Ice Cream Sandwich 2011年10月16日 文芸(長文) トラックバック:0コメント:0

姉の言動は離人症そのもののように見えました。

離人症には内因性のものと外因性のものがあり、姉の症状は後者から始まっているようでした。
彼女の病気の全ての始まりは自己免疫疾患ですが、それによって実体として損傷したのは脳内タンパク質受容体一群であり、
その部位は記憶と学習を司っている、いわゆる「海馬」に関連しているとのことでした。

記憶と学習の機能が低下することは、単純に勉強ができなくなることを意味しないようです。
脳内の情報パケットの何割かをロストしてしまう姉の頭は、この今の現実を「見たままに」理解することができないようでした。

――これは本当の世界なの?
――これ、夢だよね?
――あはは。これ、絶対変だ。夢だよ。嘘なんだよ。全部。

姉はそう言い、私の身体を触りました。私の身体に触感があること、体温があることが不思議なようでした。
その不思議さは姉により一層の混乱をもたらすようでした。ここが現実なのか、夢なのか、ますますわからなくなるようでした。

私はインターネットで離人症を調べました。
いろいろなサイトが検索結果で並びました。医学的な文献や、発症者本人の日記や、2ちゃんねるのスレッドや、相談サイトなどなどです。
いずれも、書き方は違えど、内容は同じようなものでした。

離人症の人は、下記のような「気持ち悪さ」に囚われ続けているらしいです。

生きている感じがしない、
「今のこの世界」が、「今まで生きてきた世界」と何かが違う気がしてしょうがない、
自分がロボットになったような気がする、
自分と世界との間にガラスが一枚挟まっているような感じがする、
などです。

でも、そういう「気持ち悪さ」はなんだかわかるような気がします。
私も程度の違いはあるにしても、そういう「気持ち悪さ」を感じることがあります。

――脳内パケットが正確に受け取れないから、気持ち悪い感じがするんだよ。

私は姉の主治医、茅先生からメカニズムをそのように大雑把に説明されたことがあります。
茅先生はホワイトボードに絵を描きました。それはカビの群生と胞子体群のように見えました。
レセプターと呼ばれるゲートの中へ、胞子のようなタンパク質が取り込まれていきます。
巨視的に、微視的に、人間の脳のシステムはそのようなコミュニケーションの連鎖で成り立っているのです。
姉を攻撃する姉の抗体はそのシステムの一部を損傷させるものでした。
電波障害で帯域を著しく失った携帯電話が、沈黙し、エラーを吐き出すように、姉の頭もまた「違和感」という名の
エラーメッセージを彼女自身へ伝えるのです。

――茅先生。姉は、治りますか?

私はイラストを消す茅先生の背中に向かって問いかけました。
茅先生のボニーテールが一瞬、戸惑ったように揺れました。
茅先生は、ちらりと私を見て、言いました。

――那由他(なゆた)さんは、若いから、きっと治りますよ。

●●

姉の病室は14階にありました。
姉の病室からは名古屋駅周辺の乱立する乱雑なビル群を見下ろすことができます。
(私は都会のこういう繁栄が苦手です。なんだか不潔で不誠実な感じがするからです)

4人部屋の窓際に姉はいました。
姉の向かいにはルキアさんがいました。
ルキアさんもまた、姉と同じような病気だということでした。

――妹にゃん!

ルキアさんは猫のように目を輝かせて私に手を振ります。

――にゃんにゃん!

姉も猫的に両手をくねらせて私に招き猫のポーズを取ります。
正直、このテンションの高さにはついていけません。
私は軽く招き猫ポーズをして対応します。

――妹にゃん、まだ照れがありますね……。もっと、こう、魂を燃やさないとですよ?

ルキアさんはそう言い、なぜか病衣服の胸元を緩めます。なぜか胸ちらです。私はびっくりして猫の手で自分の視線を遮ります。
ティヒヒ、とルキアさんが笑います。ちなみに、ティヒヒと言うのは「まどかマギカ」の二次創作でよく使われる笑い声です。お気に入りです。

――愚妹、こっちこっち!

