オーバーライド 2011年11月28日 落書き トラックバック:0コメント:0





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わからないこと 2011年11月27日 落書き トラックバック:0コメント:0

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絵が描けない自分にとって、絵が実際どのように描かれるのか、想像すらできない。
同様に、料理人がどのようにレシピを作るのか、折り紙職人がどのように形状を作り出すのか、
小説家が文章をどのように作るのか、お笑い芸人がどのように笑いを作るのか、
音楽家がどのように音を作るのか、想像すらできない。
せめて、ブログの書き方くらいはわかりたいものだが、これもやっぱりわからない。
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タクシードライバー 2011年11月26日 落書き トラックバック:0コメント:0

111127yg.jpg

特にタイトルと本文は関係なし。
そして、一過性の消費型コンテンツと化したソーシャルネットワーク。
(唐突な上記一文も全く関係なし)


拍手ありがとうございますー
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オートフォーカスのせいです。 2011年11月25日 落書き トラックバック:0コメント:2

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あるいは鉛筆の先が丸いせいです。
(言い訳しかしないブログランキングに最速エントリーする)


拍手ありがとうございますー
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私の病院がこんなにメガストラクチャーなはずがない。 2011年11月24日 落書き トラックバック:0コメント:0

111125na.jpg

しかしながら、建築基準法を無視した建物には不思議な魅力が存在するのである。
(でも地震に弱い)


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適当日記111123 2011年11月23日 落書き トラックバック:0コメント:0

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iPhone4Sで撮影。
明るさをいじる程度でなんとかやっていけそうです。
(イラスト系ブログとしてはやっていけません)

<適当でいい加減な読書日記111123>

最近読んだ本の感想文など。

(1)家族八景 筒井康隆

ブックオフで買ったものを再読しました。
何度読んでも完璧な短編集だと思います。
なんといっても文体がかっこよすぎます。簡潔かつ鮮明。


(2)マスカレードホテル 東野圭吾

本屋で死ぬほど平積みされていたので購入。
読みながら脳内で、主人公の刑事さんは攻殻機動隊のトグサに、
ヒロインのフロント・クラークさんは攻殻機動隊の草薙素子の外観イメージでした。
東野圭吾の小説はほとんど読んでいるので、また最後の最後で引っくり返されるのかなと身構えているのですが、
それでもやっぱり知らないうちに引っくり返されているという不思議な読書体験。
ちょっと前に読んだ『容疑者Xの献身』に比べると、全編通して爽やかな印象でした。
(人は死んでますが)


(3)馬たちよ、それでも光は無垢で 古川日出男

相変わらず文体がかっこ良すぎます。
かっこ良すぎて無意識に真似してしまいます。現実で。思わず。
福島の話ということで読み始めましたが、視点と思考はあちらこちらへ飛びまわります。
その振幅と振動数が鮮烈な印象でした。
普通の物語ではないので、いわゆる一般的なカギ括弧的な『小説』ではありませんが、
古川日出男の小説を追い掛けて読んでいる人はこれを必ず読まなければならない。


(4)謎解きはディナーのあとで 東川篤哉

本屋さんが一番売りたい本ということで死ぬほど平積みされていたので購入。
謎解き部分の面白さと、執事とお嬢様の会話パートの面白さが中毒性高いです。
何話か読んでいくと、だいたいわかってくる『物語展開パターン』があるのですが、
不思議なことにわかっているからこそ面白く感じてしまいます。
本屋さん大賞というのもうなづけると思います。
やっぱり読書は楽しいのが一番です。


(5)隠れていた宇宙 ブライアン・グリーン

現在、読み中。 
最新の宇宙物理学の解説書なのですが、非常に読みやすく面白いです。
スケールが桁違いに大きく、破天荒で理解しがたい世界の実体を、どう捉えるか。
私たちのリアルにどう結びつくのか。
1ページ1ページ読み進むたびに心が震える感じがします。




いつも拍手ありがとうございます。
文章ばかりの縦長ブログになってしまっていてすいません。
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IMF 2011年11月13日 文芸(長文) トラックバック:0コメント:0

――も、もしかして、七瀬様はアホでいらっしゃいますか?

