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ユリイカ2018年7月号を読んで 2018年07月01日 VTuber トラックバック:0コメント:0

ユリイカ2018年7月号がバーチャルyoutuber特集であった。
ふらりと寄った本屋に平積みされていたので買い、一気に全部読んだ。



まず度肝を抜かれたのはキズナアイのインタビュー対談であった。
キズナアイはスーパーAIであり中の人など存在しない、という世界観なのだが、この設定はともすると余談になりかねない。
深掘りすればするほどボロが出そうだし、そもそもキズナアイにとっての本質ではない。
しかしながらキズナアイ自らその地雷原に足を踏み込み、丸見えの地雷を次々と踏んでいく。
だけれど、私の想像以上にキズナアイの意思は強固であり、地雷をしっかりと正面から踏み抜いていき、起爆する前に機能停止させていく。
その様子は一種のSF小説のようだった。
インタビュー対談という形式をとったSF小説。
一体何を読まされているんだろう、と思い、同時に、これから後ろのページがどうなっているのか恐ろしくなった。
そしてその予感は的中し、そこから僕は4時間ずっと読み続けていた。

昔、ゲームやアニメや漫画に文化的批評の文脈を持ち込んで語る芸が流行った。
哲学や心理学や物理学や文学の言葉を持ち込んで、いわゆるオタクネタを語る。
それは真面目風な、真摯な分析を行いつつ、どこかパロディー的な空気を感じさせる。
そこには照れがあり、中二病もあり、自虐もある。単純に、アカデミックな文章への憧れもある。

キズナアイについて知りたいことは多々ある。
だけれど今回のインタビュー対談で、キズナアイには強固なファイアウォールが存在していることが確定した。
それは悪いことではない。操り人形の糸を手繰り寄せるのは野暮な行為である。

私が知りたいのは実は下記のようなことだった。
・キズナアイがどのような機材とソフト環境によってトラッキングされて実現されているのか?
・キズナアイプロジェクトはどの程度の規模の組織で運営されているのか?
・ニコ生超会議のライブはどのように実現したのか?

だけれどそのようなことは文化という側面からすれば些事である。野暮である。
だからスパッと切り捨てられる。そういうことはCG WORLDにやらせておけばいい。

キズナアイはバーチャルな存在であり、そこでしか出来ないことを追求していく。
実在していないからこそ可能な”理想”を追い求める。みんなが幸せになることを願い、活動する。
そのためのプラットフォームになる。

キズナアイは王道を行く。
それが可能な技術力がありバックにいるスタッフたちの力がある。
テレビの真似でもなく、リアルyoutuberの後追いでもない、新しい表現を切り開く。

では、他のVtuberはどうなのか?

ということで、次は輝夜月スタッフのAO氏の談話につながっていく。



輝夜月のバランス感覚は人並み外れている。
デビュー直後に爆発的な人気が出たあとも、ペースを崩すことなく歩き続けている。
文字通りの爆風に背中を押されたり進路が見えなくなったりしたはずだが、「やかましいわ!」とすたすたと歩いている。
この脚力の強さ、基礎体力の高さ、バランス感覚の凄さの一端はこのAO氏によるものである。

AO氏のビジョンはレーザー光線のようにまっすぐ遥か未来方向へと照射されている。
ブレがない。だから輝夜月は間違えない。安売りもしない。自分の価値を確保したまま歩き続けている。



と、この特集は、次から一気に内容がカオスになっていく。
テクノロジーの観点から語ったり、アバターと中の人という観点を整理したり、Vtuberはここが新しいと書いたり、いやそれは新しくないと書いたり、
Vtuberは好きじゃないと書いたり、今のところのVtuberは一発屋的であり本質的には古臭い構造と書いたり、面白ければなんでもいいと言ったり、
クリエイターとして立脚したいのでアイドルではないと言ってみたり、にじさんじは凄いと書いてみたりする。

