もう酒は飲まない。 2015年04月26日 日記 トラックバック:0コメント:0

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案の定、この朝から、酒を飲み続けていたわけです。

ワイン350ml→日本酒350ml→ハイボール500mlのパターンで気分が良くなって、
この天気のいい中、散歩をしておりました。散歩しながらingressのポータル巡りを
しておりまして、酩酊状態なので碌なことを考えられなくて、仕事がつらいとか、
人生がつらいとか、桜が綺麗に散っているとか、農家の人たちがすごく真面目に働いているとか、
なんで自分はブログを更新できないんだろうとか、なんで自分は本当は絵が上手くなりたいのに全然
努力もせず絵も描かずふらふらしているんだろうとか、なんで最近ポータル承認が早いんだろうとか、
トレジャーの人たちは今何をしているんだろう、井内ひろしはM2でガーヒーの絵を描いてるんだろうかとか、
インセンティブなんだ、と突然思ったりして、コンビニでチューハイ500ml追加。

川辺の公園のベンチに座って飲みながら、インセンティブってなんだったっけと思ったりして、
ああ、そうだ、なんか、成果というか、報酬というか、そういう外部から得られる刺激のことだったと
思いながらグイグイと飲む。喉が渇いた。

ブログの更新がままならないのは、モチベーションが上がらないからだ。
モチベーションはインセンティブが得られないから上がらないのだ。
単純なことである。モチベーションなんて信用ならない。インセンティブがないなら成り立たない。
ブログを書こうというテーマ、それはまあいいとして、そのゴールはなにか。
そう、ゴールがないなら進みようがなく、路頭に迷ってただ消耗してしまうだけだ。

誰かのようになりたくて、目標となる人がいて、ブログを始めたような気がする。
誰だったか思い出せない。どうなりたいのか。何がしたいのか。どんなブログにしたいのか。
そういうゴールのイメージがないなら話にならない。次の一手が全然思いつかない。

チューハイ終わり。喉が渇いた。昼間から酩酊状態。肝臓が痛い気がする。

逆から考えよう。どんなブログが理想なのか。
うーん。理想のブログ。理想のブログとはなにか。少なくとも更新されないブログではない。
毎日更新されればいいのかといえばそうでもない。世の中には1日4回も更新するブログがあり、
あればいいかと問われれば、まあ、そうでもないのではないかと思う。

内容が大事、というのもまた微妙だ。そういうブログはきっとあっさりと終了してしまう。
本当に優れた内容ならもっと上位メディアへ移動するはずだ。お金と名声が全てではないが、
優れたコンテンツは自然と上位メディアへと導かれる。でも、そこはやはり大変な荒波であり、
ブログはブログならではのぬるさが大事なのだ。

インセンティブが得られなくてもいいから書くというのがブログの立ち位置。

コンビニでワインとチーズを買う。

インセンティブとしてお金を設定すると、案外だめらしい。
上手に描けましたねー、はい、5000円。
初めは嬉しいかも。自分の絵が5000円で売れた。すごい。
でも、そのうち、5000円かあ、となる。どこまで手をかけても、手を抜いても、5000円。
5000円、ありがたい、無論、そうだけど、ありがたいけど、5000円か、まあ。
たぶん、どんどんクオリティーが下がるんじゃないか。
あと、無料で絵を描くということができなくなるんじゃないか。
私、5000円で絵を描く人なんですけど!
無料で描くとか、全然ありえないんですけど!!

絵の練習をするか。
画面にまっしろなキャンバスが浮かぶ。
ちょっと待て。この絵の練習代はもらえないのか。えー、ただ働きっすかー。
モチベーションあがんないわー。

インセンティブが悪い方向に働くとこうなる。たぶん。妄想だけど。
ワインを飲む。もう、これ、もう、アルコールこれ以上入れても意味ないのでは。

アルコールを入れるという行為のインセンティブは単純である。
自分の身体の快楽だ。食べ物も同じ。美味しい。気持ちいい。
アルコール、カロリー、甘い、感動、きもちいい、そういうのは単純なインセンティブであり、
それゆえに強力な中毒性、依存性を持っている。

