単純な馬鹿でありたい。 2011年12月31日 落書き トラックバック:0コメント:0

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しかしながら、今、酒飲みながら『日常』を見ながら漫画を描きながら年賀状描いている時点で、
『単純な馬鹿』ランキング上位に君臨していることは間違いないところではある。
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gdgd妖精sの最終回で泣いた。 2011年12月30日 落書き トラックバック:0コメント:0

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あのgdgd感、低予算感に憧れる。



拍手ありがとうございます!
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(イヴに続いてクリスマスにも1日2回もブログ更新するなんて、そんなところ後輩には見せられないものね) 2011年12月25日 落書き トラックバック:0コメント:1

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公開された国家予算案を見ながら日本の未来を思案しながら、gdgd妖精sを視聴した。
国際社会という場の中で、日本という国はもはや負け続けているのではないか、経済的にも政治的にも。
そんなことを考えながら、まどかマギカの漫画を描いていた。

まあ、一応、今日も平和です。
(そうでもない気もする)
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あたしってほんとバカ 2011年12月25日 日記 トラックバック:0コメント:0

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一年に一回は杏さやで社畜ネタを描いてる気がする。


拍手ありがとうございます!
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(イヴなのにブログを2回も更新するなんて、そんなところ後輩には見せられないものね) 2011年12月24日 日記 トラックバック:0コメント:0

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後輩には見せないけれど、全世界には見せてしまうマミさんを応援するブログにリニューアルしました。
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卒論:セーターのグリッド線による視覚効果について 2011年12月24日 落書き トラックバック:0コメント:0

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または、卒論:ニット素材の高い伸縮性による凹凸形状のフィット感について。
(あるいは、いったいいつになったら着衣おっぱいフェチから卒業できるのかについて)


拍手ありがとうございます!

拍手返信>ありがとうございます。では、この後の展開の作画をお願い致します。
     ちなみにこの後は、指を入れる入れちゃだめ、先っぽだけ入れる入れちゃだめ、
     じゃあもうおっぱいは禁止です禁止しちゃだめ、で20ページ程度悶着します。
     (CERO A基準を正しく守り続けるブログランキング上位に立ち続ける)

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どことなく違和感のある横書きセリフ 2011年12月23日 落書き トラックバック:0コメント:0

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iPhoneのみでの漫画制作に限界を感じ始めました。
(さすがの巴マミも無理強いできないレベル)
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佐倉杏子があなただけに教える簡単統計学入門 2011年12月21日 落書き トラックバック:0コメント:0

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まどかマギカの世界を使った学習漫画が読みたいが、世の中にはまだ無い。
無いなら作るしかないじゃない、とマミさんは言った。(相変わらず全然言ってない)



拍手ありがとうございます!

拍手返信1>このあとの百合百合展開を想像されている方もおられるかもしれませんが、
     残念ながら実際にはそれはあなたが描くしかないのです。描いてください。
     描いていただけるといいなあ。描かないかなあ。描いてもらえたらなあ。
    (嫌な依頼方法のランキング上位を目指す)

拍手返信2>インターネット禁断症状が激しい私には想像できない環境みたいですね……。
      冬コミにはリクエスト通り、『完全着衣状態縦パイズリ寸止め地獄言葉責め多めで後半は
      いつのまにか濃厚な押井守的説教漫画』で参加したいと思います。
     (こんな同人誌は犬も食わないランキング上位を目指す)


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「まあ、泣いても嫌がっても止めませんけどね。そんなの演技だって知ってますから」 2011年12月18日 落書き トラックバック:0コメント:0

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敬語で言葉責めしてくるメイドさん、という漫画が読みたいが、無い。
無いなら自分で作るしかないじゃない、と巴マミは言った。(言ってない)