このゴッチャゴチャ感が実に面白い。
答えも正解もないので好き勝手に書いてあり、それを全てそのまま載せるユリイカという雑誌の強度を感じる。これは大事なことである。

あとは読んだ人が考えれば良い。畑というのはまずはボコボコに耕すことから始めるものである。



この特集において、月ノ美兎は異彩を放っている。

というか、月ノ美兎がいなければ成立しなかったと感じる。

キズナアイを初めとしたいわゆる四天王や、富士葵、ときのそら、のらきゃっとなどは正統派としての厚みや歴史はあるにしても、
真面目過ぎる。ウカ様も真面目である。真面目が悪いわけではないが、真面目なだけだとバランスが悪いのである。

あまり明示されていないことだが、月ノ美兎はVtuberの裏拍を打つ、カウンター的な存在であるが故に際立っている。

月ノ美兎は基本的に「面白けりゃいい」というスタンスを保持する。
ともすれば高尚な思想や主語の大きな文化的なわたくしたちの意味などを求められそうな場において、あくまでも「面白ければいい」と言う。

月ノ美兎にとってはツールや表現媒体の話は些事である。過去の文化的な文脈に自分がどう成立しているかなども些事である。
一人の芸人として目の前のオーディエンスたちが楽しんでもらうことのみに集中する。
そのための枠の中で、利用できるものは利用する。立派な言説という名の言葉遊びに意味があるとは思えません、という風な。

それは正しいのである。それも正しい。

そんな月ノ美兎と三島由紀夫や安部公房を持ち出してVtuberを語る文章が同じ紙上に載っていることが実に面白く、価値がある。



アイドル、という概念を真面目に深掘りすると凄く深い森に入っていくことになる。

一方で、「細けえことはいいんだよ! アイドルはてぇてぇし、すこ。それでいいんだ」というのも正しい。

どちらがアイドルの本質を捉えているかといえば、これも優劣などない。
ただ人間の味覚というのは複雑なので、どちらか一方では飽きてしまうので、どっちも必要なのだ。

アキくん、すこだよ。

これ以上の言葉はいらないし無用だという瞬間はある。
一方でアキくんについてもっと深く考えるべき瞬間もある。

月ノ美兎はそれがわかっているので、ユリイカという場がもっている重力に逆らい、ギターの音を歪ませる。

絶対律やら音色のハーモニーやらプリミティブな音感などと言っている横で、「うるせえな」と言いながら
地獄のように歪んで輪郭が尖ったディストーションギターを鳴らす。「これがロックなんだよ」

これができるのが月ノ美兎なんだよなあ、という感じである。



Vtuberの可愛いとこをひたすら推し続ける雑誌も出て来るはずである。
甘いシロップが塗り込まれ、チョコレートで構成された雑誌で、可愛い絵が乱舞する。
そういう消費は既視感があり、食傷気味であるが、商売にはなる。

そこでもまた月ノ美兎は異彩を放つだろうと思われる。

単純なアイドル路線にもカウンターの位置にいる。



ユリイカを読み、明らかになったのは月ノ美兎の異質性である。

何かの物語のキャラではない。
運営の作った設定でもない。
クリエイターでもない。
アイドルでもない。
どちらといえば、芸人である。
それも、お笑い芸人というよりも、深い芸を持つ系の芸人。

立川談志。



私は立川談志が好きで、何度録音を聞いても飽きない。
聞けば聞くほど味が出てくる。独り言のように真似をすることもある。

立川談志の特異性はもはや下記のように書くしかないという点である。

”立川談志は立川談志”

立川談志は論理的だが感覚的でもある。
面白ければいいと言いつつ、その背景は深い。

単純と複雑を合わせもつ。
つまらないことはしない。
自分を安売りしない。
芸を磨き、時には捨てる。
こだわりがあり、こだわりがない。
”何か”にカテゴライズされない。

そしてそれらを元に、面白さに徹する。



私は月ノ美兎に立川談志を見る。

ユリイカという場にはたくさんの多様性のある文章が集まった。
それらに一本の硬く鋭い地獄針が貫通している。
その痛感、違和感こそが月ノ美兎であり、それが結果として表現されている。

私にとってはそこに思考の愉悦があり、Eurekaであった。

●●

拍手ありがとうございます〜!

てとらさん>これからもおっぱ…イラストは描いていきますのでどうぞ!
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