姉はベッドに対して横に座り、右手でぽんぽんと毛布を叩きます。そこに座れということです。
私は鞄をベッド脇のテーブルに乗せ、座ります。私の真横に点滴用の移動式金具が立っています。
姉はここしばらくは点滴をしていないようでした。それはなんだか姉の症状が良い方向へと向かっている証拠のような気がして、好ましく思えました。

――妹にゃんは相変わらず可愛いですね。思わず無茶振りしたくなるくらい可愛いです。

無茶振りですか?
私はきょとんとしてルキアさんを見ました。

――妹にゃん、ユーロ圏の経済危機をギリシャを絡めた形で総括してください。

意表を突く、本気の無茶振りでした。

私はしどろもどろで言いました。
あ、あの、ぎ、ギリシャは元々大した特産も産業もない小さな国でした。でも少し前にヨーロッパの通貨をユーロに共通化しようという動きがあり、
ギリシャの通貨はユーロになったのです。そのおかげで、ギリシャの経済的な信用が向上しました。ヨーロッパ、いわゆるEU全体としての
信用をそのまま背景にした信用感です。そのため、ギリシャは身の丈を超えた借金をすることができるようになりました。
ギリシャはそこで、無理な借金をしました。それは主に社会福祉向上のための投資でした。社会全体のサービスを、国の実体経済を超えたレベルで
行うようになりました。借金を返す見込みがなかったわけではありません。しかし、昨今の世界全体の経済不安、不況の煽りを受け、実際問題として
返済が難しくなったのです。借金を返すことができなくなった場合、どうなるかといえば、自己破産するか、助けてもらうかのどちらかしかありません。
お金を貸した側としては、出来るだけでも回収したいと思います。そこでギリシャの国全体としての運営に他国が口を出すことになります。
一番始めに目についたのはその贅沢な社会福祉でした。しかし、そこを削減する、レベルを下げることを、国民はひどく嫌がりました。
身の丈に応じて支出を減らすこと、それが求められていることがわかっているのに、国民はそれを拒否したのです。もちろん、理由はあります。
そこをいじめるより他にやり方はあるはずだからです。例えば、政治や公務員に掛かるコストなどです。同じような構造は日本にもあるのです。
増税するより先にやることはあるだろう、そう国民は思っているのです。それは正しくもあるのです。
結局、議論が延々と続くだけで結論も行動も見いだせず、返済期日がやってきたのです。
ここで、ギリシャが破綻した場合、その国債とそれに関連した通貨の信用が失われます。信用が失われた通貨の運用は難しくなります。
信用不安に陥った通貨はリスクヘッジのための金利が高騰します。それはユーロ全体にとって不利益なのです。
そのため、ギリシャの経済危機はユーロ圏の経済危機であり、また、そのような危険水域に達している国はギリシャだけではないのです。

――愚妹、長いよ! 長過ぎるよ! なんでそんなガチで回答すんの!?

●●●

私はgoogleが好きです。appleも好きだし、microsoftも好きです。
なぜ、それらの会社が好きなのか、私は自分のことでありながら、不思議でした。
私は単純に、大企業でコンピューター関係が好きだ、というわけではないようなのです。
なぜなら、IBMやintel、sony、yahooなどはそれほど好きではないからです。

でも、最近、その私の中の謎について、シンプルな正解を見いだしました。

私はOSを作っている会社が好きなのです。

windows、android、iOS。
私の頭の中にはそれらの存在が常に大きなシェアを保持しています。
私は何かがあると、それらのOSの挙動をイメージします。
『なんだか上手く仕事が回らないな。タスクを分解しよう』
『もうこのことを考えるのは思考資源の無駄だな。捨てよう』
など、私は自分自身をOSの挙動のイメージの中でコントロールします。