いきなりそう言われた私はユグを一本背負いでベッドに沈める。
誰だってそうすると思う。

ユグの最近の読書履歴:『謎解きはディナーのあとで』『謎解きはディナーのあとで2』

――ユグ……

私はユグの柔乳をぎゅいぎゅいと揉みまくりながら低い声で言う。

――私はいつまでも、純粋なアホでいたいんだよ……

そう、ユグは『謎解きはディナーのあとで』をパクリ、
私は『日常』と『スティーブ・ジョブズ』を微妙に改変してパクる。

なんというか、アイデンティティがない。
生まれない。
(これもまたサカナクションをパクっている)

●●●●●●●●●●●●●●●

事実を述べる。

彼女のミシン針が世界を縫い直して、世界は救われた。

あまりにも大袈裟で漫画みたいでそれゆえに信憑性のない事実だが、
実際のところそのように進捗したのだからしょうがない。
突然治った難病も、濃度を間違えたせいで見つかった新発見も、
まるで布団の中で中学生が考えたようなコード展開も、実際のところ
そのように事実として目の前にあるのだからしょうがない。

未知のものを認めるというのは大事なことだ。
若い才能を認めるということも同じく大切なことだ。

あなたから見たらまるで子供のような未熟な人たちが、
なにかの間違いのように、なにかの偶然のように、世界を救う。

そういうことはありえる。
常にありえる。
この世界にありえないことは一つもない。

あなたは路傍の石か。
宇宙に線を描く彗星か。
同じ物性であっても、それらは何かによって運命が分断している。

では、運命は何によって決まる?
運命は運命によって決まる?

――私はそうは思わないな、吉田くん。

彼女は言い、舌を唇から少し覗かせてみせる。

――そうは思わないんだよ。全然。私は。

彼女の細い目が前髪で隠れる瞬間を僕は見る。

●●●●●●

新浜開発スタジオ第一会議室。

私が来たときには誰もいなかった。いつものことだが。
会議開始の5分前だった。
私は誰もいない会議室を時計回りで歩き、資料を机の上に置いていった。

これから始まるのはただ単純な処刑である。
正直に正確に書けば、無能な開発チームを悲惨な仕事の結果を、
有能なQC(クオリティーコントロール)チーム・営業・資材調達チーム・総合企画チームが
断罪する2時間である。

私は怒られ、人格を否定され、土下座を強要され、胃に穴を開ける。

こんなことに、なんの意味があるのかね。
私はそう思う。いつものことだが。

会議室を一周し、ホワイトボードの前の椅子に座る。
誰もいないのにも関わらず、動悸が止まらない。

私は無能だ。それはわかっている。100の仕事をしなければならないのに、40が限界だ。
頑張っても44。無能であり、無知であり、無力であり、無気力でもある。
それなのに、その自覚があるのに、なぜ私はここに立ち続けるのか。

その居直りはこの会社に悪影響を齎すだけではなく、日本の経済にも悪影響を齎すのではないのかね?

そうかも。
でも、だからといって、どうすればいいのか。
辞めればいいのか? 死んだほうがいいのか?

思考はマイナス方向へと螺旋を描きながら突き進んでいく。
その鋭角が胃の壁をきりきりとえぐっていく。いつものことだが。いつも通りのことだが。

●●●●

僕たちは得体の知れない不安に襲われ続けている。
放射能、不況、少子高齢化、失われた10年。
それらは、しかし、週刊誌を彩る時代の踊り子に過ぎないかもしれない。
踊り子は踊りが終われば静かにあなたのテーブルから離れていく。

エンターテイメントとはそのような悲哀に満ちている。
僕たちは踊り子たちのエネルギーに心を動かされる。
踊り子たちはその短い命を僕たちの目の前で燃やし尽くしてみせる。
それを見て、僕たちは人生の儚さを感じ、そして帰路で何かを思う。
ただの自販機のコーヒーにすら何かを見いだす。

エンターテイメントはまるで降り注ぐ雪のようだ。

●●

ユグドラシルはまるで本当のメイドさんのような優雅な振る舞いで紅茶を入れる。

ユグドラシルは私のメイドさんである。
私は改めてゼロベースでユグの姿を見眺める。

容姿端麗。性格は温和で優しく、奉仕の心は行き届いている。頭が良く、お金に執着が無い。
胸が大きすぎるのは評価の分かれ目かもしれない。私としてはむしろ全然うれしい限りなのだが。

――たゆたゆなメイドさんが嫌いなご主人様なんていません。

謙虚なユグはそんなことを言うはずが無いが、もし言ったとしても私は全力で賛成してみせる。

ユグは紅茶を入れる。
紅茶を入れすぎる。
カップの淵から溢れた赤い濁流が私のMacBookAirに押し寄せる。

私はMacBookAirの白い薄いアルミボディーをさっと右手に持ち、左手でユグの頭を鷲掴みする。

――お前は漫画キャラか。

このツッコミが適正かどうか、私にはわからない。
もしもユグが本当に漫画キャラだったらただのメタフィクションというか、楽屋オチにしかならないから。
もちろん、ユグが漫画キャラだった場合は自動的に私も漫画キャラだということになるのだが。

