enchantMOON、ファミコンウォーズ(色彩を持たないニューラルコンピューターと、彼の巡礼の年)、落書き 2013年04月28日 文芸(長文) トラックバック:0コメント:0

プロジェクターにはiphoneが映っていた。
ジョブズはその前を歩きながらつぶやくように言った。

ーーこれをどうやって操作する?
  スタイラス? ノー。 スタイラスはダメだ。

観客から笑い声が聞こえた。
またいつものジョブズ節が始まったぞ、と誰かが言った。

ーースタイラスは操作しにくいし、すぐに無くしてしまいそうだ。
  ではどうする?
  答えは簡単だ。すでに『それ』は私たちが持っている。

指だ。
そしてそれは正しかった。
まるで魔法のように操作しやすく、デジタルデバイスは私たちの意のままに動いた。

細かいスイッチを神経質に押す必要は無い。
QWERTYなどという意味不明な配列のキーボードに苛立つ必要は無い。
不要なショートカットキーを配置する必要は無い。

そんな、魔法のデバイスに唯一弱点があるとすれば、それは文字入力の不便さだった。

QWERTYキーボードは、初心者にとっては狂気の文字入力デバイスだが、
熟練者にとってはこれ以上便利な物はないように思われた。
携帯電話のポケベル打ちや、iphoneのフリック入力では、
QWERTYキーボードに勝てない。

しかし、QWERTYキーボードもまた、手書きには勝てない。



ーー我々は紙を再発明する。

これは小さな物語ではない。
コンピューターの進化の歴史を遡り、大昔の、原初のところにまで遡っている。
コンピューターとは何か。よくわからない、電子の迷路のようなもの?

先見の目があるのか、ただの物好きなのか、とにかく変わり者の何人かが
この電子のおもちゃに興味を持ち、それが作るであろう未来を夢想し実現させようとした。

この電子のおもちゃは、とにかく計算ができる。
人間よりも早くて正確だ。それが唯一にして最も重要な特徴だった。
計算ができるということは、どういうことか。
なにが出来るということか。

数学問題でも解かせるか? ミサイルの弾道計算でもさせるか?

もちろん。
でも、もっと大事なことがあった。そして、それが世界を変えたのだ。

ーー情報の処理。

情報?

『ぬこ』は興味なさそうに言った。
ぬこは廊下の陽だまりの中で伸びていた。
今のぬこに必要なのは情報でもコンピューターの話でもなく、身体を撫でる風だけだった。
私はぬこにうちわで風を送りながら、続ける。

世界は情報で出来ていた。
もちろん、1、2、3、というような数字をいくつ重ねたところでパンができるわけではない。
だけれど、微視的に見れば、『物体』というのは『何か小さいもの』の集合体であって、
その『何か小さいもの』というものは、『エネルギーの偏差』であって、それはつまり数字だった。
大きな視点で見ると、地球というのは、色々な外的な要素はあるにしても、
数学的な釣り合いの法則に従って宇宙を移動している。
企業活動、交差点での人間の流れ、都市計画、人間の心理、文化、そういうものも、
『情感』という曖昧さも含めて、数学的な計算のようなものだった。
つまり、まとめて考えると、こういうことだ。

世界は情報で出来ていて、世界の動きは全て計算である。

——そうですか。ありがとうございました。

と、ぬこは言い、うなだれる。

——ぬこは計算です。こうして、うなだれているのも計算です。



アラン・ケイ。

オブジェクト指向プログラミングという概念、
そしてGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)を作った。

この二つは、切っても切れない関係だった。
この二つはある意味、『同じこと』を別の角度から表現していた。
GUIを実現するためにオブジェクト指向プログラミングはあり、
オブジェクト指向プログラミングとはGUIそのものだった。

GUIとは、『MS-DOS』に対しての、『windows・macOS』のような、
文字通りのグラフィカルなUIという捉え方もあるが、
個人的には『普通のRPG』に対しての、『どうぶつの森』という方がしっくりする。