私はOSの進化をいつも自分自身に取り入れたいと思っています。
その中で、これからリリースされるandroid4.0、いわゆるIce Cream Sandwichは
ひときわ私の興味を引くのでした。

androidはそもそもiOSに対抗するような形で立ち上がったスマートフォン向けのOSでした。
android1から始まり、最近、android2になりました。2.0から2.1、2.2、2.3とバージョンを上げていきました。
そんな中、タブレットに対応したandroid3が突如登場しました。この3.0はまた、3.1、3.2とバージョンを上げていきました。
このandroid3はスマートフォンに入れることができず、ここにおいて、androidは分裂してしまいました。

android4は、この分裂を収束させる役割を背負っています。
すなわち、android4により、android2とandroid3は統合されるのです。

――これだ。

と、私は思いました。私にとって、それは天啓の声のように聞こえました。
私もまた統合しなければならない、と思いました。

私も分裂した私自身を統合させ、ひとつにならなければならない、と思いました。



私は数多く分裂していますが、その中でもトップクラスの分裂は私の『リアル』と『ブログ』の乖離です。
私の『リアル』と『ブログ』は180°違うと言っても過言ではありません。
あまりにも正反対に違いすぎるので、私は私の『ブログ』を『現実の鏡像』だと考えてきました。

右手を上げれば鏡の中の私が左手を上げます。
笑えば泣き、怒れば喜びます。
そのような正反対の世界であればこそ、ブログを書くことで私は逆説的に私のリアルを描くことが出来る、
そう考えてきました。

しかし、最近、どうもそのように思えなくなってきました。
その理由の一つに、思考資源の有限性を実感する瞬間が多くなってきたということがあります。
朝起きて、夜寝るまで、いろいろな思考・行動をしますが、それが全て『行動ポイント』の消費を伴うことだと
思えてきたのです。
これはゲーム的な考え方かも知れませんが、例えば一日の行動ポイントが100だとして、
非リアルなことに80を費やせば、リアルには20しか使えなくなるのです。
また、これは時間感覚も関係します。
もしも一日の時間、24時間の中で、初めの6時間で100の行動をしたら、残りの18時間は何も出来なくなります。

このような考えで生活をするにつれ、私はリアル以外のこと、例えば『現実の鏡像』に時間と行動ポイントを費やすことに
魅力を感じなくなりました。
現実の鏡像はやはり鏡像に過ぎませんでした。物語は物語であり、私の現実にはなんの効果も齎さなかったのです。

と、こんなことを思い、さて、ではどうするのか、という展望は、私の中にはありませんでした。
甘い甘い飴玉を舐め続けることに堕落を感じ、悟りのような思いを抱いた上で、その飴玉を吐き出したところで、私には何も残らなかったのです。
かといって、また飴玉を舐め始めようとも思えませんでした。なんとなく、嫌な感じがするからです。

そんなこんなで、私はふらふらと生きてきました。
そして、androidというOSを観察する中で、この嫌な感じの解決方法を見いだしたのでした。

私は私の『リアル』と『ブログ』を統合すればいいのです。
鏡像ではなく、リアルな位相でもって描写すればいいのです。

私は私の本当のことを書く。

難しいことは何もないのです。あるがままのイメージを書く。心の動きを書く。
それがリアルとブログの統合なのです。ただ、それを私はあえて今までは避けてきました。

なぜならば、それをすると、『ブログ』ではなくなるからです。

●●●

――想像してみてください。想像だけならタダだし、簡単ですよね?

茅先生はそう言って、にやにやと笑いました。
なんで笑ったんだろう。私は不思議に思いました。

――あなたのお姉さんの、夢っぽさ、非現実感、これはどうして生まれると思います?
  きっと、あなたのお姉さんはあなたと同じ世界を見ているし、感じています。
  でも、それがなぜか、嘘っぽく感じるのです。
  その違いはなんだと思いますか?
  本当と、嘘と、その違いは。

本当と嘘の違い。

――例えば、革新的な商品、空飛ぶ車を見たとき、あなたは嘘っぽいと感じるかもしれません。
  でも、それを触ってみたり、インターネットで調べてみたりして、これが本当に実在するんだと
  あなたが納得できれば、それは本当になるのです。
  例えば、あなたは携帯電話の仕組みがわからないと思います。あんな小さな機械で電話もメールも
  インターネットもできる、その仕組みはわからないはずです。
  でも、実在するから信じます。嘘っぽいと思っていても、それは最初だけで、あとは受け入れるのです。
  大事なのは、本質的にそれが嘘なのか本当なのかが判断基準なのではなく、
  あなたが本当だと思うか否か、それが、本当と嘘の違いなのです。