<世の中に無いなら自分で作るしかないじゃないリスト>

・本当の意味で『囲碁』を題材にした漫画を描いているブログ。
 (『囲碁』をただのキーワードにしただけの人間ドラマとかは不要。)
・『霧雨魔理沙でもわかる! 超ひも理論』という漫画あるいは小説を描いているブログ。
・『霧雨魔理沙でもわかる! 熱流体力学』という漫画あるいは小説を描いているブログ。
・ブログ:巴マミの今夜もティロ・フィナーレ
・ブログ:美樹さやかの今夜もわたしって本当にばか
・囲碁とセルオートマトンと量子ゆらぎを同一平面で論じるブログ。
・井内ひろしの新作ゲーム『哭牙』をひたすら妄想し攻略するブログ。
・東亜プランとCAVEという一つの到達点を論じ、アイレムとトレジャーという補助線を引いた中で、
 シューティングゲームの未来を考察するブログ。
・全てのゲーム開発者の軌跡を網羅したブログ。
・gdgd妖精sの不思議な強度・魅力を考察するブログ。
・ムーンライトシンドロームのエンディング演出のかっこ良さを正確に記述するブログ。
・シルバー事件の詳細な考察と全体的な演出のかっこ良さを正確に記述するブログ。
・東方projectによる水曜どうでしょうパロディー動画が見せる不思議な感動について正確に記述するブログ。
・東方project全体に感じる『懐かしさ』について正確に記述するブログ。

(随時追加予定)


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ムーンライトシンドローム 2011年12月17日 日記 トラックバック:0コメント:0

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『東方の霊夢と魔理沙でわかる現代物理学~超ひも理論~』という漫画が読みたいが、無い。
無いなら作ればいいじゃない、と巴マミは言った。(言ってない)



『初音ミクはネットワークだ』
という言葉があり、まさしくその通りだなと思う。わかりにくければ、『通貨』でも『共通言語』でもいい。
初音ミクを軸にして情報が飛び交う。初音ミク on google chrome. google chrome on network.

しかし、初音ミクより、さらにオープンソースな軸が存在する。
それは東方projectだ。

ニコニコ動画・youtubeから、著作権NGのものが次々と消えていく。
残るのは初音ミクと東方だけになるだろう。さらに言えば、東方は初音ミクより多く残るだろう。

消費期限が定められている『小切手』など誰も持ちたがらない。
著作権でがんじがらめになった物語も同じことだ。

情報も、人間も同じことだ。
長生きしたければ、オープンかつフリーでなければならない。



大学病院の11階の窓から見る新浜の街は美しい。それは雑多な町並みなのだ、普通の。しかし私は美しいと思う。
太陽。それは頭上にある。新浜の。いや、地球の。地球は球状で、地球の自転に応じて夜が来る。だけれど、夜が
来たって太陽は私たちの頭上にあるのだ。いつだって。まずはそこが起点であって、たぶん終わりもそこになる。
始まりはプラスチックのピック。私は自分の枕元の名札――プラスチックのケースに私の名前の紙が挟まっている――を
触って急にそんなことを思う。琥珀色のプラスチックのピックは私の初めてのギター体験と繋がっている。私は音楽が好きだった。
洋楽だ、邦楽だ、別にそんな風に聞いていた訳じゃない。楽器が、メロディーが、音響が、そんなことも意識なんてしてない。
そんな私がギターを弾いたのは、いや、正確に言うと、弾かされたのは、14歳のときだった。友達とライブに行った。小さなライブハウスに。
そこで聞いたのは轟音だ。大音量で、しかし、繊細で正確で、私の身体と心は掃除機に吸い込まれたダニのようだった。音、リズム、高音と光と。
そして、私はなぜか、いつのまにか、ステージに上げられていた。ライブの終盤の余興だった。曲はエンドレスで続いていた。ギターリストが
私をなぜか選び、ステージに引っ張った。私は戸惑っていた。ギターを肩に掛けられた。潰れてしまうかと思うくらい重かった。
そして、手に握らされた。ピックを。琥珀色のプラスチックのピックを。どうしたらいいかわからない私に、ギターリストは耳元で囁いた。

「思うがままに掻き鳴らせ」

ピックが弦に触れて、世界が揺れた。音が世界を切り裂いた。見えた。そう、私は見た。ギターと、シールドと、エフェクタと、アンプと、スピーカーの
その意味を見た。そして、髭面のエンジニアがステージ脇で笑うのを見た。今まで、うっすらとしか見えてなかった意味が見えた。私の、生きる意味が。
世界の意味が。世界がここにある意味が。世界がこうして成立している意味が。過去と今と未来が一枚絵になった。宇宙の意味がわかり、社会の意味がわかり、
人間の意味がわかり、私の意味がわかった。もちろん、ギターの意味も。弦が6本である意味と、ネックを横に走る金属の意味も。音楽と人間の心を結ぶ糸も。
「それはそれは」とルキにゃんは言う。いつもの涼しげな細い目で。「それではさぞかし今が退屈なことでしょう」
そんなことないよ、と私は言う。だって、それ以降、私は音が絵として見えるようになったから。波形が奇麗にまとまったギターの音はコピックの太線のように
見え、アンプで歪んだ音は掠れた筆の一本書きのように見え、音程は色と高度の違いでイメージされ、そのうち、人のしゃべる言葉も絵になって見えた。
幻視があるわけではない。ただ、頭の中でそのように見えるというだけのこと。それが私の病気と繋がっているというわけではない。

