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新しい世界。新しい共犯関係。 2018年05月27日 VTuber トラックバック:0コメント:0

気づいたら沼にハマっていた。
沼の名前は『にじさんじ沼』である。



全ての始まりはキズナアイであった。
丁寧な3Dモデルと丁寧なトラッキングと丁寧な編集と丁寧な魂でキズナアイは初手から完璧に『バーチャルyoutuber』を表現していた。
これ、凄いなあ、素人じゃできないよなあ、でもどうやって収益を上げてるんだろうかな、などと思っていたところで、
電脳少女シロや輝夜月が出てきた。本格的に「この界隈はすごい」という感じになってきた。

そこから今日に至るまで、あまり記憶がない。
まさに一つの宇宙の誕生のように、まばゆい閃光と圧倒的なエネルギーの濁流が僕らを襲い、世界を新しい色で塗りつぶしていった。

バーチャルyoutuberについて、その新しさについて、多くのテキストが発表されている。
なぜ面白いと感じるのか、ニコ生主と何が違うのか、youtuberと何が違うのか、アイドル・芸能人と何が違うのか?
様々な切り口があり、それぞれに色々な答えがある。

僕にとっての『バーチャルyoutuber』とは、ありとあらゆるテクノロジーと、今日的なコミュニケーションのスタイルの、ひとつの理想的な融合を指す。
そのため、バーチャルyoutuberを成立させるためには色々な要素技術が必要であり、それがついに揃ったのがこの今というタイミングだった。



話は変わる。

子供の頃、ある漫画が好きだった。その漫画には魅力的なキャラクターが活き活きと描かれていた。
連載されている雑誌を毎月買った。発売日には即本屋に行き、しかし早すぎてまだ店頭に並んでないこともあった。
それほど大好きだった漫画も、多くの読者に愛されてきた漫画も、終わりの時はやってくる。
大団円で感動的で、しかし、少し物悲しい最終回。最後のページはキャラクタたちの集合写真であった。

それを見て多くの読者は泣いた。僕も泣いた。ものすごい喪失感に襲われた。それはつらい別れであった。
今後、金輪際、この物語の続きが描かれることはない。このキャラクタたちが動き出すことはない。
集合写真の中の笑顔が悲しかった。もちろん、過去の漫画を読み返すことはできる。しかし、それは過ぎ去りし灰色の思い出にすぎない。

ある意味、このキャラクタたちは死んだのだ。

最終回はキャラクタたちの葬式である。もちろん、ストーリー上、死んではいない。
これからもっと新しい冒険が待っているんだ、などとほのめかすこともあるが、しかし、永遠の別れであることには変わりがない。

次号の漫画雑誌は買わなかった。惰性で買おうかと思って立ち読みし、ページをぺらぺらめくるも、もちろん、あの漫画の姿はない。
突然全てが色あせて見えた。無味乾燥な紙の束に見えた。紙の上には線が印刷されている。他の漫画のキャラクタが演技をしているが、白々しく見えた。

この経験は小学生ながらにトラウマのように感じられた。
このような痛みは二度と受けたくないと考えた。ではどうすればいいのか?

答えは単純であった。

自分で物語を作ればいい。
すなわち、自分でキャラクタを作ればいい。

そもそも他人の作る物語やキャラクタは他人の都合で終わるのだ。
漫画だろうが、ゲームだろうが、アイドルだろうが、芸能人だろうが、終わる。
終わればまた別れが来る。
『別れが来る』のは自然の摂理だからしょうがない、という考え方もあるが、出来る限りの叛逆はしていきたい。

自分で物語を作り、キャラクタを作り、世界を育てていく。
それはひどく稚拙で、あからさまなパクリが横行し、中二病の黒歴史の塊になるかもしれない。
しかし、それをノートやブログに描き続けていく。年を重ね、興味の対象が変われば変わったなりに描いていく。
政治に興味が移ればそれを描き、性的な欲望に溺れていればそれを描く。それを地続きな箱庭世界の中に収めていく。

自分の中に物語があり、キャラクタ達がいる。
まずはそこから始める必要があると小学生の僕は考えて、白紙のノートを開いた。
それから多くの月日が流れたけれど、僕はまだその瞬間のことを覚えていて、物語の続きを描いている。



いつしか、IP(知的財産)という言葉が広く流通するようになった。
例えば、マリオやゼルダ、イカは任天堂の誇る立派なIPである。

IPビジネスで重要なのはキャラクタである。本来、キャラクタは物語があって定義されるのだが、いつしかキャラクタは自律的に動き出すようになる。

マリオにはマリオらしさ、というものがあり、世界を駆け巡っていてもテニスをしていてもカートを乗り回していてもマリオである。
非実在ではあるが、どこか芯の通った実在感がある。

キャラクタの”物語”からの独立は特筆すべき事ではなく、あちらこちらで当然のように行われている。
つまり、物語とキャラクタは分離する。物語は物語、キャラクタはキャラクタで独立する。