ギャンブルも強力な麻薬だ。
次のガチャは大当たりするかも。次はレアが出るかも。大儲けするかも。
そういう期待感は射幸性と呼ばれる。課金。課金。次、次、次はレアが……

でも、絵を描く、ブログを書くというのは、そういう単純なインセンティブがない。
もちろん、最初は単純にドキドキした。おー、線が引けている、それなりに絵が描けている、
楽しいかもー、しかし、そのうち、だめだ。だめだ、なにこれ。楽しくない。

ということで、負のインセンティブが入り始める。
そうするとモチベーションが下がり、他のことをやり始める。

ブログ放置。

ワインを飲み干す。
帰路につく。ふらふらしている。頭痛い。
ブログを放置するのはインセンティブの問題だ。然り。
これでブログを書くごとに3000円もらえたとしても、きっといつか放置するだろう。
インセンティブはそういう、外部に依存したなにかでは、ダメなのだ。
かといって、根性論でやるものでもない。

大事なのは物語だ。
ブログを更新するということ自体に物語性が必要なんだ。
もしもそういう物語が成立するのであれば、きっと自然にブログは更新される。
ブログを書くためにブログを書くのではなく、物語が書かれるとブログになってしまう。
そういうシステムがあればいい。
それはいったい何か。

5年後、このブログはどうなっているか。
今のままというのはありえない。できれば前向きな、良い変化をしていることが望まれる。
それを常に探りながら更新するというのはどうか。いや、まて、なんか違うな。

で、家に着いたら、具合悪くなって、自主規制した。

もう、酒は飲まない。
ということで、そうだ、酒を飲まない日記のブログにしよう、と思いました。
(超行き当たりばったりなブログランキング上位を目指す)

⚫︎

拍手ありがとうございました!

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全然日刊じゃない普通日記 2015年04月18日 日記 トラックバック:0コメント:0

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⚫︎

appleWatchが気になって気になってしょうがない、
そんな悩ましい日々を過ごしておりましたが、
本日、ついに本物を触ることができたのであります。

apple store nagoya。
異国の地を歩くような気分で名古屋駅から徒歩で移動すること30分、
情報過多な都会の街を歩きながら、色々なことを考えました。

この都会のような、競合相手が多い場所で顧客にアピールするためには
『さらに情報過多にしていく』しかないのだろうか、と。
さらに雑多に、さらに猥雑に、さらに露悪的に。
情報が多すぎてなんだかわけがわからなくなった街の風景を見ながら、
私は歩いておりました。そして、いきなり、やたらシンプルな店舗を見つけました。

それはシンプルなフォントで、GUCCIと書いてあり、
ガラス越しに見える店の中もシンプルであり、
ああ、なるほど、そういうことか、と思いました。

こんな名古屋の街中で、情報過多な街中で、
突然、静かで豊かなオアシスのように存在する店舗。
それが、本物のブランドの風格なのだ、と。
GUCCIという名前の強さ。そして、商品の強さ。
ただ素通りしただけの田舎者の私ですら圧倒されたわけであります。

そして、そのGUCCIから5分程度でしょうか、歩いたところに
appleStore NAGOYAがあったわけであります。

めちゃくちゃシンプルな店舗でした。
入って、真っ先にappleWatchを触りに行きました。
ステンレス仕様のappleWatchです。

事前情報で得ていた操作をひと通り試してみました。
標準アプリを起動させたり、マップをグリグリしたり、
時計のインターフェイスをいじったり。
そして、なかなかに現実的な動作をする、という印象を持ちました。

appleWatchは現実的なウェアラブル・デバイスである。

正直、イメージしていたものより、ちょっと動作がもたついている。
画面サイズも小さく、視認性がちょっと悪い。
ipod nanoを時計サイズに上手に仕上げた感じ。

人間、悪い印象が先行するところがあり、良くない特性のひとつだ。
ひと通り触り、店員が近づいてきたので、逃げて、新しいmacBookのところへ行った。

新しいmacBookはなかなか面白かった。
新しい感じがした。キータッチは好みの問題だが、確かに、ストロークが浅い感じはする。
慣れれば問題ないのだろうが……
タッチパッドの感じは新しいと思った。物理的にクリックしていないのに、確かなクリック感がある。
不思議な、マジカルな印象を受けた。