ユグは、はっと目を開く。もともと目は開いていたのだが、意識そこにあらずという感じだった。

――す、すいません。つい、その、あの、すいません……

メイド服のポケットからオレンジ色のタオルを取り出して、テーブルの上を拭く。
その間、ユグの目は私の頭を見ているようだった。
そういえば、紅茶を入れながら、ユグはずっと私の頭を見ているようであった。

私は自分の頭を撫でてみる。
ゴミが付いている感じではない。
枝毛はあるかもしれない。安いハサミで切っているからしょうがないのだが。

――……ユグ、私の髪の毛になんか付いてる?

私は素直に聞いてみる。するとユグは恐る恐るという感じで私の頭に手を伸ばし、そして、
ぎゅう、
とその豊かな胸に抱き留める。

ちょ。

私はユグに抱きしめられている。
ユグの柔らかで温かい胸に顔をうずめている。
とくんとくん、とユグの鼓動が聞こえる。
いや、それは私の鼓動なのかもしれなかった。

――あ、あの、ご主人様のその髪の毛の光沢が、天使の輪みたいだなって、そう思いまして……

ユグの声は甘く、透き通っている。

――ご主人様って、天使みたいだなって、そう思いまして……

なにこれ照れくさい。
漫画っぽいし、白々しいし、子供っぽい。
でも、なんだか悪い気はしない。
たまにはユグのこういう甘々な世界観に浸ってみてもいいかな、と私は思う。

ひと呼吸おいて、ユグは小さく歌い始める。

――ねぇ 思い出のかけらに 名前を付けて保存 するなら

ちょ!

いきなり『けいおん』の曲、『天使にふれたよ』かよ!
なんのひねりも無いし、基本的に、これは別れの曲だろ!

――そう 心の容量が いっぱいになるくらいに

――ユグ……ユグって……

私は頑張って日笠陽子の声まねをしているユグの胸の中でつぶやく。

……ユグって、いったい、何なの?

●●

私はいつも理想主義者だと言われる。
夢見がちな奴だとも言われる。
口ばかり立派で中身が無いとも言われる。

……なんか、悪口ばかり言われてるような気がしてきた。

私はテーブルの向かいで本を読んでいるユグに話しかける。
ネガティブな気分になったときは、なんでもいいからユグと会話することにしている。

――ユグ。理想的なブログって、どんなものだろうね?

理想のブログ。理想の漫画。理想のスマートフォン。理想の私。理想のメイド。
理想的なものほど素晴らしいものは無い。
私は理想の何かを考えるのが好きだ。
出来る出来ないは問題ではなく、イメージすることが大切なのだ。私にとって。

ああ、世の中全てが私の理想通りになったらいいのに。

――理想のブログ、ですか……?

ユグは私の顔色を伺うようにしながら、ゆっくりと言う。
ユグのおっぱいがテーブルの上に乗っていて柔らかく歪む。

私がこういう問いをユグに投げるとき、大抵、私の中には私なりの答えがある。
その答えとユグの答えの違いがあるからこそ、ユグとの会話が楽しくなるのだと私は思う。

ちなみに、私の中の答えは下記の通りである。

(1)毎日更新すること。
(2)常に新しい話題を扱うこと。それは時事ネタを扱うということではなく、
   オリジナリティがあるということ。
(3)下品ではないこと。健全であること。
(4)技術や質が常に向上していること。
(5)ポジティブであること。
(6)ユニーク(独自性)であること。

私のブログは、もちろん、上記を満足しない。
一番初めの『毎日更新』というところからして満足していない。
というか、何ひとつとして満足していない。
……万事がこういう感じだから凪姉に『愚妹は口だけ立派だから死ね』と言われるのだろうか。

――私は、あの、その、理想的なブログというのは、ただ、『いつも楽しそうなブログ』だと思います。

ユグはそう言い、恥ずかしそうに目を伏せる。
私はユグの言葉を頭の中で復唱しながらユグを眺める。

まあね。

私はそう思う。楽しそうなブログは楽しんで作ってるからね。
その楽しそうな感じは読む人にも伝搬するのだ。
ブログだけじゃない。音楽も小説も絵も漫画も全部そうだと思う。
技術の優劣とか内容がどうだとかあんまり関係ない。
その『楽しそうオーラ』に触れると私たちは楽しくなる。
だから新人の作品はいつも新鮮だ。
楽しそうな感じがするから。

でも、それがいつまで維持できるかな?