世界をどのように定義するか。
私とルキにゃんはそれを考え続けてきた。せっかく長期入院するのだから、時間は有効利用しなくてはならない。
テレビを見たり、刹那的な快楽に溺れたり、思考を停止して寝続けたり、運命を恨み続けたり、自分を責め続けたりするのは避けたかった。
初めにルキにゃんは私にこんな問いを投げた。「想像力の触手は無限に長いと思いますか?」長いと思う、と私は答えた。そして、細いと思う、と続けた。
それはこういう問いに繋がる。私たちはどこまで世界を想像することができるか。地理的限界を超えて。性も年齢も超えて。そう、私はあなたをどこまで
想像することができるか。私は答える。どこまでも。想像力の触手は無限に長く、細い。時間の制約も超えられるのか? もちろん。
世界をどこまで想像することができるのか。荒唐無稽な世界も、リアルな世界も、どちらも。「リアルな世界を扱うのは物理学の仕事です」とルキにゃんは言う。
「私は物理学に非常に興味があるのです」と言い、ルキにゃんは私に物理を教えようとする。簡易な言葉で。だけれど、そこから見えてくるのは世界そのものだ。



読書日記:111217(土)

真夏の方程式:東野圭吾:一日掛けて読了。なんとも言ってみようも無い。悲惨な物語だった。救いはある。けれど、重い。
            最後に思い起こされる『事件』のシーンが、ひどく鮮明に脳裏に焼き付いた。
これはペンです:円城塔:すごく面白い。基本的にはBoy's Surfaceと同じ物語なのだが、より自律している。情報が自律している。
            円城塔の小説は自律している。自律とはどういうことか。
            例えば、f(x)という関数があって、xに好きな数字を入れると、結果が出てくる。
            普通の物語は、f(3.4)という風に、既に作者によって調整された数字が入っている。
            だから、作者に調整された結果がでてくる。円城塔の小説はxが入っていない。
            あるいは、……f(f(f(f(f(f(f(f(f(f(f(f(f(x))))))))))))))))))))……という構造になっている。
            なぜ、そうなっているか。
            私たちの世界がそうなっているからであり、小説が世界を描くなら、小説もそういう構造にしなければならないからだ。


拍手ありがとうございますー
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読書日記 2011年12月13日 日記 トラックバック:0コメント:0

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セーターをパジャマにしているせいで静電気全開のメイドさんは自業自得。



#自分用メモ

読書日記111213

題名:著者:感想

麒麟の翼:東野圭吾:いつもの東野圭吾だった。いい意味で。殺人事件の切ない顛末。警察も基本はサラリーマンである。
隠れていた宇宙(下巻):ブライアン・グリーン:すさまじい。上巻より難易度高い。すごすぎて日曜日は寝て過ごした。ブラックホール関係はサスキンド先生の本の方がより詳しい印象ではある。
カーサの猫村さん1:ほしのよりこ:猫村さんに憧れる。どうすれば猫村さんになれるのか、じっくりと考えたい。
ゆゆ式(2):三上小又:なんつってっつっちゃったっ!? のネタだけでお金では買えないほどの価値があると思う。芳文社4コマの最高峰のひとつ。



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最先端素材技術の有効利用。 2011年12月12日 日記 トラックバック:0コメント:0

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おっぱいだけで漫画を成立させようとするメイドさんなんて好きでも嫌いでもない。


拍手ありがとうございます!
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ライフゲーム、ホログラフィック、kill the past. 2011年12月11日 文芸(長文) トラックバック:0コメント:0

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なぜかクトゥルー神話に準拠するユグドラシルさん。


拍手ありがとうございます!

