるのでは?
--それはそうかもしれない。
それが現実世界への無気力へと繋がるかもしれない。

そもそも、あの風景が望ましいのか?

自分の後ろについてくる、目の光を失った子供2人。
日々の震災のニュースに怯え、日本悲観論を浴びる。
学校の勉強は面白くない。塾も時間の無駄だ。
ゲームの画面の中には、まやかしではあるが、仕事がある。
酒場へ行けば仕事を依頼され、クリアすると金と名声が上がる。
それはリニアに上がる。達成感がある。
それに対して、今の世界は窮屈で、つまらない。
ルールを守ることを求められるが、そのこと自体にはなんの意味も無いことは明確である。

液晶パネルの世界と、そのフレームの外にある現実世界。

問題はその混合ではない。混在ではない。
重み付けだ。

しかし、残念ながら、液晶パネルの世界には生きられない。

残念ながら。
ここには少年の成長を見守ってくれる少女は存在しない。
トレーナーのお姉さんは存在しない。

茅は走り、息を吐く。
乳酸がふとももに溜まり、神経を刺激する。

ふと、携帯電話を持ってこなかったことを思い出し、二つに折ったことも思い出す。
あの携帯電話には万歩計機能が付いていたことを思い出す。
歩き回る仕事の茅は、万歩計機能が気に入っていた。
日々の歩数記録が茅の人生を評価してくれているような気がしていた。
それが失われてしまった。

なんだ。なんか、走っても無駄か。

そう思い、すぐに、いや違う、と思う。
記録なんてなくても、走らなければならない。
記録のために走ってきたわけじゃない。
今、こうして走っているということが一番大切なのではあるまいか。

ここまで歩いてきました、ではなく、
今も走っているし、未来もまた走ります、ということが
何よりも重要なのではあるまいか。

過去、こんな絵を描きました。
今は描けません。

それじゃだめだ。
今、描けなければ。

今、走らなければ。

同じ構図で、
 中学生でした。
 今は中学生じゃありません。
じゃだめなのだ。

と、いうことは、すなわち。

私は14歳でした。
今は14歳ではありません。

ではなく、今、14歳でなければならない。

14歳になろう。
どうやって?

簡単だ。
なればいい。
なれる。

私なら。

●●●●●●

光や音や電気はエネルギーだ。
形は無いかもしれない。
何かを媒体にして伝達される。
伝達。
僕はそう書いたけど、それは手紙のようなものではなさそうだ。
それは伝言ゲームのようなものなのではないか。
あるいは、だるま落としのようなもの。
だるま落としの連続によってエネルギーは見かけ上伝達され僕たちの手元に届く。

光と音と電気は違うものだろうか?
氷と水と水蒸気は根本的には同じものだ。
それと同じことが光や音や電気にもいえるだろう。
見え方や意味は違うかもしれないが、根本は同じで、それはエネルギーと呼ばれる。

e=mc^2

真っ白なノートに上の式を書く。
その意味を考える、いや、考えるまでもない。
エネルギーは質量と光速の平方に等しい。
すなわち質量はエネルギーである。
物体というのはエネルギーである。
光や音や電気を、ぎゅうと圧縮したら、それは物体になる、ということかもしれない。

要は、物体はそれ自体が高エネルギーという意味である。

どうイメージしたらいいんだろう?

静かな、巨大なプールがある。
プールには水が張られている。
水面には波がない。

そこへ、ビー玉を落とす。
落下点を中心にして、波が広がっていく。
この波がエネルギーだ。
エネルギーは伝搬していくが、それは何かの物体が移動しているわけではない。
水は多少の攪拌はあるにしても、基本的には上下に揺れているだけだ。
上下に揺れ、その周辺の水との結合力のために揺れが伝わる。

光や電気は、昔はビー玉のように描かれていた。
光子、電子はピストルの銃弾のように発射され、飛んでいた。
しかし、実際はそれは波のように周囲の物体を揺らしているだけであり、すなわち影響を与えているだけだ。
影響が伝搬する。
熱いとか明るいとか痛いとかはそのエネルギーの測定方法による。