私は心の中で毒を吐く。

人間の行う行為で、一番楽しいのは創作だと思う。
何も本を一冊作れとか、プロみたいな漫画を描けと言っているわけじゃない。
たったの適当な一文、幼稚園の落書きのような絵、そんなのでも十分だと思う。
でも、それすら、私たちは出来なくなる。
このメカニズムは未だによくわからない。でも、私たちはそんな単純なシンプルなことすらできなくなる。

私がブログを3年間更新しないのも、同じ理由だ。

維持できない。

創作するということを維持できない。

本当に、不思議だ。
『楽しく作る』ということを維持できない。

――あ、あの、七瀬様?

ユグが私の沈黙に耐えきれず、語りかける。
私は素直に話す。私の考えと、ユグの考えを聞いた後の私の思いを伝えてみる。

ユグは、なんとなくわかります、と言う。
私も下手ながら、漫画を描いていますから、と言う。

ユグは漫画を描いている。
いや、描いていた。昔はよく描いていた。
今は描いていない。なんでだろう?

ユグも『楽しさ』を維持できなくなったからだろうか?

――いえ、私の場合は、ちょっと、その、ちょっとえっちな漫画を描き始めたからで、恥ずかしいので
  ご主人様の前では描かなくなったのです。

ちょ!

心を読まれていることと、ちょっとえっちな漫画という得体も知れない言葉が衝撃的で、
私は思わず横に倒れる。ずてーん、という感じで横に倒れる。
漫画キャラかよ! と私は私に言いたくなる。

ていうか、ちょっとえっちってなんだよ!
どういう線引きなんだよ!
どこからえっちでどこからがちょっとなんだよ!

――見せなさい。ユグ。

とりあえず、私は言う。ご主人様なので命令する権限がある。
ちょっとえっちだろうがなんだろうが、ご主人様に隠し事をしているのは許されないのである。

――……恥ずかしいからだめです。

まあね。
恥ずかしいよね。
えっちなのって、恥ずかしいよね。

でも、私は許さない。
そんなの、絶対許さない。

――ユグ。えろ漫画なの?

そう言いながら、私の頬の赤さはピークである。
恥ずかしいから。

――えろ漫画じゃないです……。

えろ漫画じゃないのか。
ということは……

――toLoveるレベルなの?

と聞くと、

――方向性的にはそうです。

と言う。

そうか。
と、私は思う。
と、同時に、ふと湧いた疑問を口にする。

――男が出てくるのか?

ユグの温和な顔にちょっと動揺が走った気がした。
私の記憶と認識が正しければ、ユグは男を知らないはずだった。
ユグは美しく、可愛らしく、性的であるけれど、奥手であった。
私もそうなのだが。いや、私は美しくも可愛らしくもないが奥手ではある。

――……出てきます。

そうか。
と、私は思う。
ユグの妄想が炸裂しているのか、と私は思う。
なんとなく、少女漫画的な絵が頭に浮かぶ。
ベルサイユの薔薇的な絵である。白馬の王子様。いや、まさかとは思うが。

――……でも、男の方は関係ないです。あんまり、というか、全然絡みません。

え?
と、思う。

――どっちかというと、少女の美しさを描きたいのです。

少女の美しさ。
私はユグの美しさを見ながら反芻する。

――たとえば、おしっこを我慢する少女の美しさとか……

いきなり斜め上を行くユグ。

――ペットショップ屋に連れて行かれて、首輪を選べと言われて、
  これかなあと選んだら、じゃあ買ってやるよと自分の首に付けられるとか。

斜め上過ぎて頭が混乱する私。

――そんな、『愛されメイド』の漫画です。

……ねえ、ユグ、それ、本当に愛されてるかなあ?

●●

木戸先生の言葉は那由他姉にどう届いたのだろう?

那由他姉の現実感の無さは医学的にはわからないと木戸先生は言った。
木戸先生は茅先生の上司である。茅先生は那由他姉の主治医だが、主治医の上にさらに偉い人がいる。

那由他姉はちょっと笑っているようだった。どんな意味の笑いなんだろう?
私には想像がつかない。那由他姉は木戸先生と茅先生を見て、その意味不明の笑みを見せる。

――そもそも、現実とは夢の如しかもしれませんね。

織田信長の言葉に似ているが少し違う、そんな言葉を姉は言う。

――だから、区別を付けることに意味など無いのかもしれませんね。

木戸先生は男らしい、ごつい両手をがっちりと組み、姉の言葉を聞いている。
私は姉の言葉にちょっと不安を感じる。なんとなく、現実感を放棄したように思えるからである。

――那由他さん。

茅先生が口を開く。

――もしも、この世界が夢でも、那由他さんは那由他さんらしく生きていきますよね?