拍手返信>ノートに絵を描くとですね、こう、なんというか、すごく描いたな感があるんですよね。
(そして処分せずには死ねない系の黒歴史ノートとなるのだった)

以下、寝られない夜のための眠くなる長文をどうぞ。



私は座禅をしている。部屋の中で。宗教的な意味は無い。

姿勢も時間もこだわらず、ただ座り、深い呼吸を繰り返す。
何も考えずに頭を空っぽにする、というのが座禅であるとよく言われるが、そこにもこだわらない。
思考にも圧力が存在し、脳内の圧力がゼロになっても外圧や内圧の影響を受けて変動する。
そのゆらぎに対して、抵抗せず、ただただ受け止める。もしかしたら、それが何も考えないということなのかもしれない。

最近、気付いたことがある。
『執着が人間を殺す』ということである。
もちろん、そんなことは紀元前から言われていることであるが、身に沁みて実感としてわかったのは最近のことだ。

金。欲望。安定。保身。数値。ブログ。趣味。

しかし、執着は技術を生み、経済を回したかもしれない。そういう側面がある。
執着、言い換えれば、こだわり。それは文化を生んだかもしれない。
だけれど、そういう世界観は破綻した。アメリカが生んだ自由主義経済を中心とした世界観は悲劇的な結末を見せた。

私たちは執着を捨てなければならない。
この言葉は宗教的に聞こえるかもしれない。いや、宗教的に聞こえて当然かもしれない。
そしてそれは世捨て人をイメージさせるかもしれない。あるいは、肥えて太ってラム酒ばかり飲んでいる神父様を。
嘘臭さを。休日の宗教勧誘を。ずうずうしい中年おばさんの信仰心を。たばこ臭い体育教師を。字面だけ立派なブログを。

私は息を吐く。静かに、肺の中の全てを。

だとしても、私たちは執着を捨てなければならない。それは生存戦略だ。
賭博黙示録カイジの限定ジャンケンの終盤戦が今だ。会場にはチョキばかりが偏って残っている。ならば、私たちがすべきことは明確だ。

森の木が揺らいでいる。
私の思考のステージに奇異なモヤが漂う。そのモヤは私の無意識が生んだ物語だ。
私はモヤを散らしてしまわないように、慎重に触手を伸ばす。知覚する。メモをする。

●●●●●●●●無意識の生んだ物語の断片1●●●●●●●●

私はインダストリアル探偵である。

インダストリアルは工学・工業を意味する。深読みしてイン・ダスト・リアル、と三分割してしまうと意味を取り間違える。
そんなジャンルの探偵なんて本当にいるのか、と疑問に思う人もいるかもしれない。でも気にしなくていい。
インダストリアル・コンサルタントと言い換えればそれっぽく聞こえる。

日経エンジニアリング12月号 『特集:2012年 どうなる日本の技術 インダストリアル・コンサルタントからの提言』

何様のつもりだよ。
と、私は思うので探偵を名乗る。安っぽく、胡散臭い感じが良い。
シャーロックホームズのような帽子と外套で身を包む。アパートから出て、新潟駅に向かう。
昨日降った初雪が道路の脇に薄く積もっている。冬の太陽光が拡散して小さな虹色を見せる。

私は中学2年生である。ガキだと自分でも思う。まだどこにも女らしさがない。
だから、私を初めてみた人は不安がる。何かの間違いではないか、と視線を宙に泳がせる人も多く見た。

今日の依頼先もまた、そのような偏見の目で私を見ていた。
株式会社 平野製作所。小規模な会社であるが、大型の工業機械を設計販売しているらしい。
事務所に入ると受付の隣にある応接セットに案内され、そこには平野常務と中山技士が座っていた。

――……本当に、あなたが探偵ですか?

平野常務は目を見開いて、そう言った。

●●●●●●●●無意識の生んだ物語の断片2●●●●●●●●

夜22時にカオリから電話が来た。
これから飲みに行かない?と言う。私は明日は朝のシフトだから無理、と言う。
朝って、何時?と不満げに聞いてくるので6:30だよと言うと、じゃあ今からちょっとだけ飲もうと言う。
じゃあ今からそっちに行くから待ってて、とカオリは言い、電話を切る。まじかよ。私はテーブルの上を片付ける。
テレビにはドラマが映っている。カオリは同じバイト先で働いてて、でも夜のシフトだから夜型だ。
カオリは朝と昼はいつも寝ている。大学5年生。6年目もありえる。どうするんだろう。どうでもいいか。
私も他人のことは言えない。大学、卒業出来るんだろうか?しなくてもいいか。勉強できないのに卒業するのも変だ。
バイトばかりしている。正社員よりも働いていると思う。今朝もママ(バイト先)から電話があって、店を開けるの手伝って、
と言われて駆けつけた。ママは昨日の夜、店をちゃんと閉めなかったらしい。要するに、店の中は昨日のままだった。
グラス、皿、箸、スプーン、酒瓶、ぐっちゃぐちゃで、カウンターはべちょべちょだった。私はママと一緒にばたばたと
片付けた。ママは途中で抜けて仮眠を取った。その内にリカコが来て手伝ってくれた。