プールの水面の波が、複数個、激しくぶつかりあい、擬縮する。
波が拡散しなくなり、拡散する量よりも内部で保有するエネルギー量が十分に多くなり、
波の集合体というものになる。
それは氷のようなものかもしれない。
プール水面にその氷のようなものが、点々と存在し始める。
その氷のようなもの同士の衝突・結合が起こり、どんどんと多種多様な物体が出来始める。

物体は質量を持ち、水面を歪ませる。
言い換えれば、高エネルギーなものは水面を歪ませる。
歪んだ水面の傾斜に引き寄せられ、大きな氷のコアに小さな氷は落ちていく。
これを重力と呼ぶ。

太陽は巨大な星だ。
そして、高エネルギーであり、太陽系の中心に存在する。
太陽の重力と地球の遠心力がつり合っている。
太陽から特別に重力子やら重力波が飛んできていて地球を手放さないわけでなく、
太陽という高エネルギーが歪ませた水面、正確に言えば時空間の傾斜が地球の遠心力とサチっている。

e=mc^2は、こういうイメージ。

エネルギーと物質は等価である。
だから、光速が不変であれば、光速に近づくことで物体は歪む。

●●●●

茅は歩いた。
息を整えながら、ランニングコースの内周をなぞった。

体育館は利用客が誰もいなかった。
平日の昼間だから、当然のことかもしれなかった。

歩きながら、太陽光で白く霞む窓外を見ながら、もしも自分がブログを作るとしたら、どんなブログを作るだろうかと考えた。
茅はこういう想像が好きだった。
もしも、自分が映画監督だったら。
NHK教育のディレクターだったら。
しかし、あんまりにも飛んだ仮定は面白くないということには気づいていた。
ブログなら、たぶん、簡単に作れる。
その敷居の低さが、想像への抵抗力を下げてくれた。

伝えたいこと、メッセージ。
ーーそんなものは何一つなかった。
漫画を、絵を、音楽を、小説を作る。
ーー無理だな。子供の頃からそういうのは苦手だった。
日記を書く。
ーーまあ、そういうところに落ち着くのではないか。

日記を書く。

○月○日

仕事をサボった。携帯電話を折った。
体育館で走った。色々なことを考えた。

終わり。

えーと、何を考えていたんだっけ?
茅はラスト一周を歩く。そして、ランニングコースから外れ、ストレッチをする。

書きたいこと。
それはこんな無味乾燥な記述ではない。
走りながら考えたこと、それは脈絡のない思いつきの集合だけれど、
そのノイジーな情報こそ、書かなければならない。

『僕』を脳内で動かし、そこから自分を描写する少女の『まな』のこと。
S/N値のこと。
光速と時間の遅延のこと。
仕事のこと。
仕事での『まな』、『ルキア』、『茶絵』の問題児のこと。
evernoteのこと。

あとは?
もう忘れた。覚えてない。
ただ、おそらく、それらは全て同じ『何か』のことを考えていた結果のことなのだ。
氷と水と水蒸気のように、形は違っていても、根元的には同じ何かのことなのだ。

螺旋の階段を降りる。
節電中なのか、自動販売機の照明が消えている。
”発売中”のランプだけが青く輝いている。
受付で退出時間を記入する。
退屈そうな女性事務員が私をちらりと見る。
まだ外は明るく、夕暮れも始まっていない。
緑色の足拭きマットを横切り、下駄箱エリアに行く。
内履きを脱ぐ。
この体育館はまだ出来てから1年も経っていない。
モデルハウスのような木のにおい、薬品のにおいがまだある。
靴を履き変え、自動ドアを抜けて、外へと出る。

目に入ってくる光量が一気に増え、瞳孔が絞られる。
もちろん、光だけじゃなく、情報のコントラストも感じる。

なんか、懐かしい感じ。

不意にそんなことを思った。
14歳的な懐かしさ。
風景。情景。心象。

目眩。
感受性は目眩に似ている。
脳内の神経細胞が発火し、活発に接続されるあの感じ。

ーー14歳のときの感受性を自分は取り戻せるだろうか?

取り戻せる。
今なら確信できる。
今、この瞬間、私は14歳の私に肉薄している。
この心地よい疲労感と光源の中、私は14歳になっている。

私は『僕』になれる。

時間なんて如何ようにも捻じ曲げられる。
今の速度なら。
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