難しい問い。
色んな意味を含んでいる。
もしもコンピュータのプログラムだったら素直にはコンパイルできない曖昧なコード。

――……。

那由他姉は沈黙する。
多分、全部わかっていて、沈黙しているのだろう。
何を言ってはいけないのか。何を言うべきなのか。
その全てがわかっているから、何も言えないのだろう。

何が正常で、何が異常なのか?

その全てがわかっていて、でも、その全てを疑っているから、姉は沈黙するのだ。

●●●●●●●●

世界のダイナミクスは複数の要素の複雑なバランスによって支えられ表出している。

戦場で後ろ頭を味方に撃ち抜かれたあとで、やっと本当の世界の姿が見えてくることだってある。
MMOに10年間の人生を費やして、鬼課金を献上した後で、やっとアカウントを捨てられる、魂が解放されることだってある。

●●●●●●●●

夢。

視点は点状であり、視界は前後左右上下全てを含んでいる。
私という存在は文字通り『点』であった。
空と地面は区別がなかった。右と左は繋がっていた。

空間だけが繋がっているのではない。
これは後で気づいたことだが、時間もまた繋がっていた。
と、いうより、過去と未来が存在しなかった。
当然のことかもしれなかった。私には記憶・メモリーがなかった。

私には思考も無かった。
私はただ『点』として世界に存在していた。

思考は無いが、実感はあった。
なるほど、世界はあるのだという実感が。
人間の認識とは関係がなく、世界はそこにある。
ただ、『人間が赤いと思うものが赤いという名前でそこにある』という意味では、
人間が世界を定義していると言えなくもない。

空と地面はゆっくりと私から離れていく。
私は重力に引き寄せられず、徐々に地球から離れていく。

静かに視野が暗転していく。

光も無く、思考も記憶も無い。
それは、要するに、死んでいるということだ。

1:生きている。
0:死んでいる。

いずれ、また、1になるときが来るのでは?

私は夢の中でそう思う。
静かに深く、呼吸をする。
遠くで車が走る音が聞こえる。
雨がしとしとと降る音も。

●●●

他人の破滅を望む人間は既に破滅しているか、あるいは破滅の道を進んでいる。

そんなことは百も承知であると言って、あの人は他部署の若者を殴った。
逃げ場を塞ぎ、解決策を破り捨てた。これでは解決になっていない、全然違う、全然だめだ、と睨みつけた。
明日までに答えを持ってこい。彼はそう言い、自分の机の上の名札を引っくり返した。定時で帰宅。
窮地に追い込まれた若者は3パターンの分かれ道のいずれかを選択する。
(1)会社を辞める。
(2)仕事を放棄する。
(3)奇跡的に本質的な解決案を見いだす。

彼は上記(3)を望む。そう明言する。
しかし、それは9割が嘘であり、実際には(1)、(2)を望んでいる。
彼は悲劇的な結末を望んでいる。それが社会の厳しさであると自分に言い聞かせ、苦い顔で苦いビールを飲むのである。

そんな彼は破滅寸前である。彼はその破滅が構造的なものであると知っている。
その構造を自分もまた模していることを知っている。理不尽に殴られたから自分も理不尽に殴る。その構造を自覚している。
その構造から逃げられない。

●●●

いつからだろうか?

私はゲームをしなくなった。
ゲームをする、ということにモチベーションを保てなくなった。
私の今、この目の前に対峙しているパソコンにはゲームがいくつかインストールされていた。
リアルタイム戦略ストラテジーのような複雑なものから、もぐらたたきのような単純なものまで、様々揃っていた。
将棋も囲碁もあった。
しかし、そのいずれも、目の前にあるだけだった。私の指はそれらのアイコンを触りもしなかった。

時間がないから?
もう若くないから?
疲れるから?
飽きたから?