24時になって、カオリは来た。飲むぜーとカオリは言い、ワインを開けた。私は眠たくなった。
寝るなよー、とカオリは言う。人間、2時間寝れば十分なんだよ、と言うが、カオリは朝は寝まくっている奴なので説得力が無い。
半分眠りながらワインを飲んでいると、カオリの携帯が鳴った。カオリの声のトーンが変わる。
芸能人からの電話だった。カオリが以前、知り合いのバンドのライブでサポートして歌ったとき、打ち上げにいた芸能人からだった。
テレビにたまに出てる男。そいつがちょっとしたパーティにいて、カオリを誘っていた。
カオリは今行きますと言って立ち上がった。え?と私は言う。ごめん、すぐ帰ってくる!とカオリは言う。

うそつけ。

と、私は思うが声には出さない。
カオリは疾風のように出て行く。私はごちゃごちゃになったテーブルをそのままに、ベッドに潜る。

●●●●●●●●無意識の生んだ物語の断片3●●●●●●●●

彼――低所得うだつの上がらないサラリーマン31歳非モテ系独身――はオナ禁20日目に突入していた。

しかしそれは別段大層なことでも威張れることでもない。
彼は強い意志によって欲望に打ち勝ったわけでもなく、ただ単に仕事に忙殺されていただけだ。
朝5時30分に起き、朦朧した頭で通勤電車に飛び乗り、アパートに帰ってくるのは深夜23時00分。
明日の仕事のことを考えてため息をつきながら目を閉じると、次の瞬間には朝の5時30分になっている。

忙しくて、している暇もない。
いや、実はこれは正確な描写ではない。本当は彼はしていたが、最後まではしていなかった。
最後までする、すなわち射精することが、気持ちのよい行為ではあるにしろ、彼にとっては非常に負担であることを
彼は経験的に知っていた。彼はもう若くなかった。射精は彼の体調を少なからず低下させる。
端的にいえば、寝起きが悪くなり、身体がだるくなり、覇気がなくなり、頭の回転が鈍くなる。
それにより仕事が差し障るのであれば、射精のような刹那的な快楽は遅延してもよいと彼は考えた。

彼は社畜であった。
会社を憎んでいて、働くことすら嫌っていたが、しかし、一人で生計を立てていくことは不可能だと自覚していた。
彼は彼自身、何者でもないことを自覚していた。生きていくにはここで歯車になり続けるしか無いと考え、走り続けた。
その結果、若さは失われ、心は渇き切り、まるでロボットのようになってしまったが、それはしょうがないと諦めていた。

射精はしなかったが、エロ的情報は取得し続けていた。インターネットで。
自宅ではパソコンで、会社ではスマートフォンで、ベッドの中ではタブレットで。
彼はエロ的情報を取得し続け、保存し続け、射精に至らない程度に右手を動かしていた。
だから、というのもおかしな話だが、彼には性欲はあった。しかし、それは上記程度のものだった。
液晶に映る画像、あるいは、動画、その程度のもので満足していた。
彼には時間がなく、また若さもなかった。夜の街で遊ぶ、女を買う、そのようなことは想像するだけで疲れてしまう。

オナ禁20日。
彼はgoogleカレンダーでそれを知る。久々の休日だった。寝坊していた。ベッドの中だった。
スマートフォンの液晶に反射した彼の顔は中年の疲れたサラリーマンそのものだった。
彼は液晶を指でなぞり、いつものエロサイトリンクを開いた。射精しておくか、と彼は考えた。
しかし、それと同時に、不思議な感情が彼の心の中で励起した。それは『鬱』の感触に似ていた。
虚しさ。だが、それは特別なものではない。彼は思春期ではない。虚しさについて、今更どうのこうの思う年齢ではない。
それでも、何か思うところがあった。変えることができないのだろうか、と。

世界を変えることができないのだろうか。
と、彼は考えた。

正確に言えば、自分自身を変えることができないのだろうか。

それは綺麗事かもしれない。今更な話かもしれない。無意味かもしれない。
しかし、この流れから逃げ出すことは本当にできないのだろうか?
仕事の多忙、安い性欲、安い射精、小さい自分、小さい生活。
それは彼の中で渦巻きのようにイメージされる。毎日が過ぎるたび、射精するたび、どんどんと彼は渦の中心に近づいていく。
抗えず、彼は最後には一つの点になる。それでいいのか? よくない。それは虚しいことだ。くだらない人生だ。