てことは、茅先生の言葉も本質的には嘘なのかもしれない、と私はいじわるく思いました。

――でも、那由他さんには、全てが嘘っぽく感じます。
  いくら本当であることを説明しても、嘘っぽく感じる。夢だと感じる。
  なぜか。
  答えは簡単です。
  本当だとは思えないのです。
  ハード的に。

ハード的。
私はなぜか背筋を伸ばしてしまう。

――那由他さんが自己免疫疾患であることは以前説明したと思います。
  那由他さんの免疫システムは何故か那由他さん自身を攻撃しています。
  それは自分が他人に向けて発した批難が、自分自身を批難してしまう構図に似ています。
  歌が下手だ、あんたに歌手なんか無理だ、そう他人に言ったつもりで、実はそれは
  自分自身の歌手への夢を破壊しているように。

人を呪わば穴3つ。

――那由他さんの免疫システムは「海馬」を攻撃しています。
  これは象徴的な出来事だと思います。
  海馬は記憶と学習を司っています。
  記憶と学習、それは、すなわち、世界を把握したいと思って作られたシステム、
  本当っぽさを理解するためのシステムそのものなのです。

――七瀬さん。

え?

急に名前で呼ばれて私は目を見開いてしまう。

――七瀬さん。想像してみてください。
  そういうシステムが、物理的に、ハード的に衰弱したら、
  世界がどのように見えるのかを。

●●●

姉の頭の中の『現実』と『夢』の分裂。
私の『リアル』と『ブログ』の分裂。
androidの『2』と『3』の分裂。

私たちは統合を目指さなければならないのだと思います。
問題は、どちら側を主とした統合を目指すのか、です。
(答えは自明ですが)

●●●●●●

iTunesで音楽を買い始めたのと同じような感覚で私の男漁りは始まっている。

男はだいたい似ている。違いがあるとすれば射精した後の振舞いだけであろう。
射精した後に何を考えるのか、それがその男の独自性になるだろう。

――彼女になるとかそういうのは、ちょっとアレだけど、したいなら、いいよ?

私はそう言って、笑ってみせる。
男は迷わない。男は何も迷わず生殖行動に移行する。
私の言葉の意味を全く吟味せずに指を動かしていく。

低音と高音。
あるいは低温と高温。
そんなのどうだっていいってことを、なかなか、男はわからない。

一時期、男はただ単にひたすら射精したいだけなのだという認識を私は持っていた。
男の作り出す物語を見てもよくわかる。男は世界を射精中心に考えている。
気持ちよく射精するためはどういった状況が好ましいのか、あるいは、
そのような状況が永続的に続くための条件とは何か、
それらがひたすらに追求されている。

だから、気持ちよく射精ができれば、相手は誰でもいい。
ただ単に可愛ければいい。
その瞬間の好みの年齢で、容姿で、状況で、世界であればいい。

女から見れば、その思考・視点は恐ろしい。
恐ろしい、というのは、気持ち悪い・理解不能・ばかばかしい、という認識から始まる、
未知への物体に対する恐怖心のことである。

男と女の認識の違いを書いてみる。

まず、
男の性欲は射精が中心であることに対し、
女の性欲は社会が中心となっている。

男が射精だけを考えて律動しているとき、女はこの行為自体とこの行為が齎す未来のことを考えている。

この行為にどのような意味付けができるか、周囲の人間関係にどのような影響を与えるか、
はたまたこの男と結婚したとき、どのような未来が待っているのか、それは良いのか悪いのか。

男はそんなことは考えない。考える瞬間はあるかもしれない。しかし、必ず射精欲に負ける。
この女を抱いたら大変なことになる、そう論理的にはわかっていても、射精欲が理性を握りつぶす。

そう思う根拠を簡単に書いてみる。

それは男が女を買うという行為によって具現化される。

女をお金で買うことは、あらゆる観点からしても最低な行為である。
まず、買われる対象の女を冒涜している。感情をお金の力で踏みにじっている。
そして、買う男の自分自身の存在を冒涜している。
ここは論理が循環しているが、最低な行為を最低な行為と知りつつ行うことは自分自身の存在を
冒涜していると言わざるを得ない。
あとは些細なことだが一応書いておくと、衛生的にも最低であり、経済的にも最低なことである。

それを自覚していない男はいない。
全ての男はそれを自覚しながら、行う。

なぜか?