どの理由も本当ではないような気がした。
かすりはするものの、ピタッと、しっくりこないような気がした。

と、そんなとき、私は私の中の本当の理由にふと気づく。

――意味が無いから。

意味が無い。
ゲームには意味が無い。

その『理由』は私の中でとてもわかりやすかった。
しっくりとくるものがあった。
そして、その『理由』はゲーム以外のものにも波及し始めた。

意味が無いから、漫画は読まないし、描かない。
意味が無いから、ブログは読まないし、描かない。
意味が無いから、インターネットはしない。

意味が無いから。
意味が無いから。

周囲が、静かになった。
自分が、静かになった。
今まで、無意味に車輪を回していたハムスターが突然、車輪から降り、静かに佇む、そんなイメージ。

ハムスターは、ある意味、頭が良くなったと言える。
あるいは、大人になったとも。
無意味な車輪の運動を止め、静かに己の人生と向き合い始めたのだとも。

でも、と私は思う。
その沈黙のハムスターは結果的には不幸になるに違いない、と。
無邪気に、死ぬまで、精力的に車輪を回し続けるハムスターのほうが、結果的には幸せに違いない、と。

悟りなのか。
鬱なのか。

ハムスターの車輪のように、自らの仕事に無意味を感じたサラリーマンは数多くいる。
自分のこの仕事は無意味だ、なんの意味も無い、辞めよう、しかし、辞めたあとで気づかされることは多い。

例えば、あれは無意味だったかもしれないが、そもそも、何もかもが無意味である、とか。

車輪を降りたハムスターが、結局は車輪の代替行為に没頭する。いや、没頭できない。
相似形で、それもまた無意味になるから。彼は意味のあるものを探そうとする。

自己退社。本当の自分探し。しかし、どこを見ても車輪しかない。
車輪を楽しそうに、自分自身を騙しながら回すハムスターしか存在しない。
彼らは決まって精力的だ。無意味の車輪を全力で回しながら、肉体は活き活きとエネルギーで満ちている。
嘘だろう。彼は思う。しかし、車輪を回さない彼の身体は貧弱だ。精神も。簡単に折れてしまい、知能も低い。
本当の自分なんてどこにもいない。あえて言えば、今の自分が本当の自分だ。事実として、過去も未来も現在に依存する。

私はゲームをしなくなった。無意味を感じたから。
それをきっかけに、漫画もインターネットも映画もテレビもなにもかもが無意味になっていく。


人生がオセロのようなものでイメージされる。
有意味が白、無意味が黒。
白が多ければ人生は有意味だが、ふとしたときに、真っ黒になりかねない。
順調に、慎重に、白を増やしてきたはずなのに、四隅が黒であるが故に、終盤は黒が優勢になっていく。

私は、ぱたぱた、という音を聞いた。
私の中で、白が黒に反転していく音。
なんのために、何を信じて、そこに石を置いていったのか、私は思い出せない。
子供の頃見た文章なのか、テレビの映像なのか、なにかの影響を受け、私は思考と嗜好を決めていった。
地面を踏み固めるように。しかし、その地面もろとも、反転し、黒になっていく。

いつからだろうか?

その言葉には二つの意味がある。
いつから、私は『無意味』に負け始めたのか。
いつから、私はそれを『有意味』と思っていたのか。

ハムスターは車輪を見上げる。
それは白い無機質なプラスチックの車輪だ。
いつからだろうか?
ハムスターは思う。

自分を含む、ハムスター全体の祖先と未来を想像する。
ぞっとする。繰り返すのか?

輪るピングドラム。

ふと、そんな言葉を思い浮かべるが、ハムスターの彼にはなんのことかわかるはずもない。

●●●●●●●●●

『今』を書くべきだろうか?

『今』のことを。私は書くべきではないと思う。少なからず、公的にはするべきではないと思う。
しかし、今、書くべきことではないにも関わらず『書かなければならない』と思うことばかりだ。
それは、書く、すなわち、思考するということだ。私は思考しなければならない。

私はIMFについて、思考しなければならない。

全てがそこから始まっている。私たちの、いわば、OS(オペレーションシステム)がどこにあるのかと言えば、
それはIMFだ。もちろん、これは大袈裟な言い方かもしれない。キログラム原器が無ければキログラムが存在しないという
わけではないから。経済は経済として自然発生的に存在する。だけれど、何事も、『核』というものがある。

以下、wikiから引用する。

沿革

為替相場の安定を図ることなどを目的に1944年7月にアメリカ合衆国ニューハンプシャー州のブレトンウッズで開かれた国際連合の
「金融・財政会議」のブレトン・ウッズ協定によって、戦後復興策の一環として国際復興開発銀行と共に1946年3月に29ヶ国で創設された。
1947年3月にIMF協定が発効し実際の業務を開始し、国際連合と協定を結び国連の専門機関となった。世界銀行と共に、国際金融秩序の根幹を成す。


業務

加盟国が経常収支が著しく悪化した場合などに融資などを実施することで、国際貿易の促進、加盟国の高水準の雇用と国民所得の増大、為替の安定、
などに寄与する事を目的としている。 また、為替相場の安定のために、経常収支が悪化した国への融資や、為替相場と各国の為替政策の監視などを
行っている。各国の中央銀行の取りまとめ役のような役割を負う。
毎年秋に年次総会と呼ばれる世界銀行と合同の総務会を開催。また年2度の国際通貨金融委員会の開催も行っている。