世界を変えなくてはいけない。

彼はそう思う。どうやって? 簡単だ。
まずは身近なところからだ。

彼はパソコンとタブレットとスマートフォンのエロデータフォルダを削除する。
ブックマークからエロを消す。RSSリーダーから、エロ系のものを削除する。
別に特別なことではない。誰もが、何度もやっている時折やってくる『発作』のようなもの。
だが、ここで改めてやっておきたい。
冷蔵庫の中のアルコールも、全て水道水と共に流しに捨てた。

彼はgoogleカレンダーの今日の日付に、『禊』と入力する。

オナ禁、エロ禁、酒禁。
これを始める。大したことではない。だが、ここから始めなければならないだろう。
こんなことでは何も変わらない、という嘲笑を彼は彼自身から聞く。
しかし、そうであっても、ここから始めざるを得ない。

●●●●●●●●無意識の生んだ物語の断片4●●●●●●●●

綺麗事は止めよう。暴力はあった。いつだって。

ただし、それをどう感じるかは人それぞれの考え方だ。どんな結論でも尊重されるべきだ。
発生する可能性のあるものは発生する。確率の問題は時間軸のスケール次第で無視できる。
あなたが思い浮かべた20桁の数値と同じ配列のものは円周率の中に存在する。それは奇跡でもなんでもあるまい。

当たり前でつまらない。いや、今はそれでいい。誰だってお茶の美味しさは初めはわからない。
私は世の中の全てに『囲碁』を見い出すが、『映画』や『音楽』や『異性』を見い出す人もいたっていい。
本人にとっては当たり前のことが、複雑な暗号化された脳味噌の電気信号の煌めきが、その若干のニュアンスのずれが、
凡庸に書けば『個性』であり、数学的に言えば『誤差』であり、工学的に言えば『ばらつき』になる。

暴力は不条理だが理由はある。その理由が不条理である可能性は、もちろん、高い。
暴力には様々な形態がある。ジャイアンがのび太にするようなものも、制度的なものも、歴史的なものもある。
それらはスケールの違いはあれど、同じ構造を持っている。傾向がある。全てに理由がある。
斜めの坂道に石が置いてある。石は丸く、ふとした調子で転がっていく。あるいは、電位差の中に電子があり、
ふとした調子に引き寄せられていく。高密度な物体が歪めた重力場によって星が公転していく。
暴力はそういう現象に似ている。物理的な必然に似ている。

つまり、私は何が言いたいか。
私は暴力は必然であると言いたい。
だから暴力はあったし、ある。いつだって。
綺麗事は止めよう。暴力はあるんだよ。

●●●●●●●●無意識の生んだ物語の断片5●●●●●●●●

エロ漫画を描こうと考えた。
現状、漫画どころか、絵すら描けないが、それはとりあえず置いておく。

なぜ、エロ漫画を描こうと考えたかというと、それは失職したからだ。
もともとはサラリーマンだった。出版関係でもデザイン関係でもない。手に職があるわけでもない。
だからリストラされると再就職は難しい。それに、また同じサラリーマンをやるのは嫌だった。

なぜ、漫画で、なおかつ、エロ漫画なのか。
まず、漫画が好きだからだ。しかし、それは読むのが好きなだけで、描ける訳ではないのだが。
そして、漫画が好きとはいいつつ、実際のところ、漫画のエロいところが好きなのだった。
高尚な漫画、青春漫画、冒険漫画、そんなものは読んだことが無かった。
萌え漫画、少女漫画もなんか、別にどうでもよかった。ただエロが欲しい。エロが。

ということでエロ漫画を描こうと考えた。

まずは、イメージする。
絵は描けないが、イメージならできる。
自動車を作ることはできないが、自動車をイメージすることはできる。それと同じく。

1ページ目。
メイドお昼寝中、というメモが机の上に乗っている。それが1コマ目。
その机の横に、メイドさんが昼寝をしている。仰向けに。大きな胸がメイド服を柔らかそうに膨らませている。
そのメイドさんの絵を、コマを縦断するようにどーんと大きく描く。
2コマ目と3コマ目をメイドさんの身体が縦断している。自然と、2コマ目と3コマ目は小さくなる。
その小さい2コマ目に、主人公の男を書く。また昼寝しているのか、と男は言う。
3コマ目はデフォルメされたメイドさんが、むにゃむにゃ、と言う。寝ていることを明示する。