男に問えば、色々な答えが返ってくることが想像される。
射精したいからだ、という直球な回答もあれば、
生物的にどうのこうの、男だからどうのこうの、社会がどうの、という責任転嫁的な回答もあるだろうし、
女もホストクラブにハマることがあるだろうがそれはどうなんだ、という疑問返しもあるだろう。

おそらく、男の認識は拡散している。
焦点が合わず、常にぼやけている。
そのぼやけ自体が遺伝子レベルの仕業だと言われればその通りであるが、
それを自覚しつつ、それでもなぜ男はそれを行うのか、その理由を自問してもらいたい。

なぜ、あなたは射精したいのか。
その理由を自問してもらいたい。
最低な行為を最低な行為と理解しつつも行うのか、
その不可思議な心のメカニズムを明らかにしてもらいたい。

いや、
間違えた。
私としては、別にどうだっていい。

間違えました。
ちょっと文章の方向性を変えたい。
上記の文章は破棄したい。

そんな男の習性を利用して、お金儲けができないかどうか、考えることにしたい。

男は単純に心地よく射精をしたいと思っている。
それは女から見れば不可解だが、でも、事実としてそうなのだからしょうがない。
それを上手く利用できないかどうかを考えることが建設的である。

●●●

奥井亜紀の歌に感情が揺さぶられた。

youtubeで音楽を聴きながら取引先へと車を走らせていた。
音楽はなんでもよかった。知ってる曲でも知らない曲でも、邦楽でも洋楽でもなんでもよかった。

そんな気分の俺に乱数が選んだ曲が『風にあそばれて』だった。

この曲は知っていた。
この曲は『魔法陣グルグル』というアニメのエンディングテーマだった。
俺はこの曲を中学生のときに聞いたのだった。

ニケ。ククリ。衛藤ヒロユキ。
エニックス。ガンガン。

関連する言葉がいくつも脳裏に浮かんだ。イメージも。漫画も。アニメも。
俺は思わず聞き入った。
懐かしさを感じる以上に、激情と書いて差し支えないような、感情の大波に襲われた。

正直に書く。
俺は泣いていた。
歌詞の一つ一つが心に沁み入った。
(こんなことを書いてもあなたには白々しく感じるだろうけれど)

当時にはわからなかった、歌詞の深さ、曲の構成・編曲の巧妙さも涙腺を刺激した。

俺はそのまま関連動画のタブを開き、オープニング曲を聴くことにした。

正直に書く。
俺は車を止めて泣いた。

『世界中の大好きを集めても 君に届けたい思いに足りない』

こんな歌詞の、こんな感情を、昔は俺も持っていたかもしれない。
今となっては完全に失われている感情だった。
いや、昔も本当に持っていたかどうか、怪しい。
しかし、こんな、単純明快な、まるで漫画のような、力強い感情は、憧れる。

いや、そもそも、『君』に会ったことがない。

俺はそう思う。
そんな大好きで大好きな『君』に会ったことがない。
俺の妻は? そこまでは好きではない。憎らしい瞬間が多くなってきた。
俺の子供は? そこまでは好きではない。憎らしい瞬間が無くはない。

いや、違う。

そういうことじゃない。

この俺の涙はそういう意味じゃない。

俺はタバコを吸い、スマートフォンを開いた。
gmailに転送された会社のメール。
ブックマークに登録されたエロサイト。
くだらない時間つぶし用のアプリ。

違う。

そうじゃない。

のどが乾いている。

俺は何か、間違えている。
ずっとずっと間違えていた。
それに気付き掛けている。
何に間違えているのか、それは上手く言葉にできないが。

後輩の名古屋の話を思い出す。
その後輩は取引先の人間の目の前で、風俗嬢の口の中で射精し、それを飲ませたという。
その様子が面白く、男らしかったので、契約成立に至ったという。
営業同士のやり取りなんて、適当なところがある。
いつだって、どこだって、なんだって。