引用終わり。

簡単に言えば、経済の最後のベースだ。base。基礎。あるいは最終防衛ライン。
経済は二つの要素から成り立っている。
それは『信用』と『リスク管理』のこと。
むろん、これは大雑把な言い方ではある。
コンピューターとは『記憶』と『演算』である、という言い方に似ている。

普通に生活している分には何の疑問も抱かないが、よくよく考えると不思議なことの一つに貨幣がある。
私たちはアルミの円盤や印刷された紙を貨幣と呼び、それに価値を与えている。
ちょっとしたお菓子は168円などと書かれた値札の後ろに控えている。
168円分のお金とそのお菓子をレジにて交換する。

お金は簡単には偽造できないようになっている。そのためにコストが掛かっている。
1円を作るには1円以上のコストが掛かっている。いや、それは今はどうでもいい。
簡単には偽造できない、ということが皆承知であるがゆえに、そこに信用が発生する。

小学校の文化祭のバザーの食券は、どうだろうか?
色紙のコピーで作られたそれは、先生のオリジナルの印鑑が押されてはいるものの、容易にコピー可能なものである。
だから、それは信用が薄い。売り子さんがお盆に集め、厨房へと運ぶ間のメモ紙程度にしか運用されない。
この食券を買い集め、今月の給食費をこれで払う、という芸当は不可能である。

貨幣の偽造が容易に出来てしまう国の貨幣信用は薄い。
偽金を掴まされてしまうことを考慮し、保証金が別途必要になる。

例えば、2枚中1枚が偽金である可能性が高い場合、その貨幣を運用する際には最低50%の保証金が必要になる。
200円なら、+100円の保証金を付けて300円にしなければならない。
それでもまだ取引にならない。その低信用の貨幣を受け取るというリスクが十分に補填されていないためである。
そのため、そこに25%の補填金を付ける。上記保証金と合わせて、200円なら+150円の350円にする。
あるいは第三者機関による保証を取り付ける。それなら200円の取引でも可能になる。
もちろん、第三者機関の保証という名のコストは発生する。いずれにしても、低信用はそのように効いてくる。

上記では貨幣の信用の話を書いた。
この類いの信用は別段、『貨幣』だけに留まらない。そのまま一般化できる。
貨幣を人間、会社、国に置き換えてもいい。信用の低いそれらで取引をする場合、その信用をお金で保証しなければならない。

では、小学校の文化祭のバザーの食券の信用の低さは?
いくらでもカラーコピーで偽造できるそれらもまた、信用を保証できるのか?
できる。ただし、何十万%という保証額になる。その場合、もはや紙幣ではなく、燃焼材としての価値にまで下がる。
文化祭内部と外部の価値の違いがそこで生じる。すなわちインフレーションがそこで生じる。

話は少し変わる。
子供が感じる疑問の話である。

――中央銀行はいくらでも紙幣を印刷できるらしいけど、それっていいの?

小学校の文化祭のバザー食券がここでまた出てくる。
先生はコピー機で食券を印刷する。そして、印鑑を押す。これで、ラーメンが食べられる。
それを横から小学生が見ている。不思議を感じる。先生はこれだけで食べていけるのではないか?
働かなくても、何もしなくても、350円の価値のある食券をどんどんと作っていく。

変だ。

同じことを中央銀行は行っている。ものすごい勢いで大量の1万円を印刷している。
たった100円も無くて喉が渇いて死にそうな人の横で、まるで湯水のようにお札が作られていく。
あるいは、真夏のギラギラとした太陽の下、交通整備のために一日中旗を振って、そこで得られる日当が8900円。
その横で、毎秒何万枚という勢いで刷られていく1万円。

変だ。と彼は思う。誰もが思う。

それに対する大人の理屈はいくつかあるだろう。
1万円を廃棄したとき、1万円印刷する、とか。
中央銀行は一般的な銀行にお金を貸すとき、その中の現金要求分だけを印刷するのだ、とか。

しかし、そういう答えは子供にとっては的外れであるに違いない。
それはお金が印刷されて作られることの理由ではないからだ。

そういうとき、私はお札を観察することをお勧めする。
そこには、日本銀行と書いてある。日本国ではない。
お札は日本銀行という印刷会社のクーポン券なのだ、と次に言う。