世界はあるが、世界はそこにあるだけであり、
ユーザーが何かすることにより、世界は応答し、動き出す。

『どうぶつ』はひとつのオブジェクト(存在)であり、
そのオブジェクトに対してメッセージを送ることで、リアクションが来る。
そのリアクションが他のオブジェクトに対してのメッセージにもなり得る。
リアクションはリアクションを生み、たぬきちはしずえさんに手紙を出す。

その様子は『脳』の神経細胞の振る舞いに似ている。
(それを模倣して作られたニューラル・コンピューターに似ている。)

オブジェクト指向プログラミングが世に問われたとき、おそらく、
これがコンピューター進化の本筋であると誰もが思ったに違いない。
しかし、実際問題、こんなに上手くはいかない、とも思ったに違いない。
目の前の貧弱なコンピューターー1秒間に何万回の演算ができるにしてもーー、
たぬきちはただただ、用意されたメッセージを読み上げるに過ぎなく、
用意されたモーションを再生するに過ぎない、というのが当時の現実的な実感だった。

しかし、2013年の今、『どうぶつ』たちは自律し、動き回る。
RPGはMOになり、MOはMMOになり、MMOはどうぶつの森になった。
『どうぶつ』は『どうぶつ』同士でメッセージを送り合い、
その情報の流れは濁流となってユーザーを巻き込んで世界を構築している。

アラン・ケイのとてつもない、シンプルで根源的な思想は、
なかなか現実的な形にならなかった。
だけれど、着々と、粛々と続いていた技術革新により、
あの暫定ダイナブックが、後のmacになり、ipadになり、
いよいよ私たちに本当の姿を見せ始めたのである。



enchantMOONは異質なデバイスだ。

『手書き入力にこだわったandroidベースのタブレット』

というフレーズは一つの落としどころに過ぎない。
普通のwindowsパソコンを

『なんでもできるコンピューター』

と言っているようなもので、確かにそのフレーズの通りではあるにしても、
何か重要なことが抜け落ちている。

今のwindowsパソコンは、何でも出来る。
もはや何でもかんでも出来過ぎて何をしたらよいかわからず、
結局はgoogleニュースしか見てないという人もいるのではないかと思われる。
かといって、googleニュースしか見れないwindowsパソコンは売れないに決まっている。

今、enchantMOONがあなたの目の前にある。
はてなブックマークを巡回しているうちに気になってしまって、勢いで予約して、
6月になってあなたの手元に届いたのである。

梱包を開ける前に、ふと思う。
私はこのデバイスで、いったい、何をしようというのか。

iphoneを持っている。
ipadも持っている。
androidのタブレットも持っている。
windowsパソコンも、macも持っている。

何を書くか。描くか。
まさか、『googleニュース』と書いて、インターネットの濁流の中に、身を投げるとでも?
その用途において、ipadに勝る物は無い。
指でリンクを撫でて情報を浴びるだけなら、ipad以外に選択肢は無いのだ。

迷う。何をすればよいか、迷う。
迷いながら、とりあえず、enchantMOONを立ち上げる。
そういえば、あなたは3DSLLも持っていたことに気付く。
あの端末の書き味は結構良かったなあとか思ったりもして。

時刻設定。言語設定。パスワード設定。wifi設定。
そして、ちょっとしたチュートリアルの後、真っ黒の画面があなたを出迎える。

ふと、思い出す。

昔、adobePhotoshopを学割で買った。学割だけど、高かった。
中古で買ったMacintoshにインストールした。ハードディスクの音がひどく大きく聞こえた。
そして、私を迎えた画面は、無慈悲なほどに白い画面だった。
何をしたらいいのか、わからなくなった。何のために買ったのかもわからなくなった。
とりあえず、ドラえもんを描いてみた。なるほど。無機質で無駄にグラデーションの掛かった、
ドラえもんが画面に現れた。

私は困惑し、途方に暮れる。

円城塔の小説の中に、巨大な演算装置を作るシーンがある。
それは巨大な算盤であり、これにより何万桁もの計算が可能になった。
これでどんな素晴らしい未来が来るのかと、人々はわくわくし、興奮する。
完成記念の演壇で、設計者は言う。