俺はその話を聞いて、なんとなくムラムラして、いつもの店に行っていた。
いつもの姫を呼び出して、可愛がった。2回したが、2回とも飲ませた。
姫は無理して頑張っているように見えた。だから俺は料金とは別に3万円をあげた。
姫は「愛してる」と言った。俺は言葉通りに受け取って、いい気分になった。

違う。
何かが違う。

俺は再び車に乗る。
youtubeのタブを消す。

俺は俺の何かを守ろうとする。
俺は俺の分裂を防ごうとする。
俺は電話をする。姫との今夜の予約を取り付ける。

心の中にガソリンが注入される。
叫びそうになるのをぐっと押さえる。

今日の仕事は上手くいくだろう。

●●●

と、ここまでを、名前を付けて保存。

私は昔から物語を文章で書いてきました。
ユグは物語を文章ではなく、漫画で描いてきました。

全然違うようでも、共通項はあるわけです。

それは物語を作っているというところです。

では、なぜ、私たちは物語を作るのか。
その答えがここにきて、やっとわかったのです。

私にとって、物語は『リアル』と『非リアル』の『統合』なのです。
私にとって、『Ice Cream Sandwich』はそのように行われるのです。

『現実』と『夢』の統合。
『リアル』と『ブログ』の統合。
現実感の獲得。
男と女の融和。

おそらくは、その全ては『物語る』ことでしか行われないのです。

と、ここまでをevernoteに貼付けて同期して、今日はもう寝ます。
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ソーシャルネットワークを超えたコミュニケーション~猫to猫通信・無線にゃん~ 2011年10月02日 日記 トラックバック:0コメント:0

(本エントリーは 4 分で読めます)

【要約】
人類の歴史は通信技術の歴史でもある。
無線にゃん(猫to猫通信。ctcプロトコル)が人類を次のレベルにシフトさせた。


【本文】

(1)あなたは情報電圧を上げなければならない。

古来から、情報の勝者は戦争・競争の勝者でもあった。
敵国がどこから攻めてくるのか、競合他社の営業戦略は何か、試験問題の傾向と対策は何か。
それらの情報の有無は戦局に大きく影響する。

あなたはトランプゲームで100%勝つ方法を知っていますか?

その方法は明確明瞭簡潔に絶対的に存在する。
それは相手の手持ちのカードを全て知ること、である。

ジョーカーが丸見えのババ抜きで負ける人間はいない。
逆に言えば、自分が見えなくて、相手が見えていれば、絶対に負ける。

(ここで、野球などを持ち出してきて、情報だけでは勝てないものもある、などと
お茶を濁すのは推奨されない。
あるいはコンピューターを2階から落として、情報に人間が勝った、などと
ドヤ顔するのもまた推奨されない。
もちろん、そういう類の逃げ道もまた重要ではあるのだが)

もしも、何らかの方法で情報力というものが数値化できた場合、
全ての勝敗は戦闘を行う以前に、ただ単純に、情報力の電圧差によって確定する。
(一般的に、私たちは比較を簡単に正確に行うために数値を電圧差として捉える。
そうした場合には、国・会社・個人を仮想回路として実証的にシミュレート可能となる)

ジョーカーが見えないあなたは、ジョーカーが見える相手より電圧が低い。
実際にトランプカードを配布する以前にあなたの負けは確定している。

もしもあなたが勝ちたい、生きたいと思うなら、あなたはあなたの電圧を上げなければならない。


(2)情報電圧回路自体を構築したSNSと負け続ける私たちの関係

ジェスチャー、言葉、のろし、矢文、伝書鳩、手紙、電話、テレビ、映画、出版、インターネット。

情報伝達手段が進化する度に、情報量は格段に増え、敷居も下がっていった。
古来、組織を維持するために、上層部が行ったことは情報の独占だった。
王様は王様しか知らない情報により、経済と権力を牛耳った。
(社員の不正は社長にはすぐわかるが、社長の不正は社員には見えてこない。)