それより後の展開は下記の通りとする。
2~3ページ:いたずらしてやろう。
4~8ページ:エロいいたずら中。全然起きないな。
9~12ページ:もっとエロくいたずらする。実は起きてた。
13~16ページ:エロ展開。完。

ありがちな展開だが、別に問題はないように思えた。
いや、絵が描けないという問題はあるのだが、それはまた別の話だ。


●●●●●●●●ホログラフィック●●●●●●●●

私のような『点』にも思考があり、歴史がある。
あなたにとってはなんでもないことに私が懐かしさを覚えることもある。個々人に固有の特性があるせいだ。

私にとって、今やブログは懐かしい。windowsという商品に似た懐かしさである。
少し前はホームページが懐かしいと思っていた。今はブログが懐かしい。
懐かしのホームページの多くは更新が止まっている。今はブログの更新が止まっている。
ホームページ3年限界説と同じ構図でブログ3年限界説があり、昔よく見たあのサイトは今は自動的に貼られた広告の下に沈んでいる。

それは歴史を体現している。
情報は劣化しない、というのは理想論である。昔の情報は古く、歴史を感じさせるものだ。
昔読んで面白かったあのホームページを、今読み返して面白いかどうかは微妙なところである。

ホームページはブログになり、ブログはSNSになった。
みんながみんな移行した訳ではない。生存競争はメディアだけではなく、発信する人や受信する人にも課せられる。
飽きた、加齢した、多忙になった、色々な理由により、人は減り、循環する。

自分もまたその列に並んでいる。静かになろうとしている。セピア色になろうとしている。
コードを収束へ、安定へと向けて転がしている。終わろうとしている。

ブログが終わる瞬間というものを何回も見てきた。リアルタイムで。
なるほどな、と思うこともあり、なんか違うな、と思うこともあった。
いずれにしても、ひとつのチャンネルが終わるのは寂しく思った。

私はテレビを想像する。
毎日、24時間放送を続けるテレビチャンネルがある。
でも、その中の番組が再放送ばかりだったら、事実上、そのチャンネルは死んでいる。
たとえ、名作ばかりでも、その番組がどんなに『生』を歌っていても、死んでいる。
かといって、新作ばかりでも、その内容がひどかったらどうか。
内容が死ぬほどひどくても、生きている、と感じる。もしかしたら、という未来がある。
右肩下がりか、右肩上がりか、どちらにしても、新作が作られ続けるうちは、未来がある。

そういう意味では、自由主義経済は未来がある。姿を変え、ルールを変え、私たちの超自我として生き長らえる可能性がある。
micosoftはgoogleやappleにやっつけられるかもしれないが、生き延びているうちに再び覇者として君臨する可能性がある。
それが何%なのか、というのは問題ではない。ゼロではないというところに刮目すべき点がある。

今、ブログは懐かしい。次のメディアがこれを上書きし、その次の、さらにその次のメディアがそれを上書きする。
懐かしさ、というのは穏やかな呪いに違いない。絵を描いて、スキャンして、適当に色を整えて、適当な文章と共にアップロードする、
そういう懐かしさの手順は穏やかな死に違いない。死神は死神の顔をしていない。まるで執事のような紳士さで、老人の最後の投稿を見守る。

おそらく、私たちを束縛し、疲弊させ、沈黙させているのは私たち自身である。
いつしか、死神に反抗しなくなり、死神にやさしく背中を撫でられ、アップロードのボタンを押すようになる。
違う。と、気付いている。しかし、年を取りすぎた。あるいは、自信を失っている。初心を失っている。自分を見失っている。

話は変わる。

空間にどこまで情報を詰め込むことができるか、という問題がある。
答えは簡単で、その空間の表面積(ブランク長)のビット数である。何を言ってるのかわからないかもしれないが、私もよくわからない。
よくわからないまま話を進めると、こういうことである。
ある空間内に情報を詰め込もうとする。本やSDカードとか。どんどんと圧縮して詰め込んでいく。ある密度を超えるとブラックホールになってしまう。
ブラックホールはその強大な重力が及ぶ範囲のものを全て吸い込んで行く。光ですらも。だから真っ暗に見える。
光がぎりぎり逃げられる境界線がある。そこが存在限界である。その線を超えると吸い込まれて行き、絶対に出られない。
その境界線は球状表面で表現される。その表面積はブラックホールのエントロピーと等しい。エントロピーは情報と同じである。
だから、空間に詰め込める情報量はその空間の表面積に等しい。