最後にappleWatchの全ラインアップをガラス越しに見た。
appleWatch Editionの金色具合は確かに高級感がある。
200万円という値段が妥当なのかはよくわからない。
appleWatch ステンレス版もなかなかいい感じの光沢である。
appleWatch sportのシルバーアルミは、edition→ステンレスと見た流れだと
ちょっとチープに見える。恐ろしい。心理術に掛かったような感じがする。
シルバーのブラックが落とし所かと思う。サイズは小さい方がいい感じがする。
どのみち、あの画面でメールをまともに読むことはない。

店員さんが近づいてきたので、このappleWatch sportのブラック色が欲しいんですけど、
と伝える。申し訳ありませんが、この仕様は6月の入荷になりそうですけどいいですか、
と言われ、ああ、そうですか、じゃあ、ちょっと考えさせてください、と言い、
店を出た。

名古屋の街を、そのまま、歩いた。

とにかく人がたくさんいた。
背の高いビルがところ狭しと建っていた。
ingressを開くと、そこらじゅうにportalが点在していた。

様々な情報が目に飛び込んできた。情報過多で頭がぼんやりとしてきた。
なにか騙されているような感じがした。なにか、違うのではないかと思った。

間違えているのではないか。

名古屋LOFTに入った。
ここも情報過多だった。
名古屋ジュンク堂にも入ってみた。本がありすぎて、結局、なんの本も見なかった。

情報が多すぎる。
情報が多すぎるというのは、情報がないのと同じだ。
過ぎたるは及ばざるが如しだ。

せっかく名古屋に来たのだから、ひつまぶしを食べようかと思い、
しかし、2000円もするのでやめて、普通のコロッケ定食を食べた。

情報は少ないほどよい。
どのみち、何事も結論はシンプルなのだ。
結論だけ述べればいい。

appleWatchは面白かった。たぶん、買うと思う。
でも、有効に活かせられるかどうかは、その人次第だ。
一時期流行ったGTDを運用できるような人はきっと上手く使いこなせる。
無邪気に楽しい、そんな感じはしなかった。意外とストイックだ。

⚫︎

拍手ありがとうございます!

拍手返信>私も『海腹さん ちらり』欲しいんですけど、vitaもってないんですよね。
     艦これも出ますし、買うべきなのだろうか・・・
     あと、おっぱい絵師の仮面をかぶっているために、自分の意思とは裏腹に
     おっぱい重視の絵を描かされているんだ、という建前がどうしても必要なのです。
     (ブログ健全性維持委員会)
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健全性をアピールすればするほど裏目に出るメイドさんなんか 2015年04月12日 ほぼユグ トラックバック:0コメント:0

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肌が見えてないから健全です。
健全以外のなにものでもありませんので
縦セーター縦スリット仕様を推奨していきます。
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海腹川背たゆん 及び『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面 3D』実況プレイ part.152(最終回) 2015年04月12日 ムジュラの仮面実況プレイ トラックバック:0コメント:0

海腹川背さんを描かなければならないような、そんな電波を受信したので描きました。

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(おっぱい絵師の仮面着用中)

⚫︎

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『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面 3D』実況プレイ part.152

(エンディングが終わり、タイトルに戻る)

えー、こんばんわ、ユグドラシルです。ムジュラの仮面3D実況、今回で最終回になります。
まずもって、152回という長丁場の実況を視聴していただいた皆様に感謝を申し上げたいと思います。
拙い実況、永遠と繰り返すロックビルの神殿、取り逃がして時間切れになる各種アイテム、大妖精のかけら収集、
まだまだ多くの謎や未クリアなイベントがありますけど、一応、ストーリーとしては終わりにたどり着くことができました。
誠にありがとうございます。そして実況の場を提供していただいたニコニコ動画、youtubeにも感謝を申し上げたいと思います。
さらに、こんな素晴らしいゲームを作った任天堂、移植を担当されたグレッゾのスタッフたちに、感謝を申し上げたいと思います。