しかし、情報伝達手段の進化に伴い、こういった情報の独占は難しくなった。
特に、インターネットは私たちの情報感覚を新しいフェイズに引き上げた。

私たちは今日、家にいながらにして大学の公開講座を聴講することができ、同時に海外の株式市場に
参加することができる。全ての現在・過去はデジタルアーカイブとなっていて、いつでもアクセス可能に
なっている。
あなたはリアルタイムの物理学講座を受けながら、もう片方ではファインマンの物理学講座を受けることもできる。
(ここには別の問題が潜んでいる。私たちが何かをしようとするとき、偉大な故人がいつも強大すぎる壁として
立ち上がってしまう。このことは収束の兆しが見えない失業率の一因として一般的に知られている)

だが、少し前、2012年くらいのころ、インターネットは新しい支配と独占に冒されていた。
それは法規制やネット帯域の恰幅(オーバーフロー)ではなく、新しいサービスの『SNS 』 によるものであった。

当時、twitter,Facebook,google+……、挙げればキリがないほどのSNSが誕生し、アクセス数を増やしていった。
彼らのビジネスモデルは広告型であり、アクセス数の増大が彼らの利益に直結していた。
広告型とはいえ、新聞に挟まってくるチラシや、誰も見ていないバーナー広告だけでは、もちろん、ない。
人と人との繋がり、感情の共有、アクセスログの蓄積、パターン、スマートフォンとの連携、
そういったものが、全体として非常に重要な情報になることを彼らは発見していた。

それらの情報は私たちには還元されない。
どのように使用されるのかも知らされない。
おすすめのアイテム、フィードがポップアップされるだけではないことは明らかである。

ここにおいて、情報の電圧差が明確に発生する。

彼らは知っていて、私たちは知らない。

それは構造的に、私たちが『そこ』にいる限り、不可避の搾取である。


(3)外側へ。より、外側へ。

テレビがインターネットブラウザの内側に収まってしまったとき、テレビの人たちは怒り狂った。

彼らは自分達が冒涜されたと感じていた。
大事に作りあげたパンがシチューの中に放り投げられて一緒に煮込まれてしまった、と泣き叫んだ。
テレビのフレームの外に、ブラウザのフレームがある。
ブラウザにとってはテレビもjpgもpdfも同じだった。多くの中の1つのコンテンツに過ぎなかった。

次に、本がインターネットブラウザに取り込まれた。
本の人たちもまた怒り狂った。人生を削って書き上げた本がブラウザの中のひとつのアイコンとして
実体を持たずに表示されていた。
容量 35.2Mbyte、1分以内でダウンロードが終わります、と書かれていて、値段は書いていなかった。
1ヶ月315円払えば、全ての本が何冊でも読み放題という、そういう形式の電子書籍ストアが乱立していた。
本はかつての価値を失っていた。ブラウザの中での1つのコンテンツに過ぎず、本よりももっと
刺激的で安い、そんな競合と戦わなくてはならなかった。
本はついには値段を放棄した。本には値段がつかなくなった。
本は、.jpgのように、.pdfのように、.xlsのように、.bookに過ぎなくなった。
本はただのファイル形式に過ぎなくなった。

(これは今に始まったことではない。
手紙が伝言士を駆逐し、写真が画家を駆逐したように、
新しいものは古いものを覆い、食べてしまう。
むろん、古いものは伝統芸能として残る。
あるいはプリミティブなステップとして残る。
四則演算がわからなければ、その先に行けない)

同じ構造がブラウザを襲う。
ブラウザもまた、かつて彼がテレビや本を襲ったようにして襲われる。

何に?
snsに。

あくまでもstaticでしかないブラウザは、ライフログや共有、いいね、のひとつのコンテンツでしかない。
snsの中で消費される、ひとつの末端要素でしかない。
インターネットブラウザはアクティブでソーシャルな動的な世界の内側に収まってしまう。

そして、ならば、同じ構造で私たちはsnsを襲い、電圧を奪還しよう。


どのように?