同じようなことを、ブログにも言えないだろうか?
いや、ブログに限定する必要は無い。全てに言えないだろうか?
単純な言葉で言えば、『部分が全体を表現し、全体が部分を表現する』。

あるいは、私たちの思考は常に揺らいでぶれている。しかし、そのおかげで、実は私たちは思考を維持出来ている。
世界は常に揺らいでぶれている。水分子はコーヒーカップの中で飛び回っている。さらに微細な構造の量子もまた揺らいでいる。
しかし、その揺らぎのおかげでブラックホールはホーキング放射を行うことになり、世界の一貫性の維持に貢献している。

話が変わり過ぎて胃が痛くなってきたので元に戻る。

ブログたちの設立とその収束にはライフゲームの終盤戦のような寂しさがある。

ライフゲームは一種のセルオートマトンであり、一時期流行ったことがある。
まるで生命の多様性のように振る舞うセルたちだが、いつもどこかで終わりを迎える。

沈黙か、循環か。
そのどちらかに落ち着いてしまう。

まるで小石のように静かに佇むセルたち。あるいは、風に吹かれて回転する無人の風車のようなセルたち。
いずれにしても、変化は収束し、死を迎える。その道中で飛ばされたグライダーは精子のように見えるが、彼らの運命は誰もしらない。

ブログたちもまた、沈黙か、循環か、そのどちらかを迎える。
ライフゲームの終盤戦のように、状況を収束させて行く。

それはつまらないと思う。実につまらない。
もっと、揺らいでほしい。ぶれが欲しい。一貫性なんていらない。そんなものを要求するから動きが止まってしまう。
だいたい、世界がそのようにできていない。世界がぶれて揺らいでいるのに、その上にいる人間が不動でどうする。
沈黙して循環してどうする。

もっとぶれなくてはいけない。
もっとゆらゆら揺らめかないといけない。
沈黙と循環に落ち着いてはいけない。
一貫性を破壊しろ。
過去を殺せ。

揺らめけ。
ぶれろ。
沈黙するな。
循環するな。
一貫性を破壊しろ。
過去を殺せ。

言葉からイメージが立ち上がる。
言葉に折り畳まれた情報から世界が立体的に立ち上がる。
そんな情景を私はどこかで見たことがある。

ホログラフィック。

あるいは、ブラックホールの表面積が蓄積する情報がブラックホールの内面を表現する世界。
そして、それは私がさっきまで読んでいた本の内容の断片だ。
世界の多様性はどこから発生するのか、世界の多様性は何を意味するのか?
その答えは単純だ。しかし、深淵である。
世界の多様性は揺らぎ・ブレから生じている。
その多様性は確率論を超えた世界を生み出している。

『発生する可能性のあることは、全て発生している』

この世界で。あるいは以外で。けれど、どちらでも構わないというのが結論だ。
逆にも考えられる。無限というのはもしかしたら、ゼロと同じということかもしれない。
全てがあり得るなら、それは全てがあり得ないのと同じことかもしれない。

●●●●●●座禅●●●●●●

私は息を吸う。

私は最初、執着を捨てなければならないと書いた。しかし、私は実際には執着している。
私は生きることに執着している。それはもう、鬼の様相で、私は生きたいと切実に欲望する。
生への執着を捨てることは原理的にありえない。
もちろん、言葉としてはあり得る。

執着を捨てなさい。全ての執着を捨てなさい。執着に執着することもやめなさい。すなわち、生に執着することをやめなさい。

これは循環コードである。実行コードが自らを参照している。
excelのA1セルに、『=A1+1』と書くようなものだ。excelはエラーメッセージを出して、まともに取り上げない。

また、禅問答的でもある。そして、多くの禅問答と同じく、この問いに答えは無い。
さっさとエラーメッセージを吐いて終わりにするのが賢い。賢いが、純粋に悩んでもいいだろう。一度くらいは。

私は生きる。ぶれる。揺らぐ。生きること以外の執着を捨てる。
生きるということは、沈黙をしないということだ。循環しないということだ。

そうだ。
自分自身のために、もう一度書いておこう。

私は生きる。
ぶれる。
揺らぐ。
沈黙せずに。
循環せずに。
一貫性を破壊する。
過去を殺す。





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