ちょっと、ですね。正直、ちょっと、泣きました。スタッフロールの時はぼろぼろと泣いてしまいました。

終わってですね、思うことは、結構、重かったな、と。
ゲームの難易度が高い、というのもありますけど、メッセージというか、世界観というか、システムが、深いんですよ。
一つ一つのイベントが色んな意味を持っているんですね。ムジュラってなんだったんだろう、仮面ってなんだったんだろう、
濃厚な3日間システムとひたすら繰り返される人間模様、素朴な音楽、仮面屋、マニ屋、劇団の人々、色んな事柄が
走馬灯のように駆け抜けていったような気がします。ゲームという体験を超えた、重い、リアルな経験をしたような感じです。

なかなか言葉にするのは難しいんですけど、すごく、色んなしゃべりたいことがあります。

ひとつは、音楽ですね。
初代ファミコンのゼルダからずっと近藤さんが作曲しているんですけど、今回のムジュラは
時のオカリナをベースにして新しい音楽が追加されてます。64の音源のせいもあるんでしょうけど、
響きが素朴なんですよね。メロディーも素朴ですし、音数も少なくて音色も派手じゃなくて。
3日目のクロックタウンの昼間の音楽、低音部が不協和音なんですよね。こう、ぞわぞわするんですよ。
表のメロディーはいつも通りの跳ねるような軽快な音楽なんですけど、裏で鳴ってるこのゆっくりとした
低音がちょっと音程的にずれてるんですよね。響きが不穏なんです。
そして、このまま夜になって、世界の終わりに向かう、最期の音楽につながるんですよ。
これ、本当、すごい見事な流れで、感動しました。
あと、私、日常の生活の中でムジュラの音楽が頭の中に流れることがあるんですけど、このミルクバーの音楽、
これが流れると止まらないんですよ。この、サビっていうんですか、盛り上がるところ、二回繰り返すんですけど、
二回目、ユニゾンになるじゃないですか。ここの気持ち良さ。妙に好きです。
そしてなにより重要なのは、この、「いやしの歌」ですよね。レクイエムっていうんでしょうか、短調で悲しげなんですけど、
ゆっくりと音楽的に安定に向かっていくという救済のメロディーなんですよね。これ、エンディングの曲の最後にこっそり
混ざってるじゃないですか。つまりは、ムジュラの仮面というのはこの曲がテーマなんですよ。
「癒し」というタイトルのわりには不気味でおどろおどろしいけれど、リンク・プレイヤーは世界を少しずつ安定に向かわせる、
謎や悲しみを解決させていく、そういうストーリーなんです。

仮面屋ってなんなんだろう、仮面ってなんだろう、そういうモヤっとしたところは最後まで明かされません。
その人の存在、魂みたいなものかな、というのが定義のひとつですし、ゲームシステム的にはその人の能力をコピーできる、
その人になりきれる、そういうアイテムです。そうすると、この仮面屋というのはいったいなんなんだろう、何者なんだろう、という
謎があります。表現的にも謎があって、それはキャラクターの動きに中間モーションがないことです。顔を前後に振ってたと思えば、
突然ピタッと止まって横顔を見せている。と思えばいきなりリンクの首を絞めていたりします。
こういう表現は、漫画的な、アニメ的なコミカルな動きでもありますけど、つかみどころのない性格・存在、という感じを与えます。
もっと言えば、この世界の住民ではない、なにか超越した存在であるかのように見えます。要は、神様みたいな存在なんだと、そう思います。

キャラクタで印象的なのは劇団の団長さんです。一見、マリオみたいな風貌ですが、実際にはどこか捻くれた性格の悪いおっさんというキャラです。
彼は上の立場の人にはへりくだり、下の立場の人には威張りちらし、挙句は昼間から呑んだくれて愚痴ばかり言っています。
けれど、彼も昔は芸能の道を志していた、純粋なところもあるのです。それを呼び起こさせるのがひとつのメロディーでした。
エンディングではキャラクタたちの後日談風な映像が流れていきますが、この団長のところは、なにかを凝視している団長の顔を長回しで
写しているだけです。これは団長がなにかを見ているというよりは、団長は自分自身のなにかを掴もうとしており、心が変質していく瞬間を写しており、
ようは、現状の、ずる賢く興行収益だけを考えるようなそんな汚い自分自身を捨て、本来の芸能の道、以前にひどく心を打たれたメロディーの再生に
回帰する、その瞬間を写しているのだと思いました。つまりは、やはりここでも『癒し』は成立した、ということです。