どうぞ、思う存分計算してください。

人々は、困惑し、顔を見合わせる。

enchantMOONはそんなあなたを知ってか知らずか、
青く薄暗いフィルターの掛かったプロモーションビデオを見せてくれる。

現状のandroidとiOSのメタファーである、青い林檎を不健康そうに食べる、
ヘッドギアをかぶった人間達。
彼らは情報を浴び、思考を停止させている。

それは情報管理された世界の描写だが、実際には彼らは望んでその状態にある。
彼らは監禁されていないし、拘束状態にあるわけでもない。
逃げようと思えば逃げれるし、青い林檎など食べなくてもいい。
食べないという選択肢はあるが、それは快楽を手放すということでもある。

情報という快楽。

情報過多は立派な依存症だが、依存するだけの快楽が先行しており、
それは結局は選択した結果に過ぎない。

enchantMOONを手にした少女は字を書き、思考する。
地図を書き、自分の本当に欲しい情報を得る。
そして、鬱鬱とした洞窟から逃げ出す。

このPVはappleの『1984』をなぞり、しかし、appleとは違う価値観を提示する。

enhantMOONに触れて、とまどうのは、正しい反応である。
青い林檎が食べたい、と強く思ってしまうのは、間違いでもなんでもない。
依存症が悪い訳ではない。良いとか悪いとかではない。それはそういう現象なのである。
オープンソースの祖の一人はこう言った。

——windows、macはクソだ。なぜなら自由じゃないからだ。

でも、私たちはそこまで強くなれるだろうか?

ここまで青い林檎で満足していたんだ。これからもきっと満足できるはずだ。
でも、なんか、おかしい。栄養が足りない気がする。飽きた感じがする。
青い林檎を床に起き、ヘッドギアを外す。

あなたの目の前にはenchantMOONがある。
それは鏡のようなものだった。
googleの検索履歴のように、如実にあなたの心を映し出す。

青い林檎から逃げる。その言葉は勢いがあるが、はたしてどこへ行こうというのか。
盗んだバイクで走り出した尾崎豊は、学校のガラスを割って歩いた尾崎豊は、
どこへ行ったのか。結局、学校の周りを走り回っていたに過ぎないのではないか。



思考実験をしよう。

あなたは突然、漫画の才能を手に入れる。
なんでも描くことが出来る。どんな漫画も上手に描ける。
とりあえず、無難な面白い漫画(どんなものかはわからないが)を描き、
大ヒットする。アニメ化、映画化もされて、一生遊んで暮らせるお金を手に入れる。

ここから先が重要である。あなたは何でも描くことが出来る。
だから、ここから先は本当に描きたい漫画を描こうと思う。
何者にもとらわれず、全く新しい漫画を描こうと思う。
ジャンルや漫画の歴史や周辺の事情や商業性に囚われず、自分だけのために描く。

『漫画』という括りすら無くしてもいい。
定型の紙、に拘らなくてもいい。もちろん、印刷するためには、など考えなくてもいい。
全てが自由であり、何の制限も無い。
もちろん、制限の中でこそ創造性が発揮されるのだ、という方向に進んでも勿論よい。
これをやろうとすると作業量が指数的に増えるからなあ、とケチくさいこともまた言わなくていい。

あなたは色々と考える。
色々な方向性はありそうだ。
しかし、全てを包括する案は、実は一つしか無い。

それは世界を作るということだ。

作った本人にも驚きがある世界というものが、なおよい。

箱庭を作り、キャラクタをオブジェクトとして配置する。
オブジェクトは自律的に学習する。それぞれのオブジェクトが相互に影響し合い、
学習し、競争し、成長し、増殖する。
色んな属性があればいい。多様性が豊かさを生むに違いない。