私たちは、無線にゃん(猫to猫通信。ctcプロトコル)によって、奪還する。


(4) 無線にゃん前夜

無線にゃんという名前のブログは存在する。
私はそのブログのRSSを取得していて、愛読している。
猫to猫通信の着想はそこから始まっている。

また、猫to猫通信自体はさほど目新しい技術ではないことをここで書いておく必要がある。
アイデアとして始めに日本に紹介したのはガイナックス制作のアニメ、『フリクリ』である。
そのアニメの中で、猫を通じて通信をするハルハラハル子が描かれている。
猫の右脳と左脳のディファレンシャルを利用してパケットを飛ばすシーンがあり、
このことはフリクリという物語の根底に繋がる重要な伏線にもなっている。
(と、視聴者に思わせるだけで、それは実はフェイクである可能性がある。
しかしながら、フェイクである可能性がある、と描くこと・およびその背景が
またフリクリという物語の根底に関わっている)

無線にゃんのシステム・運用形態についてはここでは頁を咲かない。
今となっては特筆すべき内容もない枯れた技術であり、wikiを参照すれば誰でも走らせることができる。

――さて、ここからはSNSを覆い、電圧を奪還する方法を記載する。
その前に、重複になるが、状況を整理する。

(1)始めに、人類は非言語によってコミュニケーションした。(ノンバーバル)
(2)次に、言語によってコミュニケーションするようになった(バーバル)
これにより、情報量やノイズが減り、また伝達効率が向上した。
(3)同時に、文字によるコミュニケーションが生まれた。
(4)文字を配達する、手紙・掲示板というコミュニケーションが生まれた。
(5)話す言葉が蓄音機で残せるようになった。電話が発明された。ラジオが発明された。
(6)出版技術が発明され、本・新聞によるコミュニケーションが生まれた。
(7)映画・テレビが発明された。
(8)インターネットが発明された。
(9)SNSが発明された。

上記において、情報量は(1)から(9)に進むにつれ、指数関数的に増大する。
伝達効率(1人の声が、何人に同時に伝わるのか)もまた指数関数的に増大している。
音声による伝達と文字による伝達は(7)によって統合されている。
また厳密には画像や音楽といった他の要素も同様に進化しており、(1)~(9)に関わっているが、
ここでは割愛する。

進化段階(5)~(9)においては、情報上流・胴元が存在している。
問題はそこに集約される。王様は王様にとって有利な情報しか放流しない。
新聞記事は書きようによっては物事をどんなニュアンスにも改変できてしまう。
そのような胴元がいる以上、情報電圧の差はいやがおうにも発生する。
(発生させたいがための進化であったという視点もある)

そして、そういった構造から離れ、ついに自由を手にいれたと思わせた(8)もまた、
SNSという名の人間牧場に覆われてしまった。

私はSNSを非難しているのではない。
SNSは問題があるのでやめるべきである、と言っているわけではない。
これは、ひとつの流れとして、(9)を覆う、(10)が生まれる背景・状況の話である。


(5) 無線にゃん

無線にゃんは猫を利用した無線ネットワークである。
そのため、下記のような利点がある。

【1】電気が不要
【2】プロバイダー会社との契約は不要
【3】原理的に第三者による規制は一切かからない
【4】原理的に通信速度は思考速度と同等
【5】既存のインターネットとの接続も可能。

通信方法は簡単であり、ノード猫と人to猫通信をし、猫to猫にプッシュすればよい。
猫to猫を通して、猫to人、あるいは猫toサーバーよもぎに繋がり、思考速度で接続される。

要は、無線にゃんは、猫を介して、人と人の思考を直結する。
SNSなどと回りくどいことをせずに、思考速度で思考を繋ぐ。

今となっては当たり前の通信手段だが、2012年以前にはSFの中にしか存在しなかった。

この情報伝達手段のイノベーションによって、世界がどのように変容したかはここで
改めて記載するまでもないだろう。

ひとつだけ言えることは、無線にゃんは近い将来、無線みょん( 別称、魂魄妖夢通信 ) に覆われ、
食われる可能性があるということだけである。

諸行無常である。

(途中で力尽きた感満載のブログランキング上位を目指す)




拍手ありがとうございます!

くろ先生>こんな感じで今回も中身がないのに無駄に文章が長いですが問題なかったでしょうかw
     今回の文章は全部、タブレットpcのタッチパネルだけで入力してみましたが、あまりに誤タッチの多さに胃酸過多になりました。
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