フリーペーパーについてくるクーポン券のようなもの。
何度も出てくる、文化祭の食券のようなもの。
それと同じカテゴリにあるのが、この日本銀行券なのである、と言う。

しかし、ただのクーポン券ではない。後ろに日本国がいるから。
でも、そういうと、子供は逆に不安になる。
管総理とか、野田総理とか、ああいう人たちでしょ?
まあね、と私は言う。

大丈夫かなあ。

大丈夫じゃなくなったのが、ギリシャであり、イタリアだった。
事情は少し異なる。しかし、いずれも国力が下がり、大丈夫じゃなくなったのには変わりがない。
彼らはユーロ圏であり、ユーロが貨幣だった。
彼らは借金をしていた。その返済日が迫っていた。しかし、払えなかった。
個人であれば、自己破産となる。どうあがいても返すことが出来ない場合、破産処理を行い、
彼の財産を全て没収し、査定し、売却し、債権者たちに分配する。もちろん、債権者は損をする。
だから破産は債権者にとっても避けたい道である。
ギリシャもそうだった。しかし、国の財産をどうのこうの、というのは非常に難しい。
ゆっくりでも返してもらったほうがいい。もちろん、それが出来ないからこうなったのだが。
ギリシャの場合は、債権者である他の国たちがギリシャの政治に手を入れ始めた。間接的に。
それにより、ギリシャはさらに貧しくなる。
ギリシャの借金の返却期限が迫るたびに、債権者たちとIMFが融資をする。
融資はいつかは回収される。そこには利子がついてまわる。それは首輪だ。
利子、と書かれた時点で無からお金が発生する。魔法の言葉であり、魔法の首輪だ。
首輪には紐がつけられていて、その紐を握る人は支配者になる。

『信用』と『リスク管理』

耳触りのいい言葉。世界の経済の安定性を守る組織。むろん、正しいことをしているに違いない。
しかし、何かがおかしい。何がおかしいか。経済に実体が伴っていないのがおかしい。
なぜ、実体が伴わないか。イマジナリーマネーだからだ。

47億円あれば、キャベツはいくつ買えるか。
たくさん買える。しかし、47億円分のキャベツと言うものは存在しない。
でも、存在すると仮定する。仮定して、その47億円を1億円ずつ47都道府県に分配する。
地域振興として。いや、この例はわかりにくいかもしれない。

日本の赤字国債は950兆円に達する。
しかし、950兆円というお金はない。実体として存在しない。
だが、そこに利子が発生する。イマジナリ―マネーにイマジナリーな利子が発生する。
それを返すためにまた国債を発行する。
950兆円の価値を日本国が今、持っているのか?
例えば、950兆円の価値がある金・銀・財宝、そういうものはあるのか?
無い。
企業や個人の資産はそれなりにあるという話もある。しかし、眉唾だ。実体としての資産などほぼゼロに等しい。
あるのはイマジナリ―な価値だ。なんでも鑑定団のような。誰にも価値はわからないかもしれませんが、
この○○○○の初版本は一千万円の価値がございます、みたいな。あるいは、この作家は伸びる、まっすぐに成長すれば、
何億円も稼ぐだろう、とか。仮定と仮定と仮定によって仮定されたマネー。

しかし、それを守ろうとする。
守るしかないからである。守るしか生きる道がない。

ここには現実がある。実体としての。
もう一方に、なんだかよくわからない額の借金がある。
その乖離を、決して交わらない2つの直線を、1点に交差させる組織がIMFだ。

分岐。あるいは、Transmitter。
発信し、伝染させる。実践する。歌いだす。

『今』を私はIMFから見る。IMFで見る。そこから見える景色しか本物ではないと思う。
そこ以外から見える世界はどこか薄っぺらく、嘘くさい。嘘が嘘のまま進行している感じがする。

そうだ。
実体とイマジナリーがここで統合する。
私を悩ませる、非現実感、その解決を私はここに見いだす。

実体と、イマジナリーがIMFによって統合する。
あるいは、統合せず、悲劇的な結末を迎える。

どちらでもいい。
ただ、そこには現実感がある。紛いも無い、疑いようも無い現実感が存在する。

――……それが、『今』です。私たちの考えるべき、『今』なのです。

2011年11月13日 16:45 病室。
ルキアさんは私にそう言いました。

ルキアさんは何故かセーラー服を着ていて、日本刀(模擬刀)を帯刀していました。

その姿はかっこいいのですが、現実感がありません。全然ありません。全然、全然です。
私は無言でルキアさんに近づき、突っ込みます。

――ルキアさまは、アホでいらっしゃいますか?

いきなりそう言われたルキアさんは私を一本背負いでベッドに沈めます。
誰だってそうすると思います。

反省。
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