ポプテピピックは初めから物語とキャラクタが分離している。
二人がいればそれだけで漫画になる。むしろ物語は徹底的に排除されている。



キズナアイ、ミライアカリ、輝夜月、シロ。

彼女たちは物語を持っている。
何かの物語が展開するわけではないが、いわゆる、キャラ設定という物語を持っている。
キズナアイは高性能AIという設定である。それゆえにぽんこつAIと言われ、自称する。

彼女らがその設定を語るたびに、なんともいえない違和感が漂う。
その設定を匂わすたびに、作り物であることを強く感じるのだ。

そのとき、『物語』が彼女らの足かせになっていることを感じる。

「はいどーも! キズナアイです!」

その声の裏側、僕達の見ている動画というレイヤーの裏側に、複数のカメラが設置された白色の無機質なスタジオがあり、声優がいる。
彼女はトラッキング用のセンサを身体に付けている。キャラを演じている。トラッキングし易いように大きく腕を振っている。

シロも「ぱいーん!」と言いながら手を振る。「電脳そぼろ丼が食べたい」と言う。

これは一つのロールプレイである。
もちろん、シロは心の底からぱいーんしている。偽りはない。心の底から電脳そぼろ丼が食べたいと思っている。
僕たちはそう感じている。彼女はプロのアクターである。シロは楽しみながら動画を撮っている。
十分な撮れ高が確保できたあとはスタジオを出て、冷蔵庫から取り出したそぼろ丼を電子レンジに入れる。

そんなことを想像しながら僕はもやもやしていた。
そんな僕を全力で張り倒したのが、月ノ美兎であった。

「ちょっと、クソ雑魚妄想やめてくれませんか?」



いちから株式会社。

にじさんじ。

一期生。
委員長、月ノ美兎。

僕は他の人よりかなり遅れて『にじさんじ』を知った。
それには理由がある。
にじさんじの人たちの動画は3分程度のコンパクトなサイズではなく、1時間30分もある配信アーカイヴしか、基本はない。
視聴のハードルが非常に高いのである。

僕が月ノ美兎のことを知ったのは彼女本人がまとめた”10分でわかる月ノ美兎”シリーズであった。
そこで目の当たりにしたのはガバガバすぎるキャラ設定であった。

これは悪口ではない。
ガバガバすぎるキャラ設定こそが重要なのである。

そう、まさに月ノ美兎の魅力の一つは『メタ認知』だと僕は思う。

配信は”いちから”から支給されたiPhoneXで表情トラッキングしてOBSを介して行われていることが公表されている。
更には初期には洗濯機の上で、洗剤の箱にiPhoneXを立てかけて、中腰で配信していたことを本人が公言している。
それゆえに、高校2年という設定が、ただの出オチになっている。

ここでははっきりと”中の人”の存在が明言されている。

もちろん、キズナアイもシロも”中の人”はいる。
しかし、彼女らは”高性能AI”であるというフィクションを貫くスタンスが強い。
そこはしっかりと線引きされている。
キズナアイと”中の人”は同一化しない。そこはしっかりと仮想化させている。
”中の人”の芸の一つとしてキズナアイは存在する。”中の人”はキズナアイを内包する。
しかしキズナアイというレイヤーから”中の人”にアクセスするのは不正アクセスとして処理される。
そういうスタンス。

にじさんじはそのスタンスをずらす戦略を採用した。

月ノ美兎、というより、にじさんじは初手から物語を排除することにした。

そもそも、物語とかキャラ設定とか、しゃらくせえ、という感じがある。これは時代の空気でもある。
ただ、それがないと座りが悪く色々と不都合があるので、一応、設定をしたためておく、という程度である。

結果として、月ノ美兎の配信は、”月ノ美兎の中の人”の雰囲気を濃厚に感じることになった。
アバターとしての月ノ美兎と、”月ノ美兎の中の人”の2つの絵を、騙し絵を見ているように、脳内で合成している。
輪郭線はぶれにぶれ、危うげに揺らぎ続ける。その儚くも不定形な輪郭線こそが月ノ美兎そのものである。

”月ノ美兎という絵の素材”と、”月ノ美兎の中の人”で合成されたそれは不協和音を多く含んでいる。

しかしながら音楽がまさにそうであるように、その不協和音こそが面白さであり、愛おしさである。



月ノ美兎にハマると、そのまま、でろーん、凛先輩、えるえる、もいもい、ちーちゃん、アキくん…と興味が横滑りしていく。
そしてついには、にじさんじ全体にハマることになり、いつしかギルザレンと同じく、「しずりん先輩は今夜も配信やっとった。よう見とる見とるよ」などと虚空に向けて言い始める。

日常的にニコニコ超会議のbarのアーカイブを聞きながら、その前夜の配信を聞いたり、にじさんじ人狼を作業用BGMにしたりする。



話はここで終わらない。

月ノ美兎とでろーんがホテルで同じ部屋から配信をしたあたりから、僕は恐ろしいことに気付き始める。



”月ノ美兎とでろーんがホテルで同じ部屋から配信をした”