落ちてくる月の顔、そして、ムジュラの仮面については、スターフォックスとの関連性を匂わせているように思いました。
これには深い意味はなく、ファンサービスというか、任天堂のゲームという世界観をこっそり繋ぐ役割をもたせている程度だと思いますが、
『不気味で邪悪な存在』に対するデザインコンセプトにはああいうものを使うとすんなりと受け入れられるという原則みたいなものを
教えてくれたような気がします。
死を思わせる要素は、骨。そして、異形を思わせる要素は、多足。そういうデザインコンセプトなわけです。

アイテム屋さんのおっさんとマニ屋のおっさんが同一人物であるということは、背中を掻くモーションが同じであることからわかるわけですが、
なぜ、同一人物である必要があったのでしょうか。最初はわからなかったのですが、ふと、ああ、これは仮面をかぶっているのと同じなのだ、
と思いました。昼間はアイテム屋のおっさんになり、夜はカツラを外し、サングラスを掛けてマニ屋のおっさんになる。どちらが本当のおっさんの姿なのか、
それはわかりません。しかし、リンクの場合もそうですが、どんな仮面をかぶっていようと、どちらが本当、ということはないのです。
どちらも本当の自分である、ということなのです。普段、真面目な仕事をしている人が、夜になるとイリーガルな仕事をし始める。
昼は正義の味方で、夜は盗賊。これは分裂しているわけでも、多重人格というわけでもなく、人間とはそのような振る舞いをするものなのだ、
というひとつのメッセージです。ここはなかなか言葉で言っても伝わない概念なのですが、ゲームの中ではプレイヤーに実体験として強烈な印象を
持って教えてくれます。

ネタバレになると悪いので詳細はいいませんが、最後の最後、ムジュラの心象風景のようなところで、『他人を疑うこと』を通して
『友達を疑う』ことにより孤独になっていく様子が描かれます。友達とは、本当に友達なのか? 友達のふりをしているだけなのでは?
友達の仮面をかぶっているだけなのでは? 
あるいは、本当の自分は別に存在していて、今の自分は周りから要請されている自分像を演じている、要は『自分という仮面』をかぶっているのではないか、
そういう葛藤も描かれます。そういう思い、悩みがムジュラの精神の根底にあり、これは解決しそうになく、最後は世界を破滅させることを選択します。
だけれど、最後はリンクにやっつけられ、月ごと消滅します。仮面屋に言わせれば、『邪気が消えた』ということになります。
めでたしめでたし、となりそうですが、最後の最後、スタッフロールが終わった後、仮面屋の含み笑いが流れます。これは不穏な印象を与えます。
どのように不穏なのか、と言えば、『ループする』という予感をプレイヤーに与えます。

ムジュラの邪気は消え、世界は平和になった。
けれど、また第二のムジュラが出てくるにちがいない。
あるいは、あなたがムジュラになるのかもしれない。

今回は私はリンクとしてプレイし経験しましたけど、それはリンクという仮面をかぶったようなものです。
私は次はムジュラの仮面をかぶるかもしれない。

仮面とは何か、ということを理解しない限りは、仮面に囚われ続け、他人を疑い、自分を疑い、邪気に飲み込まれてしまう。
要は、私たち自身がループを繰り返す。そういう構図について、「まあ、それが人間ですからねえ」と言って、笑っているのです。

と、まあ、とりとめのない話になりましたが、いったんここで実況プレイを終わりにしたいと思います。
また、残ったイベントを回収するときに実況するかもしれませんが、本編のところはここで終了です。

長い間ご視聴いただきありがとうございました。

⚫︎

拍手ありがとうございました!
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拍手ありがとうございます!
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