それらを一から、一つ一つ作るのか?
答えはノーだ。手間がかかるし、多様性を阻害する。
単純なルールがあって、それによって勝手に複雑性が生じるのが良い。

ルールは単純であればある程よい。

(1)エネルギーというものがある。
(2)エネルギーは高いところから低いところへ流れる。逆流はしない。
(3)エネルギー量は不変である。

こういうルールだけを決めて、後は適当にエネルギーをばらまけば良い。
『適当に』によるエネルギーの非対称性が上手い具合に作用すると、複雑に世界が動き始める。

そのように作られたものを漫画の最終形としてあなたは提示する。
それは本当に漫画なのか、と言われても、なかなか回答が難しい。



ファミコンウォーズというゲームがある。
これは任天堂が作った戦争シミュレーションゲームである。

このゲームを改造する。
無限に近い広さのフィールドを作り、1万の独立した軍を作り、
それぞれに独立したニューラルコンピュータをプレイヤーとして配置し、
何万世代と戦わせる。大抵は1強他弱となる。フィールドが一色に染まる。
(大抵は戦闘工兵と輸送ヘリを延々と増産し続ける奴が勝つようだ)

それだと面白くないので、敵を倒さないとお金が手に入らないようなルールを追加する。
そうすると、1強になった時点で、お金が入らなくなり、自滅するようになる。

するとどうなるかと言えば、敵を飼うようになる。
自走砲と戦車Aで囲まれた柵の中で、敵の工場と都市が延々と兵器を作っては壊される。
そのような兵器農場ができる。
しかし、敵もさることながら、永遠とは繰り返さない。
自分の生産活動がこの憎き敵を生き続けさせているということに気付くと、
自殺を考えるようになる。すなわち、兵器を生産しなくなる。鬱状態になったようにも見える。
こうなると、1強側は困るので、ちょっとは希望を持たせないといけないな、
と思うようになるらしい。

たまに下克上は成功するようにする。
むろん、2つ目の柵にやられるのだが、そんなことは知らされない。
永遠とも言える時間の中で、ニューラルコンピュータは未来を信じて戦い続ける。

と、いうのは擬人化レベルが高過ぎており、実際は計算しているだけである。
高速なメモリの上で、仮想化されたプロセスが計算し続ける。

ファミコンウォーズというルールのなかで、生命が生まれた。

というのは擬人化レベルが過ぎており、何をもって生命とするのかという
クラシックSFのネタに舞い戻る。

そんななか、ある陣営の中で、これはあかん、こんなに戦い続けていてもしょうがない、と
思うものが現れ、彼は歩兵を一つ生産して、それをふらふらと歩かせ続ける。

その現象は『巡礼』と呼ばれる。

彼は色彩をもたない。
色彩を持つ、その他の陣営の都市へと現れ、何かのメッセージを残す。
都市の上に位置するのに、占領しようとしない。

「全ての軍は煩悩具足で苦しみ続けている。
 有れば有るで苦しみ、無ければ無いで苦しむ。
 その苦しみをなんとかして助けてあげたい。」

今もファミコンウォーズの中で、仏教が発展し続けている。



と、ここまでの文章はenchantMOON上に書いたものである。
これらの文章は本来は手書きだが、文字認識されてテキスト化されている。
テキスト化されているということは、ひとつのオブジェクトとして自律しているということであり、
動的ではないにしろ、データの偏差として私のenchantMOONに影響を与えている。

enchantMOONでは手書き入力された全てをオブジェクトとして認識し、記憶する。
書き躊躇いの点も誤入力も一つのオブジェクトであり、とりあえず記憶している。

オブジェクト指向という考え方は、コンピュータの中に世界を作る、あるいは、
コンピュータとしての世界を作るためのルールという意味合いが強い。
(世界にとってはゴミも誤入力も全てオブジェクトであり、なんらかの意味がある)

enchantMOONがオブジェクト指向と結びつくのはそのような文脈による。
手書きによる入力が全てオブジェクトとなり、認識され、リンクする。
紙とペンでは到達できず、パソコンやipadでは到達できない新しい知的な感触がある。

このデバイスはあなたの知性が本物か、偽物かを判別するリトマス試験紙にもなる。

ただ、購入する、そのまえに、簡単な適正テストをしよう。

A4の白紙を前にして、
『何も描いてない。つまらない』
と、思うか、どうか。

そんなことを思ってしまう自分自身が、誇らしいか、どうか。



ちなみに私はA4の白紙を前にしても特に何にも思い浮かばないので、適当に落書きを描くに留まった。

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拍手ありがとうございますー
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