このことについて、詳細な分析・考察をしているテキストが多く存在している。
最近ではパーソン・ペルソナ・フィクショナルキャラクタの三層から論じることでわかりやすい補助線が引かれるようになった。

現象として起きていることは単純なことである。
超会議の前日、会場近くのホテルににじさんじ勢は泊まる。
月ノ美兎とでろーんが会うことは普通のことである。二人は実在している。本当の意味で実在している。

「こんばんわ。きりーつ、気をつけ。月ノ美兎です」
「うわ。美兎ちゃんまじでほんま…… みんなにおるやんけって言われてるw」

部屋にはノートパソコンとiPhoneXがある。樋口楓のアバターがトラッキングされて動いている。

それを視聴者は聞いている。
軽く脳内が混乱している。
状況はわかっているが、かなり変な感じがする。

数分聞くともはや”2人が実在している”としか思えなくなってくる。
そう、月ノ美兎とでろーんの実在性が異様なほどくっきりと浮かび上がる、ということだ。

もしも、その部屋を写すカメラがあったら、そこに写っているのは普通の女性2人である。
当たり前のことである。もっと現実的に言うならば、月ノ美兎を演じている人とでろーんを演じている人の2人がいる。
全くもって普通の女性2人である。普通の、というのは、月ノ美兎には見えず、でろーんにも見えない、という意味だ。

僕にとって、ここが面白いと思った。
その部屋には”月ノ美兎を演じている人”と”でろーんを演じている人”がいることは間違いない。
だけれど、”演じている”とはいえ、他人のキャラクタではない。

例えば声優が声を当てている”アニメのキャラクタ”を、その声優が自分なりに”演じている”というシーンはありえる。

月ノ美兎の中の人は月ノ美兎を演じている。
だけれど、その月ノ美兎は月ノ美兎の中の人が作ったキャラクタだ。
だから、演じてはいるものの、かなり濃厚な月ノ美兎である。
あまり濃厚すぎるので月ノ美兎本人といっても過言ではなく、ある意味当然ながら月ノ美兎である。

ここだけを切り取れば、テレビの芸能人に似ている。
芸能人は芸能人本人であるが、しかし芸能人を演じてもいる。

ニコ生放送やクラスターで、月ノ美兎は3Dモデルで動いていたが、あれはあれで良かったが、
逆に3Dモデルに引きづられて自由度が少なくなっていた感じも受けた。
芸能人が芸能人の3Dモデルで動いているような感じがあった。

ホテルの一室で、2人はマイクから遠ざかったり近づいたりした。
当然ながらiPhoneXのトラッキングは上手くいかず、アバターは停止したり動いたりした。
この状況ではもはや画面は不要とも思えた。
僕たちは画像を介さず、月ノ美兎とでろーんを鮮明にイメージしていた。
3Dモデルは不要だった。
アバターも不要だった。

音だけで良かった。
むしろ音だけであることが重要だった。

でろ:「ん? 給湯はロックボタンを必ず押す? 押してなかった? なんで? ほい……あ”っつ! あ”っつ!!」
美兎:「大丈夫ー!? 何してんの!?」
でろ、美兎:(笑)
でろ:「と、ポット、ここ押すって書いてあったやん! ここやろ? ボタンて? もう指紋いっぱいついてるんやけど」
美兎:「え? それが熱いの?」
でろ:「……え? 熱くない?」
美兎:「あ”っつ!!」
でろ、美兎:(笑)
でろ:「芸人かw」



昔、活き活きと動き回る魅力的なキャラクタを愛していたことを思い出した。

月ノ美兎とでろーんは、ほぼ実在の存在として実在し、僕達の前にいた。

この瞬間、今までにない、全く新しい表現世界が立ち上がったのである。

●●

僕は実際のところ、”バーチャルyoutuber沼”からは抜け出している。
キズナアイが小林幸子とコラボし、地上波にキズナアイ、シロ、富士葵が進出したあたりで、
このハイエンドバーチャルyoutuber達の出口が見えたような気がしたからだ。
以前のように新着動画を追い掛けなくなり、通知も外してしまっている。

だけれど、にじさんじ沼はまだ底が見えない。
ずぶずぶと沈んでいき、もはや何も出来そうにない。

会社に向かう道中、にじさんじのアーカイヴを聞いている。
会社が終わり、地元の体育館でランニングしながら、にじさんじのアーカイヴを聞いている。
夜、寝る前、にじさんじのアーカイヴを聞きながらゲームをして、眠たくなったら寝る。
それでもアーカイヴは日々積まれていき、もはや消化できそうにない。

もいもいがトラック運転するのを聞き、詩子お姉さんがBL体験談を読むのを聞く。
凛先輩がFF14をやるのを聞く。ちーちゃんがPUBGをやるのを聞く。

”バーチャルyoutuber”→”にじさんじ”と、キャラクタの定義が拡張されていく。

新しい世界が広がっている。

もちろん、それは新しい共犯関係の始まりでもあった。


拍手ありがとうございます!
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